そして…
花城さんは事務所が借り上げているマンションに引っ越すことになった。
「おせわになりました…。」
店の前でキャリーバッグを提げておかみさんたちに頭を下げる花城さん。おかみさんはそんな花城さんを抱きしめた。
「頑張ってね!いつでも帰ってきていいんだからね。」
「はい…。」
涙ぐむ2人をどこか寂しそうに見つめるおやっさんと、普段は無愛想な息子。
花城さんはその2人にも挨拶を言って、俺の車に乗り込んだ。
「体に気をつけてね!」
手を振る3人にいつまでも手を振り返し、やがて見えなくなってからやっと前を向いて座り直す花城さん。
今日は引越しの手伝いを申し出て、レンタカーを借りて店まで迎えにきた。花城さんは遠慮したけど…少々強引に。
「荷物それだけ?」
「はい。家電とかベッドとか…最低限必要なものは事務所が用意してくれたみたいです」
「へぇ、じゃあ大丈夫だな」
車を走らせてマンションの前に到着し、来客用駐車場に車を停めて車を降りる。
「持つよ」
俺はカッコつけて花城さんの荷物を持ち、エレベーターに乗り込んだ。花城さんの部屋は3階の303号室。芸能事務所の借り上げの物件とあって、しっかりカメラ付きのオートロックマンション。
部屋の前に着き、花城さんは鍵を差し込んでドアを開けた。
「お邪魔します…」
部屋は本当に最低限。ベッドと冷蔵庫と洗濯機。殺風景で寂しい部屋だ。
「ありがとうございます。」
俺が荷物を床に置くと、花城さんはそう言った。
「いや全然…。」
俺は頭を掻き、まだ帰らないことの口実を考えあぐねる。だけど部屋の殺風景さがどうにも落ち着かず、考えがまとまらない。
「ほんとに最低限だな…」
手持ち無沙汰に呟くと、花城さんと目が合って、どちらからともなく噴き出した。
部屋の隅に置かれたベッドにはマットレスしか置かれていないし、テーブルもなければテレビもない。もちろんソファなんてものもない。
「布団とかも必要だし。買い出しも行くだろ?」
「そうですね…」
「手伝うよ。俺、荷物持ち。」
任せろ、と力こぶを作って見せると、花城さんはふふっと花が咲いたような笑顔になって、そしてすぐに申し訳なさそうに眉を下げた。
「でもそこまでは…申し訳ないですよ」
「だぁから、気にすんなって。花城さんは気にしすぎ。俺がやりたくて勝手にやってるだけだからよ。布団もだし消耗品とか…いろいろ買うもんあるだろ?一人で何往復する気だよ?」
「……。」
うーん、と花城さんは悩むように唇を結んで、苦笑を浮かべた。
「じゃあ…すみません、お願いします」
「おう、任せとけ。ヒャハハ」
花城さんの役に立てる。花城さんが俺だけを見て、俺を頼ってくれる。やっと、ここまで頑張ってきたかいがあったというもの。高校の時はいつも俺は、御幸の友達…御幸と話すついで、御幸を交えてしか花城さんとの接点がなくて。今こうして二人っきりで会っているのも…このあいだデートしたのも、まぁ花城さんがどう思ってるかは知らないが…ちょっと現実味がないほど夢のようで、ここの所ずっと舞い上がってる。
二人でマンションを出て近くのインテリアショップに向かいながらも、なんだか同棲でも始めるような気分で俺は浮足立ってしまった。
「テーブルも必要だろ?メシ食うのに」
「そうですね」
「お、これなんてどう?」
「大きくないですか?もうちょっと…これとか」
「おー、いいんじゃね?」
ローテーブルを選びながら、恋人同士みたいな会話に勝手にソワソワする。他の客がすれ違うたび、恋人同士に見られてるかもとドキドキする。
「あとお布団があればいいかな。」
「ソファとか買わねーの?」
「そういうのはいずれでいいです。」
笑いながら花城さんが言って、テーブルの箱を入れたカートを重たそうに押していく。花城さんって、堅実だなー。俺なんかもう高校から換算すると寮生活5年目だけど、いつか一人暮らしをするときには、趣味部屋もゲーミングチェアだってほしいし、かっこいいソファや棚や…。で、そのカッコいい男の部屋に、花城さんを呼んだりなんかしちゃって…。って、妄想ばっか捗っちゃってるけど…。
悶々と妄想が膨らんできたのを振り払って、先に行く花城さんに追いつき、カートの持ち手を取り上げた。花城さんはちょっとはにかんで、俺にカートを委ねる。
…マジで恋人っぽくて楽しすぎる…!!
