「いらっしゃいませ。」
あの日から…店に行くと花城さんが俺にも微笑んでくれるようになった。
注文を頼もうと手を挙げると花城さんがやってきて、水とおしぼりをテーブルに置く。
「今日は何にしますか?」
「いつもので。」
にやりと笑いながら俺をにらむ花城さん。
「…と、サラダも」
「はい。」
俺が注文を付けたすと、満足そうに頷いて注文をメモする花城さん。くすぐったい気持ち…。
「Bセットとサラダですね。少々お待ちください。」
そう言って花城さんは厨房に注文を伝えに行った。厨房では息子がおやっさんにどやされながら中華鍋を振っている。数日前から息子が厨房に入って調理に当たっているのを見るようになったが、あの息子が本格的にこの店を継ぐ気になったんだろうか。最近は常連客にもそれをからかわれていて、見ていてほほえましい。
こういう下町の店を家族が継いでいくって、なんか、いいよな…。
「こんにちはー。」
店の引き戸が開いて、なんだかこの場に似つかわしくないこぎれいなスーツ姿の男が二人入ってきた。一人は若い男で、もう一人は中年の貫禄のある男。どこかの会社の上司と部下だろうか。なんとなく気になったのは、その二人が店に入るなり何かを探すようにきょろきょろと店内を見渡したからだった。
「いらっしゃいませ…、」
厨房から出てきた花城さんが言いかけて、ぎこちなく固まった。対して若いスーツの男が、あっ、と嬉しそうな顔になった。
「どうも、こんばんは。」
男は花城さんにそう挨拶をすると、上司らしき男を振り返って何やら耳打ちする。上司らしき男は頷きながら花城さんを見て、これまた嬉しそうに口角を緩めた。
「…お好きなお席へどうぞ。」
花城さんはそう言って忙しそうに仕事に戻る。男たちは端っこの席に行き、メニューを広げたまましばらく花城さんを目で追っていた。
「どうぞ、サラダです」
花城さんが俺の席にサラダを運んできた。ちょっと気まずそうな顔で。
「どうかした?あいつら、知り合い?」
「いや…、ちょっと…。」
「店員さーん、いいですか」
若い男が花城さんを呼んだ。戸惑った顔をした花城さんを窺う。
「大丈夫か?俺…、」
「だ、大丈夫です」
もし変な輩なら俺が一言…、と立ち上がろうとすると、花城さんはそれを制して男たちの席へ近づいて行った。
「ご注文ですか?」
メモ帳とボールペンを取り出して尋ねる花城さんを、上から下まで品定めるように見る中年男…。
「…いいねぇ、確かに、これは…」
…は?
「おいセクハラジジイ、何言ってやが…」
「あっ!ち、違う違う!」
席を立った俺を、若い男が慌てた様子で止めに入った。戸惑った顔の花城さんの前で、中年男も申し訳なさそうに笑った。
「いや申し訳ない!つい…」
「何がついだよ!?人をモノみてぇに…」
「あ!じゃなくて、あの、我々はこういうもので」
若い男が名刺を取り出し、俺に差し出した。その名刺に、俺は見覚えがあった。
これって…前、花城さんをスカウトしに来たっていう芸能事務所の…。
「あのー…連絡がなかったんで、今日は上司と説得をさせていただきに参りまして…」
若い男はそう言って俺や花城さんや厨房にいるおやっさんたちにむけて全方向に律儀にお辞儀をした。
***
「…でね、もちろん君の意思はなるべく尊重するし…」
今日はたまたま客も少ないということもあって、おかみさんの勧めで、花城さんは端っこの席で男たちの説得を聞き始めた。興味ないって言ってたけど、どうすんだろ…。あの男たちはちょっと気に食わないけど、花城さんが芸能界に入るのは、いいことかもしれない。少なくとも…ここで働き続けるよりはチャンスがあると思うし…。
「一度ご家族ともお会いできたらと…」
「……。」
「今ここでアルバイトされてるんですよね?てことは…高校生?大学生とか?まだ10代…20歳くらいに見えるけど。」
「……。」
「ご実家は東京?それとも上京してこられたんですか?ご実家が全国どこでも、ちゃんと一度挨拶を…」
花城さんはだんだん俯いていって、膝の上で手を握りしめた。ああぁもう、見てられねえ!
