091


「じゃあお先に。」
「花城先輩お疲れさまでーす!」

生徒会室から出てきた花城さんは、廊下の壁に寄りかかって立っていた俺に気付いて足を止めた。

「お疲れ。」
「……。」

伺うような目で俺を見上げ、頷くような会釈をする花城さん。

「今日は御幸、一緒じゃねーんだな。」
「……。」

花城さんの鞄にあの白い犬のキーホルダーがないことに気付いた。紐が切れてしまっただけで泣いてしまうほど大切にしていたはずなのに…。俺は期待しても良いのか?

「…俺、」
「……。」
「御幸ほど…選手として注目されてるわけでも、期待されてるわけでもねぇけど」
「……。」
「千葉の球団が育成選手として拾ってくれることになった。」
「……おめでとう…ございます」
「実は九州の方からも声がかかってた。けど、千葉にした。」
「……?」
「どうしてかわかるか?」

瞬きをして俺を見つめる花城さんの瞳をじっと見つめて、一息に告げた。

「千葉なら花城さんに会いに来られる。」
「……。」

青い瞳が揺れ、さ迷った。

「好きです。」

伏せていた目が、また俺を見上げた。頬が赤く色づき、唇が震える。

「1年で育成から這い上がってみせる。花城さんが卒業するまでに…」
「……。」
「だから…返事、考えておいてくれ。」

俺は踵を返し、歩いてそこから離れた。
甲子園に出場するという目標を叶え…もうすでに、新たな目標が自分の中にあった。
花城さんを振り向かせる。
絶対に。



***



夜、御幸は難しい顔をして本を読んでいた。いつも通り…と言えばいつも通りだけど、なんだか釈然としない。
花城さんのキーホルダーの件だって…

「…何?」

俺の視線に耐えかねたように、御幸がこちらを向いた。

「どうなのかと思って」
「何が?」
「彼女とは順調かよ?」

御幸は少し目を細め、ため息交じり日本に視線を戻した。

「何で答えねぇの?」
「別に。関係ないだろ」
「関係ある。お前、福岡に決まったんだろ?」
「それが?」
「俺は千葉だ。」
「…だから、何。育成選手の倉持クン。」
「俺はいつでも花城さんに会える。」

御幸はゆっくりと俺を振り向き、本を閉じた。

「いつでも会える?」

そしてそう繰り返した。

「なんで光がお前と会うんだよ。」

光。予想していなかった不意打ちに一瞬面食らった。いつの間に名前で呼び合うように…1年近く付き合っても、つい最近まで名字で呼んでいたのに。

「とにかく、お前よりずっと近くに居られる。」
「そーかよ」
「奪われても文句言うなよ。俺は本気だからな」

全然堪えていない様子の御幸に腹が立ってそうまくし立てると、御幸はなぜか悔しそうに目を伏せた。

「…無理だよ」
「あぁ?んなもんやってみなきゃ…」
「無理だ」

なんだか御幸の様子がおかしいことに気付いて、俺は胡坐をかいたまま、立ち上がる御幸を見上げた。

「……。」
「……?」

俺を見下ろした御幸は、なぜか泣きそうな顔をしていた。悔しさを堪えたような、そんな顔。見たことない顔。

「あ…おい御幸!」

御幸が部屋を出て行って、俺は追いかけた。寮を出て土手へ向かい、誰もいない道端で御幸は立ち止まった。

「なんなんだよ…」

御幸は顔を背けたままだったが、ぽつりと呟いた。

「…光は誰とも付き合わない」
「…あ?何言ってんだお前…」
「あいつ…婚約者がいるんだ」

こ……、婚約者?

「……は?え?」
「……。」
「だってお前付き合って…、…つーか誰だよ!?」
「それでもいいって、付き合った。いつか何とかなると思った。何とかしようって…でも…」
「……。」
「1年付き合って結局…どうにもならなかった」
「…はぁ…?つーか…誰なんだよ、婚約者…って」
「…従弟。」
「…いとこ!?」

…って…文化祭の時に来てた、あの…白栄の?

「光…すげぇお嬢様なんだよ。」

御幸はやっと俺の顔を見た。

「俺らじゃ住む世界が違う。」

川の流れる音が響く。

「…それでお前、別れるのかよ」
「……。」
「フラれたのか?」

御幸は何も答えない。だけど、花城さんの鞄にあのキーホルダーがなくなっていたことが、今になってさらに都合よく俺の思考を支配した。

「なら…遠慮なくいかせてもらうけど」
「……。」
「いいよな?」

御幸は沈黙を貫いた。
あれだけ綺麗で…引く手あまたの女の子を独り占めしておいて…何も言うことねーのかよ。お前の気持ちはその程度だったのかよ。ちょっと付き合って、ちょっとダメそうだったら、簡単に手放すのかよ。
俺はそんなことしない。

「…俺は諦めない。」
「……。」

俺は御幸を睨み、踵を返した。

prev next
Back to main nobel
ALICE+