「あ、これでいいや」
花城さんは枕と枕カバー、掛布団とそのカバーとシーツとがすべてセットになった安い布団セットを手に取った。
ほんと…堅実だな〜。いい子なんだよなぁ、こんな、どんな男も手玉にとれちゃいそうな美人なのに…。
まあ、そこが好きなんだけど…。
「8,980円になります。」
レジで店員が言って、財布を取り出そうとすると、その手を花城さんが抑えた。
「ちょっと何払おうとしてるんですか!ダメですよ」
「え、いやいやでも…」
「やめてくださいもう。大丈夫です、事務所から引っ越し費用として少しもらってるので」
花城さんは断固として言って、茶封筒から一万円を出した。
「自分のものは自分で買うので。倉持先輩、今日は絶対お金出さないでくださいね」
「ヒャハハ…わかった…」
カッコつかないし、いいとこ見せられないのはちょっと残念…だけど、花城さん、ほんとしっかりしてんな…。
やっぱ…金だしてカッコつけるだけじゃ落とせないよな、花城さんみたいな子は…。…だから好き…!!
その後も薬局、スーパーに寄って、俺たちはすっかり大荷物を抱えてやっとマンションに戻ってきた。
「すみません、こんなに付き合ってもらっちゃって…疲れましたよね?」
「いやいや、ぜーんぜんヘーキ!鍛えてるし!」
強がったけど、まあ、ちょっと疲れた。でも花城さんと過ごせることが何よりも嬉しくて、疲れなんてどーでもいい。
「それよりえーっと…あ!俺、テーブル組み立てるよ」
「え…」
「花城さんは休んでて!疲れたろ?」
俺は早速テーブルの段ボールの開封を始めた。花城さんはありがとうございます、と言って、買ってきた食材を冷蔵庫に仕舞ったり、買ってきた消耗品を片づけたり、ベッドに布団を敷き始めた。
俺はテーブルの組み立て説明書を広げ、付属品の細かいネジや金具を並べてにらめっこをする。こう見えてこういう細かい作業は得意だ。
俺がテーブルを組み立てる傍ら、花城さんは手持無沙汰そうにこっちに来て、作業を眺め始めた。
テーブルの脚に金具を添えてネジで留める。花城さんが向かいに座って、留めている脚を持って支えてくれた。
「サンキュ…、」
軽く言いかけて顔を上げて、花城さんの顔の近さにどきりとした。ぱっと俺に向いた明るい茶色の目が、透き通って宝石みたいで、俺の顔をくっきりと映していて。長いまつげ…。肌、真っ白できれーだな。って、そうじゃなくて!
