「光ちゃーん、お湯沸かしといて!」
「はい!」

昨日の夜、倉持とのデートから帰ってきて…今朝になって店に降りてきた花城さんは、なんだか明るくなっていた。
大きな鍋に水を入れて火にかける花城さん。ここに来た頃はガスの使い方すらも知らなかった彼女が、今はてきぱきと店の開店準備をこなしている。
親父もお袋も忙しそうに厨房を駆け回っている。

「おう健、夕飯どうすんだ」

親父が中華鍋を取り出しながら聞いてきた。いる、と答えれば、俺の分も一緒に賄いを作るのだろう。いままでは、いらない、と答えて夜遊びに行っていた。花城さんがここで働きだしてからは、一緒に賄いを食って店を手伝うことが多くなってたけど…

「あー…」

親父…なんか、一回り小さくなったな。腰も曲がってるし…あんな細い腕で、あんなでかい中華鍋をふるっているなんて、なんだか奇妙な感じだ。

「…俺やるよ」
「…はっ?」

思わず口をついて出た言葉。親父がぽかんと口を開けて目を丸くした。

「だから、俺がやるって」

その親父から中華鍋を奪い取って、冷蔵庫から冷や飯と、卵を二つと、余っていたネギ、チャーシューを取ってくる。適当に炒飯にする。
まな板で具材を細かく切る俺を、親父はしばらく不思議そうに見つめて、お袋と変な目配せをして、なんか異様に嬉しそうな顔になりながら、下ごしらえの作業に入った。
ガス火をつけて中華鍋をしっかり温め、溶いた卵と冷や飯を入れる。沸かしていた湯の様子を見に来た花城さんが、俺が炒飯を作っているのを感心したように見つめてきた。なんか、くすぐったい。
…この人料理できたんだ、とか、思われてんのかな…。
炒飯はあっという間にできて、4つの皿に盛りつけた。

「できたよ」

親父とお袋と花城さんは準備の手を止めてカウンターに集まってくる。

「へえ、うまそうじゃねぇか」
「健がご飯作ってくれるなんてねぇ」
「ちょっと具材の大きさがまちまちだけど悪くねぇ」
「卵に火通り過ぎじゃなぁい?」
「うるせー」

親父とお袋は鬱陶しかったが、花城さんが炒飯を口に運ぶのを見て、俺はくすぐったい気持ちになった。

「…美味しい」

花城さんがつぶやき、微笑む。その瞬間、俺は胸が沸騰したように熱くなった。
花城さんが…俺の作った炒飯で、笑顔になった…。やばい。なんだこれ。すげぇ嬉しい。
思わずにやけそうになるのを、俺は炒飯を掻き込んでごまかした。


***


夜寝る前にのどが渇いて、麦茶をコップに汲んで部屋に戻るとき、浴室のドアが開いて花城さんが出てきた。
白い肌は赤く紅潮し、鎖骨は少し濡れて光り、湯上り独特の色気漂う美少女…。狭い廊下で鉢合わせるには刺激が強すぎる。

「あ…おやすみなさい。」

きょどる俺に花城さんはそう微笑んで、自分の部屋に入っていった。
花城さんって……男経験、やっぱあんのかな…。ちょっと慣れてる感じ、あるよなー…。少なくとも俺よりは…。まあ…あんだけ可愛けりゃ周りがほっとかないよな…。きっと学生時代、モテモテだったんだろうなー…。ますます今のこの状況が謎だぜ…。
そんなことを悶々と考えながら俺も部屋に戻り、麦茶を飲みながら携帯をいじる。
インターネットのトップページにランダムに表示されたニュースは、野球の試合速報。倉持が所属するチームが連勝を続けているという内容。面白くねぇ。

「あー…」

俺は携帯を床に放り投げた。あの二人…デートでどこ行ったんだろ。…何したんだろ。付き合うのかな……もう付き合ってたりして。
虚しい……


「…ひゃ…!」

……ん?
隣の部屋から悲鳴のような声がした。…気がする。
俺は起き上がって壁を眺めた。

「きゃっ…!」

…やっぱり。花城さん…だよな?なんだ?なにかあったのか?俺、行ったほうがいい?でもキモがられたらどうしよう。…いや!でも悲鳴聞こえてるしな…。もし、不審者が侵入とかしてたら…シャレになんねーし…
俺は意を決して廊下に出て、花城さんの部屋のふすまをノックした。薄っぺらいふすまに振動が響き、思いのほかでかい音を当てた。

「あ…なんか聞こえたんだけど…ど、どうかした?」

変に思われないかとビクビクしながらふすま越しに声をかけると、ややあって、ふすまが開いた。少しうるんだ二つの瞳に見上げられ、俺はどきりとした。

「ご、ごめんなさい。うるさかったですよね…」

花城さんはそう言いながら肩をすくめ、おびえるように部屋を振り返る。

「いや…。だ、大丈夫?」
「は、はい。あの…。む、虫がいて…」

…虫?

