引き返すけもの道



『ほらよ』

小さな物置部屋に連れてこられた私は、ソーマに短刀を手渡された。使い古されてすり切れた革の鞘に納められたそれは、私の手首から肘くらいの長さと同じくらいの刃渡りで、小ぶりながらもずっしりと重かった。

『え…これで狩りをするの?』
『バカ、護身用だ、それは。俺とリヒトで狩るから、お前は見とけ。』

ソーマはそう言って、慣れた様子で腰に長い剣を差す。リヒトは大きな弓と矢筒を手に取っている。

『行くぞ。』

軽い足取りで二人は歩き出す。
外に出ると、小さな畑で野菜の世話をしていたサラがこちらに気づいて、行ってらっしゃいと手を振ってくれた。
そして庭の門をくぐろうとしたとき、向こうから大柄な男が歩いてきて、私たちは立ち止った。

「お、狩りか?」

この男もここで生活する人間の一人で、名前はドレン。ここではサラの次に長くいて、力仕事を担当している。今も大きな丸太と大きな斧を担ぎ、戻ってきたところだった。

「ああ。」

ソーマが短く答えると、気をつけてな、と私の頭に手を置いて、ドレンは丸太を担いで薪割り場のほうへ歩いて行った。ここの人たちはみんな親切だ。言葉はまだあまり交わせないけど、行動でそれがわかる。

私たちは森の中へ入っていき、木漏れ日の落ちるのどかな道をしばらく歩いた。
あの塔に住んでいるのは私たち三人とサラ、ドレン、そしてもうひとり、サラでさえもいつからあの塔にいるのかわからないという、初老の女性であるイネアがいる。彼女は体が悪いらしく、ほとんど自室のベッドで過ごしていて、食事を運んでいくとき以外あまり会うことはないし、自分の話をすることもない、異質な存在だ。
ソーマが言うには、ほかにも何人か人がいたらしいが、あそこでの生活に飽きて出て行ってしまったらしい。

とにかく、私たちだけ細々と暮らすあの塔からは、この細い道が伸びている。この森を抜けた先に何があるのかもわからないし、私たちは森を抜けてどこかへ行くことは全くないというのに、いったい誰がこの道を作ったのか…。
ほとんど草に覆われつつあるこの細い道は、踏みしめると、砂の間に風化しかけた石の板のような塊も見える。何十年も前には、ここは舗装された道だったのだろうか。

『この道って、どこかに続いてるの?』

前を歩くソーマに尋ねると、ソーマとリヒトは同時に振り向いた。だけどソーマはすぐに前を向いた。

『さあ、考えたこともねぇ』

会話がわからないリヒトの不思議そうな視線を無視し、ソーマは草をかき分けて道を逸れて行った。

「レイちゃん、足元気をつけな。」

リヒトがエスコートするみたいに、手を差し出してくれた。私はちょっとはにかんで、その手につかまって足元の悪い砂利の地面を飛び越えた。

「甘やかすなよ。」

ソーマが何か文句を言ったらしい。リヒトはケラケラ笑ってソーマを振り返る。

「ヤキモチかぁ?」
「なんでだよ、気持ちわりぃ」
「いいじゃん、久々の同世代の女の子だぞ。しかも可愛い。」
「こいつが?」
「あ、いいんだな?じゃあ、俺がレイちゃん貰っちゃって。」

ニコニコにまにま、楽しそうに笑うリヒトを、ソーマは鬱陶しそうに睨んだ。

「勝手にすれば。」
「意地っ張り。」
「うるせぇ。」

何を話してるかさっぱりだが、二人の仲がよさそうで微笑ましく頬を緩めてみていると、ソーマに日本語で『笑ってんじゃねぇ』と怒られた。

「なあ、ついでだし、あの場所レイちゃんにも見せてあげようぜ。」

リヒトが不意に立ち止まり、私を振り返って見て、ソーマの意見をうかがうように視線を動かした。ソーマは面倒くさいときにするのと同じように表情をゆがめた。

「なに?」

たどたどしい、覚えたての言葉を口にする。

「レイちゃんも、自分が発見された場所、見に行きたいよな?」

リヒトが何かを私に言って、翻訳を促すようにソーマに首を傾げた。

『…お前や俺たちが発見された場所…時空のゆがみがあるといわれてる場所が、この近くにあるんだよ。そこを見に行こうってリヒトが』
『え、行きたい!』
『……。』

ソーマはうんざりした様子でため息をつき、踵を返して歩き出した。

「やっぱり、レイちゃんも見たいって言っただろ?」
「うるせぇ、さっさと行って狩りするぞ」

二人の後を追って藪の中の道を進む。
やがて白い花が咲く細い獣道が現れた。ざくざくと草を踏む音が響き、鳥の声も聞こえる。
その音にまじって、何か、ピンと空気を刺すような、高い音が響いた気がした。鈴の音のような、鳥の声のような、表現の難しい…だけど、不快ではない音。
あたり一帯に響いているような、私の耳元だけで響いているような、妙な響きだった。

『ねぇ、この音は何?』

前を進むソーマに尋ねると、ソーマは、驚いた顔をして私を振り返った。

「どうかした?」

リヒトがきょとんと眼を瞬いて私とソーマを見比べる。

『…何が聞こえた?』

ソーマはそれを無視し、私を凝視した。

『え?なんか、鈴の音みたいな…。聞こえなかった?』
『……。』

ソーマは少し唇を震わせ、顔を青くして、ただ私をじっと見つめた。

『…どうしたの?』

ただ事ではないと思い、リヒトを見る。リヒトも眉をひそめてソーマの顔色を窺っている。

「ソーマ、真っ青だぞ?大丈夫か?」
「いや…、やっぱ、帰るぞ」
「え!?」
「腹がいてぇ。」

突然ソーマが来た道を足早に戻り始めてしまった。

『ソーマ?ねぇ、どうしたの?』
『帰るぞ』

私とリヒトは顔を見合わせる。しかし言葉の通じない私たちは、ただソーマの突然の異変に首をかしげることしかできなかった。

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