093
進路が決まると瞬く間に忙しくなった。
連日のように取材、インタビュー、見学、訪問、そして新生活の準備…
だけど光の父親にあんなことを言われては、このままにしておくことはできない。
俺は翌日無理やり時間を作って、2時間目と3時間目の間の休み時間に光の教室へ行った。誰かに呼んでもらうのももどかしく、教室の入り口から中を覗き込んだ。
「光!」
教室の中心辺りで友達と話していた光をすぐに見つけて呼ぶと、教室がざわめいた。
「ちょっと来て。」
手招きすると、光は友達に視線を送り、うつむきがちに駆け寄ってきた。
場所を変えたかったが休み時間は10分もないため、とりあえず渡り廊下の脇に移動した。
「ごめん。」
二人きりになるや否や、俺はずっと溜まっていた想いをその一言にして告げた。全然足りなかった。
「…何が…?」
「全部。…無理やり…痛い思いさせたのも…、…そのあと全然会えなかったことも」
「……。」
「…体、大丈夫か?」
「…もう大丈夫」
その言葉を聞いて、ひとまず安堵した。だけどまだまだ大きな問題は残っている。
「…昨日、光のお父さんと話した」
「…ごめんなさい」
「え?いや、謝ることじゃないだろ。むしろ俺が…」
「……。」
「…俺が告白して…婚約者がいてもいいって言ったんだから」
「……。」
「…光は悪くない」
すぐそばを生徒が通って行って、俺はその間口を噤んだ。
「これから…どうするんだ?」
「…どうするって?」
俺は光の家の事情をほとんど知らない。婚約のことだって、正直に言うと実感がわかない。
「お父さんはなんて?」
「……。二度と会うなって」
「……。」
「帰りも光臣に…迎えに行かせるって」
「……。」
「携帯も…没収された」
本格的に…別れさせようとしてるんだ。
「…帰り…迎えは何時?」
「……学校終わってから来るから…18時くらいかな」
「それなら、放課後少し会えるから。最近忙しくてあんま時間ねーけど…」
「……。」
「休みの日とかも…今度キャンプの見学行ったり…あと取材も多くて…でもなんとか時間作るから。ごめん、あんま会えなくて」
「……。」
「あと…言おうと思ってたんだけど…俺、ドラフトで福岡の球団に決まって」
「……。」
「離れちまうけど…でも遠征でこっち来たりとか」
「会ってどうするの?」
「…え?」
俯いたまま、光は囁くような声で言った。
「私…会ってほしいなんて言ってない」
「……。」
「先輩はどうしたいの?」
魅入られてしまいそうなほど美しい青い色の瞳が俺を見上げた。こんな話の最中でも、つい見惚れてしまうほど綺麗な…瞳。形の整った瞼、それを縁取る長く上にカールしたまつ毛。
俺がどうしたいか…?別れたくない、というのは本心。だって俺は光が好きだ。多分一目ぼれだった。それがやっとかなって、1年付き合ってきた。光は毎日可愛くて、隣にいてくれるだけで幸せだった。手をつないだり、キスをしたり、それ以上のことも…した。
俺にとって光は大切な存在だ。間違いなく。ずっと…大切に思ってきた…
「…チャイム鳴ってるよ。」
光に言われて、鐘が鳴り響いていることに気づいた。光はまた俯いて、踵を返した。
「私…行くね。」
「あ…、ま、また来るから」
「……。」
答えずに教室に戻っていく光を見送り、俺も急いで教室に戻った。
…俺はどうしたい…?
***
『…い…、痛っ…』
『い、痛い……、先輩……』
「――以上!早く帰って勉強しろよー受験生!」
「先生やめてよ〜〜〜」
放課後になると、俺はすぐに光のクラスに向かった。廊下にあふれる帰っていく生徒たちが俺を見て、花城さんの彼氏だよね、野球部の人だよ、テレビに出てたよね、と噂していく。
その中で教室の入り口だけを見て立っていると、やっと、鞄を肩に提げた光が教室から出て来た。光はすぐに俺に目を止め、立ち止まった。それから、ゆっくりと目の前まで歩いてきた。
「…何?」
素っ気ない言葉。どうしてだよ。俺たち付き合ってるはずだろ?
色々な思いがあふれるのに、光に向かって言葉になるものはなかった。
「…話そう。」
引き留めるための言葉だって自覚していた。話し合って、光の気持ちが戻るようなことじゃないことも。もう今の時点で、俺が引き留めようとしている時点で、もうだめなのかもしれないと思った。
「……。」
何を話すの?と光の目は物語っていたけど、光は階段を下りて行った。俺もあとに続いた。前を歩く光を見つめて、不意に、その鞄に犬のキーホルダーが付いていないことに気づいた。胸がえぐられたような気分になり、頭が真っ白になった。
校舎裏まで来て、俺たちは立ち止まった。光は俺を振り返って見あげた。
きっと俺たちは別れる。もう付き合っていけない。その意味がない。俺は光をつなぎとめる力がないし、光も…あの家から、婚約という運命から、逃げる意思がない。
そうお互いにわかっていて、どちらかがそれを口にすれば終わるのに、俺たちは沈黙していた。
「…先輩」
先に口を開いたのは光だった。
きらきらした、深い青の瞳…。
「…ありがとう」
「…何がだよ。」
「…初恋、叶えてくれた」
なんだよそれ。そんなの…ずるい。
叱責でも、別れの言葉でも、無関心でもなく、そんな残酷な言葉を。
「…叶えてない」
「そんなことない。先輩と付き合えて…よかった」
待てよ。過去のことにしないでくれ…終わらせないでくれ。
「…もう行かなきゃ。会ってることが知られたら…」
「…待って。」
踵を返す光の手を掴んだ。滑らかな肌。細くて柔らかくて…
もう触れられなくなると思うと、泣きそうになった。
「……。」
俺を見上げた光の目の輝きが、涙ぐんでいるように見えて…きっとそうだと思って、そのまま腕を引き寄せて抱きしめた。
「……。」
光は俺の背中に手を回すこともなければ、突き放すこともしなかった。ただ大人しく、俺に抱きしめられたまま、俺の胸に顔を埋めていた。
「…先輩」
やがて、光の手がやさしく俺の胸を押し返した。うつむいて瞬きをした青い瞳から、涙がこぼれて白い頬を濡らした。そのまま手を離そうとする光の手を強く握って、俺はひたすら、首を横に振った。光は涙を流しながら、困ったように俺を見上げた。
「別れよう…」
静かに、俺の手の中から光の手が滑るように抜き取られた。
ついに…言葉となって、現実が俺の前に立ちはだかった。いくら嫌だと喚いても、どうにもならない現実が。
光は俺を見つめていたけど、俺は何も言う事が出来なかった。
わかった、とも。
いやだ、とも。
だって、家族を説得するとも、光を攫いに行くとも…言えない。
「……じゃあね…」
光はそう言って、歩いて去っていった。俺から外された瞳は…諦めたようだった。
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