光の子、闇の子



「ソーマ!」

庭で道具の手入れをしていたソーマを見つけ、リヒトと近づくと、いつもの鬱陶しそうな顔が向けられた。
さっき見えた黒い靄は、今は見えない。

「レイちゃんが変なこと言うんだ、通訳してくれよ。」
「はあ?」
「イネアばーちゃんが消えたとかなんとか…」

リヒトが簡単に状況を説明してくれたのか、ソーマが私に視線を移す。

『ばーさんがどうしたって?』
『あ…えっと。突然光って、消えちゃったの。』
『…はあ?』
『本当なの!あ…あと、何か言ってたけど…もう、何とかから…森に迷う…のはいない…とか…何とか…』
『……。』
『よく聞き取れなくて!』
『わかった。』
『え?』

わかったの?今ので?
目を丸くする私をよそに、ソーマは立ち上がり、道具を片付け始めた。

「どうやら俺たちがこの世界に迷い込んだのはばーさんの仕業だったみたいだな。」
「……はあ!?」

ソーマが何か言って、リヒトが大げさに驚いた。

『え?何?なんて言ったの?』
「どういうことだよソーマ!?」
「あのばーさん、妖怪か何かだったんじゃないか?30年以上前にここにきたサラが、いつからいるかわからないほど昔からここにいるんだぞ。…もうこの森に迷い込む者はいない。そんなようなこと言って消えたらしいぜ。」
「……。」
『ねえ、何?ソーマ、教えてよ。』
『お前の話を説明してやってんだよ、黙ってろ』

驚いて言葉も出ない様子のリヒト。ソーマはさっさと道具を担いで踵を返す。

『どこに行くの?』
『サラたちにも説明してくる。急にばーさんが消えてたら驚くだろうからな』

…ソーマは驚いてないように見えるけど…。
去っていくソーマの背中を見送って、ちょっと我に返ったリヒトが、思い出したように私を心配そうな目で見た。

「…あ、そうだ、レイちゃんは部屋で休んでなよ。サラの手伝いは俺が代わるからさ。」

ここで主にみんなの食事を作ってくれているサラを、狩りができない私が手伝っているのだが、リヒトは私の体調を心配してそう申し出てくれた。

「ありがとう。だけど、へいき。」

私は笑顔で首を横に振った。体調に異変はないし、迷惑はかけたくない。
リヒトは、無理するなよ、と言い残して、畑仕事をするドレンの手伝いに行った。

夕食の準備までにはまだ時間がある。私は洗濯物を取り込むために、中庭に向かった。

今日は特に天気がいいから、皆のベッドシーツを洗って干しておいたのだ。
風にたなびく真っ白なシーツを外してかごに入れながら、穏やかな風に目を細める。

ここではみんな、家族みたいに暮らしている。
私はまだここへきて日が浅いけれど、サラはお母さんのようだし、ドレンはお父さんのように思える。

シーツをすべて取り込んで、かごを抱えて塔に入ると、キッチンで談笑するサラとドレンの姿があった。
ソーマからイネアのことはもう聞いたのだろうか。

「あ、レイちゃん。」

と、考えている間に、サラが私に気づいて声をかけてきた。

「シーツ取り込んでくれたのね、ありがとう。」

シーツ、ありがとう、の部分だけ聞き取れて、私ははにかんで首を横に振る。

「イネアが突然消えたというのは本当なのか?」

するとドレンが慌てた様子で聞いてきた。ゆっくりと言葉の意味を考えて理解し、私はうなずく。

「不思議な方だったもの。きっと役目を終えて、自分の場所へお帰りになったのかもしれないわね。」

サラは落ち着いた様子でほほ笑んだ。ドレンに比べ、彼女は動揺していないらしい。

「自分の場所って…俺たちを置いて、なぁ…」
「うふふ。私はここが気に入っているわよ。」
「そりゃ、俺もここでの生活は好きだが…」

もう大丈夫というように、サラが微笑みを向けてくれたので、私は自分の仕事に戻った。
みんなの部屋のベッドにシーツを敷いていき、一仕事終えて籠を物置に片付けると、少し休憩がてら森を歩くことにした。

