083


すっかり秋めいて、いくつかの球団からかかる声も現実味を帯びてきた。特に熱心に尋ねてくるのは福岡の球団で、あとは北海道、神奈川…神奈川ならまだ花城とも会える。でも九州や北海道となれば、多分、ほとんど会えなくなる…。今の心配はそれだった。
もし花城の気持ちが離れてしまったら…。それに、花城に気がある成宮や倉持もいる。
いったいどうすれば…


「御幸君!」

クラスメイトの声が俺を思考の海から引き戻した。目の前には女子が3人。その笑顔を見て、笑うよりも顔が引きつってしまう。なんか嫌な予感…

「これ!あげる。」
「え?」

差し出されたのは花柄の紙袋。

「1年間野球部の主将お疲れ様ってことで!」
「野球選手になっても頑張ってね!」
「料理部の女子で作ったんだよ。」
「あ、ありがとう…」

クッキーか何かかな…甘いモン苦手なんだけどなぁ…沢村にでもやるかな。
女子たちはきゃっきゃと笑いながら去っていく。かとおもえば一人がまた戻ってきて、隠すように俺の手元に何かを置いた。

「これ。皆には内緒ね」
「え…」

すぐに逃げるように去っていく女子。おいて行かれたのは、小さな便せん。
周りを確認してこっそり開くと、覚悟した通りのことが書かれていた。
ずっと好きでした。野球を頑張っている姿を応援していました。彼女がいても好きです。連絡待ってます…。

――カタン、と音がして、いつの間にか傍に立っている倉持に気づき、咄嗟に便箋を隠して、紙袋ごとバッグに押し込んだ。

「いつでも別れていいぜ。」
「…ふざけんな。別れねーから」

倉持はフンと笑って、席に戻っていった。言いたいことだけ言いやがって。



***



「御幸先輩。」

放課後、花城と待ち合わせた。
やっぱり花城が俺の名前を呼んで微笑んでくれると、他の奴とは全然違う。自然と笑みがこぼれ、胸の奥が温かくなる。

「今日どっか寄ってく?」

もう野球部を引退した俺は、放課後も自由だ。うーん、と顎に指を載せて考えた花城は、首を傾げた。

「先輩は何かしたいことある?」
「俺?俺は…」

したいこと…といえば、あるっちゃあるんだけど…
それにもう、花城は俺を受け入れてくれて、あと一歩というところまで行ったわけだし…
花城を見つめると、花城も俺の気持ちに気づいたように顔を赤くして、俺の言葉を待った。

「…花城んち、行ってもいい?」

花城は息をのんでうつむき、小さく頷いた。

「…いいよ…。」

赤い顔の花城の手を絡めとり、いよいよだ、と熱が込み上げるままに花城の家へと向かった。焦らないように、ゆっくりと。だけど知らず知らず足は急き、花城の手を引っ張るようになってしまっていることに気づいた。だって、焦るなっていう方が無茶だ。俺はもうずっと、何か月も前から、花城が欲しくて…

「み…御幸先輩。」

花城が俺の手を引っ張り、足を止めた。花城の家の正門の前だった。
花城は俺を見上げ、門に近づいて中を覗いた。

「…どうした?」
「…車がある…」
「え?」

隣に並んで中を覗くと、確かに雑木林の隙間から白い高級車のボンネットが垣間見えた。

「……。」
「花城?」

なぜか思いつめたような顔で息をのむ花城。

「誰か来てんの?」
「…姉かも」
「え?」
「姉が帰ってきたのかも」
「姉…お姉さん?」

花城に姉がいたなんて初耳だ。きっと花城と似て美人なんだろうなぁ…

「予定では来週なのに…」

だけど花城は明らかに嬉しそうではなくて、なぜか泣き出しそうな顔で鉄格子の前に佇んでいる。

「光希はまだ帰ってないぞ。」
「え…」

背後から声がして、驚いて振り向くと、そこには光臣がいた。白い詰襟制服にコンビニのレジ袋が全く似合っていない。

「あの車は俺。」
「あ…な、なんだ…。」

花城は胸をなでおろし、少し微笑んだ。

「じゃあ光臣、今日からうちにいてくれるの?」

え…?

「ああ。今荷物を運んでる。暇だからコンビニに行ってきたんだ」

そう言って、光臣は涼し気な空色の瞳で俺を見た。

「屋敷に入れるのか?父さんたちにバレたら面倒くさいことになるぞ」
「わ、わかってるよ…中には入らないってば。」

光臣の言葉に花城は答え、すまなそうに俺を見上げる。

「…光臣、もう中に入ったら?」
「言われなくても入る。…あ、そうだ」
「?」
「光が作ったティラミスもらったよ。」
「…え!?食後に出すつもりだったのに」
「まぁまぁ美味かった。」
「そんなこと言うならもう食べなくていいよ。あとは私が全部食べるもん。」
「また太るぞ。」
「光臣!」

ちら、と光臣が俺の顔を見た。こいつ…見せつけてるつもりか?光臣…もしかして、本当は花城のこと…

「光のダイエットに協力してやったんだろ。」
「ダイエットなんてしてない!ほんとデリカシーないんだから」
「小さい頃からずっと一緒にいるんだからデリカシーなんて持てるわけないだろ。」
「もう光臣にご飯作ってあげない!」
「……。」
「なにニヤニヤしてるの!」
「先週も同じこと言ってたなと思って。」
「もう!ほんといじわる!」