「そこの裏に…」

花城さんは段ボールを指さした。花城さんがここに住み始める前から置きっぱなしにされている、がらくたが入った段ボールだ。

「ちょ、ちょっと…入っていい?」
「は、はい。」

花城さんが脇に退き、俺は部屋の中に足を踏み入れる。前から何も変わってない…花城さんのキャリーバッグが増えただけの味気ない古ぼけた部屋なのに、彼女が寝泊まりしている部屋という事実だけでひどく緊張する。

「どんな虫?」

うっすらと嫌な予感を覚えつつ、尋ねる。

「あ…あの…。…ご…、」
「あ…うん、わかった」

それ以上言わなくていい、と俺は手を挙げて制する。…やっぱGかよ!古い家だからなー…。
俺は段ボールの上に積まれた新聞紙を一束とって、丸めて武器とした。そして…意を決して、段ボールを動かす…。

「きゃああ!」

とたんに飛び出してきた大きな影。響く花城さんの悲鳴。無我夢中で振り下ろして新聞紙。スパァンと気持ちのいい音を立てて、黒い影は畳の上で叩き潰された。し…仕留めた。よかったぁ〜…
俺はその残骸を新聞紙ごと包み、花城さんを振り返った。

「もう仕留めたから、大丈…」
「ちょっと何してんのアンタは!!!」

振り向いた瞬間、俺の脳天に鉛の塊のようなげんこつが降ってきた。

「いって!!!!!」
「なにをっ!してんのって!!きいてんのよ!!!このバカ息子!!!!!」
「いてっ!いてえって!!やめっ…」
「あ、あの!ち、違います!!」

俺を叩きのめすお袋を花城さんが止めると、お袋は漸く手を止めた。後ろで親父も目を丸くしている。
そして花城さんが事情を説明すると、お袋は鬼の形相から打って変わって表情を緩めた。

「なぁんだ〜!私ったら勘違いしちゃったわよ〜!」
「ちょっとは息子を信じろよ……」
「悪かったわね〜!あっはっは!」
「……。」
「あの、ごめんなさい本当に…」

花城さんが申し訳なさそうにそう言うから、俺は全く悪びれないお袋への留飲を下げた。


***


翌朝早く目が覚めた俺は、顔を洗って店に降りて行った。
厨房にはもうエプロンを締めた親父がいて、調理道具を並べて磨いていた。古ぼけたぼろぼろの店だけど、厨房の中と、店内のテーブルとイスは親父とお袋が毎日欠かさず磨くからピカピカに光って景色を反射してる。

「おう、健おはよう」

早いな、と親父は笑って、磨いた調理器具をしまいながら下ごしらえ用の食材を取り出し始めた。

「…おはよう」

俺はその様子をぼんやり眺めて、昨日の花城さんの笑顔を思い出していた。

美味しい…。

そう微笑んで、喜んでくれた彼女が、脳裏にこびりついて消えない。

湯気の充満する蒸し暑い厨房に足を踏み入れる。子供の頃から何度も入った場所。だけどそこに立つ親父の背中は、いつの間にかすごく小さく見えるようになっていて…。

「どうした?腹でも減ったか?」

そう、いつもこうやって聞いてきて、俺が小さいころから…親父が賄いを作ってくれたっけ。

「…教えてよ」
「え?何だよ」
「厨房の仕事。」

ぶっきらぼうにしか言えない情けない俺を、親父はぽかんと不思議そうに見つめた。

「…お、おう、じゃ、やるか。」

だけど親父はからかったりせずに、並べた食材の前に俺を立たせた。

「まずキャベツの千切り…このボウル全部いっぱいになるまで」
「…はいよ」

大きなボウルを三つ並べられ、内心ちょっとうんざりしたけど、俺は顔には出さずに包丁を握った。キャベツを真っ二つに切り、さらに小さく切って手ごろな大きさにして、千切りを始める。

「おぉ、うん、悪くねぇ手つきじゃねぇか」

親父のキャベツの千切りよりいびつで、へたくそなのは自分でもわかった。だけど親父は心から嬉しそうな笑顔で、俺の手元を見つめた。

「まあ…ずっと見てきたし」

そして俺がつぶやくと、親父は俺の顔を見つめてほほを緩め、嬉しそうに息を吐いて隣でキャベツの千切りを始めた。

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