『おい。』

庭を横切って門を出ようとすると、背後から声がかかった。振り向くとソーマが不機嫌そうに立っていた。

『一人で森に入るな。あぶねえだろ。』
『そのへんまでだから、大丈夫。』
『何しに行くんだよ?』
『散歩。』

ソーマは眉を顰め、舌打ちをして、こっちに歩いてきた。

『少しだぞ。』
『一緒に来るの?』
『仕方ねぇだろ。』

やっぱり面倒見がいい。本当は一人で気ままに歩きたかったけど、ソーマは心配してくれているんだろうし、大人しく親切心に甘えることにした。

二人で森に入ると、とても静かだった。
いつもは大体リヒトも一緒だから、彼がよくしゃべっているのだ。

『お前さ…』

と、思ったら、珍しくソーマが口を開いた。

『あの祠に行ったのか?』

ぎくりとした。悪いことをしたわけではないと思うけど。

『うん…リヒトと』
『何かあったんだろ?』

あの出来事を…ソーマに話してもいいのだろうか。
ソーマの体をまとっていた黒い靄のことが気にかかる。今は何も、見えないけれど…。

『…声が聞こえたの。』

私は、祠であったことをすべてソーマに話した。
ソーマは黙ったまま話を聞いて、私が話し終えてもしばらく沈黙していた。

『そうか』

そして、短くそう言った。

『…それだけ?』
『……。』

ソーマは立ち止まり、私を振り返った。私も立ち止まり、彼と向き合った。

『…何?』

ソーマは私を上から下まで見、手を伸ばして、私の右手をとった。そして手の甲のあざを見て、小さく、気のせいかと思うほどかすかなため息をついた。
そのソーマの左手には、黒い手袋がはめられている。思い返せば彼はいつも左手に手袋をしていて、外したところを見たことがない。

『…ソーマ。リヒトが言ってたんだけど…』
『……。』
『ソーマも、あの祠に行ったとき、私と同じ…声が聞こえる、って言ってたって』
『……。』

ソーマは黙ったまま、左手の手袋を外した。
そこには、私と同じように、何かの文様のあざがあった。

『…闇の紋章。お前の光の紋章と対になる存在だ』

ざわざわと、風が気の葉を揺らしていった。

『これが宿ってから、頭の中から声が消えねえ…。』

声…?
私は、あの祠へ行ったときにしか、声は聞こえていない。
その声もおそらく、レックナートのものだった。

『どんな声…?』
『低い…唸り声みたいな…。…この世を…全て…葬り去れ、って…』

…そんな恐ろしいことは、私には聞こえない。

『時々…体がうずく。衝動的に、何かを破壊しそうになる。頭の中で何度も…あの塔に、黒い雷を落として、粉々にする想像をした。』
『……。』
『何度も…ここを出ていこうとした。リヒトがついてきたがったから、様子を見てたが…そうしているうちに、お前が来た』
『……。』
『俺は…もう死ぬしかない』

ソーマがつぶやいた言葉で私は息をのんだ。

『な…なんで急にそうなるの!?』
『これは本当にヤバい物なんだよ!何かあってからじゃ遅い!』
『何かって…?』
『…っ…あの塔の…皆を、危険に晒す』
『でも…』
『毎晩のように夢に出てくるんだよ!!俺がみんなを殺す光景が…!!』
『……。』
『幸せそうな…楽しそうなあいつらを見ていると、特に…強くうずくんだよ…!』

ソーマのこんな姿は初めて見る。いつも不機嫌で、でも面倒見がよくて、しっかりしていて…。
そんな彼が、こんな悩みを抱えていたなんて。

『俺を殺せるとしたら…それは、お前だ』
『え…。』

ソーマの目つきが急に冷たいものになった。私は心臓を突き刺されたみたいに衝撃を受けて、動けなくなった。

『その紋章で、俺を殺してくれ』

ソーマがにじり寄ってくる。私は後ずさって、背中に木がぶつかった。

『でも…。別の方法があるかもしれない。』

私は右手の甲をさすった。この力は、わからないけど…そんな残酷な力ではないように思う。

『なんでもいいから、やってくれ』

ソーマは両手を少し広げて私に促した。

『い、今?』
『今だ』

まだ得体のしれないこの力を、そもそも何かできるのかすら半信半疑で、とりあえず右手をソーマにかざしてみる。
瞑想するみたいに意識を集中させ、さっき一瞬見えたソーマの黒い靄を振り払うような想像をして、強く念じてみる。

『……。』
『……。』


…だけど、とうとう、何も起こらなかった。

『…はぁ』
『ちょ、ちょっと待って!もう少し…!』
『いや…、もういい。』

ソーマはふらりと踵を返した。

『戻るぞ。』

私はその言葉に逆らわず、ソーマが肩を落として歩く後を追いかけた。

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