「…光。」

胸の奥が焦がれて、焦れて、気づけば彼女の名を呼んでいた。
振り向いた花城は、顔を耳まで赤くして、驚いた顔をしていた。

「門限になる前に、どっか行かない?」
「あ…。う、うん、ごめん先輩。じゃあ…光臣、夕食前には帰るから」
「はいはい」

光臣は門扉を開けて中に入った。俺は花城と並んで駅の方へ踵を返した。

「…どこ行く?」

そう尋ねる花城はまだ顔を赤くしている。

「花城はどこ行きたい?」
「……。」

尋ね帰すと、花城はぽかんと俺を見上げた。

「…何?」
「……。…名前で…呼ばないの?」

…今更恥ずかしくなってきた。さっきは必死で、つい…。でも、花城…名前で、光って呼ばれて、嬉しかったってことだよな。…今更だけど、1年も付き合ってていまだに苗字で呼び合ってる方が珍しいかも…。ついタイミングを逃して…。…でも、これはまたとないチャンス。

「…光。」
「……。」

名前を呼ぶと、光は赤い顔でもじもじとうつむく。…可愛すぎる。

「…俺のことも、名前で呼んでよ。」

手をからめとると、光は柔らかく握り返して、唇を開いた。

「…一也先輩。」



***



俺と光は駅前のCDショップを覗いたり、コンビニでアイスを買ってロータリーのベンチに座って食べたりして、のんびりとした時間を過ごした。こんなふうに何でもない時間を、ずっと二人で過ごしてみたかった。

「先輩テスト勉強してる?」
「……。」

光って時々、ものすごい勢いで俺を現実に引き戻す…。

「…それは今どうしてもしなきゃならない話かな?」
「だって、テスト来週だから…」
「そうだけど」

せっかく忘れてたのに。いや、忘れちゃいけないのはわかってるけど。帰ったら死ぬ気で暗記するけど。
…そうだ、来週と言えば。

「そういえば…さっきお姉さんがどうとか言ってたけど、なんかあったの?」
「……。」

光がにわかに落ち込んだのが分かった。

「姉が…2年間留学してたんだけど、来週こっちに帰ってくるらしくて…」
「へー、そう…」
「……。」
「つーか、光ってお姉さん居たんだな。」

そしてなんでそんなに悲しそうなのか。家族が帰ってくることがそんなに嫌なのか?光って、光臣とは仲…よさそうだけど、そういえば家族の話ってほとんどしないよな…。母親はもう亡くなっているということしか知らない。

「うん…」
「いくつ違い?」
「3つ上…」
「へー…大学生?」
「うん」

話したくない、と光の不機嫌顔が物語っている。お姉さんと仲悪いのか…?

「…どうかした?」

もしかしたら何も言ってくれないかもしれないけど、一応尋ねてみると、光は沈んだ顔で首を傾げた。

「何ていうか…」
「うん」
「…嫌いなの」

おや…珍しい。光がこうもはっきりと誰かを嫌うなんて。

「なんで?」
「…短気で……」
「……。」
「……合わないの。とにかく。」

多分、思ってることの半分も言ってないんだろうと思いながら、ふうん、と相槌を打った。

「だから来週からすごく憂鬱。」
「そー…なんだ」
「早く大学に戻ってほしい。それかまた留学に行けばいいのに。」
「……。」
「まあ…姉がいる間、光臣も家にいてくれるって言うから、まだいいけど…」

…え。

「光臣が?」
「光臣がいると、姉もまだ遠慮してくれるから。もうずっと光臣についててもらう。」
「……。」

いやいやいや…待て待て待て。

「……。」

光はしばらく黙りこんだ。かと思えば、不意に俺の腕に腕を絡めてきて、密着してきた。

「…帰りたくないな…。」
「……。」

……なんだろう、嬉しいやらもどかしいやら。変な期待はするな。光は別にそういうつもりで言ってんじゃねーから…。

「…少し歩こう。」

花城が不意に立ち上がり、俺の腕を引いた。

「ああ…うん」

そうして駅前を離れ、川沿いの遊歩道に向かった。俺たちの帰り道の方向だ。
まだ帰りたくないけど…足は自然と動いていた。薄暗くなってきて、もうすぐ帰る時間だという実感があるせいで、足は動いていた。

「買う?」

自動販売機の前を通りかかり、光がふとそれを見上げたから、俺は立ち止まって尋ねた。光は少し考えてから頷き、アイスティーを買った。俺も何か飲もう、と適当にファンタのボタンを押す。ガコン、と鈍い音を立てて缶が落ちてきた。それを拾い上げ、プルタブを起こした時、白い泡と黄色い液体がすごい勢いで噴き出し、俺の手を濡らした。

「うわっ!」
「あはは、先輩大丈夫?」

慌てる俺を見て光が笑う。

「大丈夫じゃない。ちょっと、俺の鞄からタオル出して。」
「はーい」

光が俺の鞄を開け、丸めたタオルを引っ張り出した。同時に、ぱさっ、と軽い音を立てて何かが足元に落ちた。

「あ、ごめん…」

光は言いながらそれを拾い上げ、きょとんと見つめた。花柄の紙袋と便箋。俺は焦った。

「あ、それ…クラスの奴にもらって…」
「……。…そっか」

光はタオルを俺に手渡すと、紙袋を便箋をまた俺の鞄に仕舞った。

「…なあ、ちゃんと断るからな。」

誤解されたくなくてそう言うと、光はにこ、と微笑んで見せた。気にしないで、とでも言うように。
前もそうだった…光は俺にやきもちを焼いたりしない。俺は…光臣にも倉持にも成宮にも、光に指一本触れてほしくないと思っているのに。

「俺甘いの好きじゃないし…沢村にでも食わせるし。連絡も取らないから」
「わかってるよ。」

光はそう笑って、ウェットティッシュを出してくれた。

「先輩、やっぱりモテるね。」

その笑顔がなんだか他人事みたいで、俺は胸がざわついた。

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