席を立ってズカズカと歩み寄り、花城さんの隣の椅子を突っ掛けてガタンと音を立てて座った。男たちを睨みつけると、若干迷惑そうに苦笑された。
「あー、えーと…お知り合い?」
若い男に聞かれて困惑気味に俺を見る花城さん。
「今、家族に挨拶したいっつってたろ」
「はあ…」
「俺はあれだ、兄貴みてえなもんだから。俺が聞いてやるよ」
我ながら…何言ってんだ俺、と思いながら啖呵を切った。男たちだけでなく、花城さんもポカンとして俺に注目した。
「…彼氏とかじゃない、です、よね?」
「…あぁ!?」
ぎこちなく若い男が俺と花城さんを交互に見て、全然釣り合ってねぇとでも言いたげに、信じられないような目になりながら言って、俺は苛立ちのままに声を荒げた。花城さんは慌てて宥めるように俺の肩に手を置いて男を見た。
「ち、ちがいます。あの…高校の時からお世話になってた…先輩で…」
花城さんの説明を聞き、納得したように頷く男たち。
「じゃあ…高校卒業はしてて…今おいくつですか?」
「…18です。今年、19です」
「なるほど。じゃあ未成年ということでやはり、ご家族…えーと…親御さんにご挨拶させていただきたいんですが」
「……。」
「もちろん光さんの意思が一番重要ですけど、親御さんにもご安心いただきたくて、契約内容や条件なども私どものほうからきちんと説明を…」
「いえ、あの…。」
花城さんが意を決したように顔を上げて、俺はつい身を乗り出した。そんな俺に気がついて、花城さんは大丈夫だとでも言うかのように微笑み、また男たちに視線を向ける。
「両親は…亡くなってて」
男たちが息を呑んで固まった。
「家族も…いません」
店の中が静まり返った。厨房のおかみさんたちも青ざめて固まっていた。
「…花城さん」
「大丈夫です」
つい名前を呼ぶと、花城さんは俺に微笑む。だけどその微笑みは、強がってるようにしか見えなかった。
「それは…失礼しました…」
男が愕然とした表情で呟き、二人揃って頭を下げた。それから事情を少し察したように、店の中を見渡して花城さんを見た。
こんなキレーで、しかも賢くて、頑張り屋で、しっかりした女の子が、こんな小さな古い店で朝から晩まで働いてる理由…。
親がいない、家族もいない、と聞けば、さすがに理解が及んだようだ。
「…じゃあ、その若さでお一人で生活を?」
中年の貫禄ある男の方が静かに口を開いた。
「ここに…住み込みで働かせてもらってます…」
「いつから?」
「高校…卒業してから…」
「失礼ですが、時給いくらです?」
「え…。」
花城さんは動揺して口をつぐんだ。
「失礼を承知で現実的な話をします。」
「……。」
「正直言って芸能界は厳しい世界です。入れる人も限られています。入れても、生き残れる人は一握りです。」
「……。」
「でも私はあなたなら…芸能界で成功できると確信してます。容姿が優れてるだけじゃなく、しっかりとした芯がある女性だということもこの話し合いでわかりましたから」
「……。」
「品のない話ですが、ここで働くのとは比べ物にならないほどのお金が入りますよ。」
「おいそんな言い方…!!」
怒鳴ってやろうとした時、ふっとテーブルに影が落ちた。おかみさんが厨房から出てきて、このテーブルに近づいてきたのだった。
「たしかにね、光ちゃんは働き者で、毎日毎日頑張ってくれてます。だけどうちが渡せるのはほんの少しのお金と、この店の2階の狭くて汚い部屋だけ。」
おかみさんが花城さんを見て、花城さんは潤んだ目で女将さんを見上げた。
「もっと光ちゃんが輝ける場所があるのよね。こんな場所にいつまでもいたら…もったいないわよ。」
「そんなこと…」
「チャンスなのよ!もっとキレイな服を着て、キレイなお部屋で、もっと自信を持って…生きていけるように…」
「私は、そんな…」
立ち上がる花城さんを制して、おかみさんは男たちに頭を下げた。
「お願いします!私はこの子を娘のように思ってます。この子を…ここから連れ出してやってください!」
その後ろから、おやっさんも頭に巻いたタオルを取りながらやってきて、おかみさんの隣に並んで男たちに頭を下げた。
「私らの娘を…よろしくお願いします。」
花城さんはおかみさんたちを見て、ぽろぽろと涙をこぼした。男たちは顔を見合わせて立ち上がり、おかみさんたちに頭を下げる。
「娘さんを…責任持って、大切にします。」
それから頭を上げると、男たちは花城さんを見つめた。
「…光さんの意思を聞かせてもらえますか?」
花城さんは涙を拭い、おかみさんとおやっさん、それから俺の顔を交互に見て…
ゆっくりと噛み締めるように、頷いた。