087


「光臣様、光お嬢様がご帰宅なさいました」

昼を少し過ぎたとき、使用人がそう俺を呼びに来て、俺は本を閉じて玄関ポーチに向かった。

「今日テストで午前放課だったはずでしょ。何で遅くなったの?」

玄関が見えるより前に、光希の不機嫌な声が聞こえてきた。

「あんたをフラフラ遊びまわらせるためにあんな庶民の学校行かせたわけじゃないのよお父さんは!白栄なら全寮制でこんなこと絶対にできないのに」
「……。遊んでたわけじゃ…」
「じゃ何してたの?」

「光。おかえり」

階段を下りて行って間に入ると、光は疲れた顔で俺を見上げ、光希は鋭く俺を睨んだ。

「…昼食用意出来てるぞ。俺と光希はもう食べたから」
「待って。まだ話は終わってない」

光を行かせようとすると、光希が立ちはだかってそれを阻んだ。

「…その話は昼食を取り上げるほど大切な話なのか?」
「そうよ!」

いつものように機嫌を損ねて部屋にこもるかと思ったら、光希は強く言い返してきた。

「…少し寄り道したくらいで…」
「違う!正直に言ったら許してやろうと思ってたけどもう許さない。光!あんた、男がいるでしょう」

光は眉を寄せ、俺を見た。

「光臣!私見たのよ。光が男と歩いてるところ。さっき橋の傍を手をつないで歩いてたの!」
「……。」
「婚約者がいるくせに!妹がこんな汚れた女だったなんて恥ずかしくて死にそうだわ!花城家の恥よ!」

光は茫然とした顔で、静かに涙を浮かべた。
俺は光の隣に並ぶようにして、光希を見た。

「知ってる。」
「…は!?」
「光に恋人がいるのは知ってる。」
「…何言ってんの!?お父さんが許すと思ってんの!?」
「俺が恋人を作れって言ったんだ」
「あんた…頭おかしいの!?」
「光は進学も就職もできない。好きでもない俺と結婚しなきゃならない。俺は従弟として…家族として、今くらいは光に幸せに過ごしていてほしいと思った」
「…馬鹿じゃないの!?」
「何とでも言え。ただし、光がいないところで。光希は進学も留学も、就職先も自由に選べる。どこにだって行ける。だから、わざわざここへきて、俺の婚約者を傷つけるな。」
「うるさい!!!」

光希が傍の花瓶を引き倒し、床に砕け散った。

「光を部屋へ連れて行け。」

ガードマンに言いつけると、男ははっとした顔で頷いて、光の背中を階段へ促した。

「逃げるんじゃねーよ!!どれだけ花城家に泥を塗れば気が済むんだよ!!そのダッサい制服でこの屋敷の門を出入りするだけでどれだけ私に恥をかかせてると思ってるんだよ!!」
「光希!!」
「絶対別れさせてやるから!!アンタに男がいるって、お父さんに言いつけるから!!!」

光の部屋のドアが閉まる音がして、光希は俺を振り返って睨んだ。その光希が口を開く前に、俺は遮るように言った。

「光希、すぐにこの家から出て行け。」
「何偉そうに…!!」
「偉いからだ。お前より」

光希は唇を震わせて、大きな音を立てて階段を昇って行った。




***



光の部屋のドアを開けると、光は窓辺に立っていた。涙の痕が残る顔で俺を見て、悲しそうに目を伏せた。

「ごめん。手がふさがってて」

トレーを持ち上げて見せてノックをしなかったことの言い訳をしたが、光は何も言わなかった。
ドアを閉めて、テーブルにトレーを置いた。トレーには軽食と紅茶を載せてきた。

「もう昼には遅いけど、食べろよ。」
「…ありがとう」

光はそう言って、紅茶を少し飲んだ。

「光希は明後日大学の寮に戻る。」
「…え…?」
「入寮手続きをさせた。」
「……。」

光は黙り込んで、スープをかきまぜた。

「光には悪いけど…」

俺が口を開くと、光は青い瞳で俺を見上げた。

「婚約者が光希じゃなくてよかった。」
「……。」

俺の言葉で、光は少し微笑んで、すぐに俯いた。

「…そうだよね…。…ごめん、光臣は選ぶこともできないのに…。」
「……。」
「将来のこと…全部お父さんたちの言う通りにさせられてるのは、光臣だって同じなのに。私ばっかり我儘言って」

スプーンがスープをかきまぜる音が響く。

「…別に俺は、結婚は嫌じゃない」

青い瞳が俺を見た。俺は立ち上がって、窓辺へ歩いて行った。光の目が俺を追いかけてくるのを感じた。

「好きな相手もいないし」

部屋には沈黙が降りていて、光は何も言わなかった。
スープをかきまぜる音さえ、止んでいた。

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