見つめすぎたかと慌てて視線を手元に戻す。ひたすらにネジを留めながら、ドキドキ跳ねる心臓の音にくらくらした。
「あの…」
最後の金具を手に取った時、花城さんが口を開いた。
「ありがとうございます…何から何まで…」
「いや、全然、気にしなくていーから…」
ドキドキしてまともに顔なんて見れない。ただネジを留める自分の武骨な手を眺めた。そのすぐ上に、脚を支える花城さんの華奢でキレイな手が見えていて。突然サラッと、絹のような髪が目の前に落ちてきて、目の前で揺れた。それにつられて猫のように目で追うと、花城さんが落ちてきた長い髪を耳にかけたところで目が合った。
静かな部屋で、足元のテーブルの天板が軋んだ音を立てた。
花城さんの目はずっと俺を見つめていた。俺は顔を近づけて、その目が迷うように揺れたのを見た。だけど直後に、唇同士が触れ合った。その柔らかさに驚いた。今までに感じたことのない感触が唇に触れた。それは一瞬で、夢の出来事かもしれないとも思った。
唇が離れた後の、花城さんの顔は真剣で、だんだんと赤くなっていった。
勢いで…というか…ほぼ理性が飛んで…花城さんに、キスをしてしまった…。
自分でも自分が信じられなくて、熱くなる顔を伏せた。まだ少し飛び出てるネジが目に入り、工具ですぐに締めた。
「…できた」
俺は言って、花城さんも我に返ったようにテーブルから離れたのを見て、完成したそのテーブルをひっくり返して置いた。ガタン、と床にぶつかる固い音が鳴った後、部屋の中はまた静まり返った。俺たちはテーブルを挟んで向かい合って座っていた。…どうしよう。なんで何も言わないんだ花城さん…。…いや、俺が何か言うべきだよな…!?でもなにを!?…あ、謝る!?謝ったほうがいい…!?
「…なんで今…。…キスしたんですか…?」
「…え!?」
突然花城さんが口を開いたかと思ったら…あまりにもド直球の質問が飛んできて、俺はぎくりとした。
「え…、っと…。…す、」
「……。」
「……すき、だから…?」
…何を小学生みてぇなこと言ってんだ俺は…!?
花城さんは赤い顔でうつむき、ちらりと俺に視線を向ける。
「…で…?」
え…?
…で、って何…!?
「え…?そ、…そんだけ…」
「……。」
ふうん…、というように何度かうなずきながら少しとがらせた口で拗ねたような顔になる花城さん。
え…機嫌悪くなった!?やっぱ嫌だった…!?
「ご、ごめん」
「…いえ…」
沈黙が下りる。やっぱ…嫌だったってことだよな…!?
勝手に今日引越しの手伝いするってことを口実に、家に上がり込んで…買い出しもついてきて…家具組み立てるって時に、いきなりキスするなんて。強引すぎたよな…!?
「…そうだ…、あの…」
「は、はい!?」
まだ少し不機嫌そうな顔で花城さんが立ち上がり、荷物をあさり始めて、俺は一応先輩のくせに姿勢を正して畏まった。
いったい何を言われるかとビビりながら様子をうかがっていると、振り向いた花城さんの手には…スマートフォンが握られていた。
「スマホ…事務所が契約してくれて。」
「え、あ、そーなんだ…」
「一応…これで連絡取れるんですけど」
え…?
「…いらないですか?」
じっと俺を見る花城さんの目。
こ…これって…俺、連絡先交換誘われてんの…!?こんなかわいい子に!?
「い、いる!いる!」
「……。」
つい食いつきすぎてしまって顔が赤くなった。花城さんは驚いたように目を丸くした後、照れ笑いをこらえるように唇を結んだ。その顔がまた、かわいくて仕方なくて…。
俺たちは連絡先を交換した。もしかして仕事以外で連絡先知ってる男、…俺だけ…!?
一瞬御幸の顔が浮かんで…つい振り払う。花城さんのこと聞いたらあいつ…どんな反応するだろう。連絡先…知りたがるかな?でももう、1年も経ってるわけだし…抜け駆け…になるかもしれないけど、別にいいよな?だってあいつにはもう、宣戦布告してるわけだし。
俺が花城さんと再会できたのは運命。連絡先までこぎつけられたのは努力の賜物。あいつがいまだに花城さんに再会できないのは、あいつの努力が足りないせいだ。
だって…花城さんにその気があるなら、とっくに俺に御幸のことを聞いてるはず…。
…だよな?
画面に表示される、花城さんの名前。
舞い上がるほどうれしい。うれしいはずなのに…。
なぜか…ズルをしてるときのように心が晴れなくて…モヤモヤする。