すっかり日が高くなってから目を覚ました。
今日の講義は午後だけ。まだ時間に余裕がある。
顔を洗って寝癖を整えて服を着替えて、イヤホンを探して机の引き出しを開ける。
その最上段の引き出しには、数枚の便せん。差出人は「御幸一也」。
光が俺の実家を出て行ってから…何度か届いたこいつからの手紙。
光の実家のポストに入っているのを確認するたび、俺の親に見つからないうちに抜き取って保管していた。一応プロ野球選手…著名人と光が親密だと知られたら、なんか面倒くさいことになりそうだったから。
毎回光の安否を案じる内容と、連絡が欲しいという内容。そしてあいつの連絡先。
それも…もう数か月前から届かなくなっていた。さすがに諦めたのだろう。あの実家の廃墟同然の様子も、見たんだろうし。
俺は引き出しを閉じ、下の引き出しを開けて…イヤホンを見つけ、手に取って、部屋を出た。
コーヒーを飲みに寮のラウンジに向かうと、寮生がまばらに座っていた。エスプレッソマシンで濃いコーヒーを抽出し、カップを持って窓際の席へ向かう。
窓に向いた背の高いソファー。俺はいつもこの席を使っている。
ソファに深く腰掛けて、サイドテーブルにカップを置き、イヤホンを耳につけてポッドキャストを流しながら、ネットニュースを流し見た。
野球の試合速報、Jリーグのメンバー発表、芸能人の熱愛報道、公開直後の映画の評判。
その中で…一人の少女が目に飛び込んできた。
赤いマントを羽織り、ティアラを載せられ、トロフィーを掲げる白いワンピース姿の少女。少し緊張した顔で微笑む、その何度見ても目を奪われる美貌。
……光?なぜ?
俺は震える指でそのネット記事を開いた。
【第22回ダイヤモンドガールオーディション・グランプリは18歳 花城光さん】
光が?オーディション?グランプリ?
そ…想定外すぎて頭が追い付かない。
あの光が…オーディション?芸能界なんて…絶対にありえないと言ってたのに。
家を出て行ってから、いったい何があったのか…どうやって暮らしていたのか…無事だったのか…。
でも…
…元気そうだ。
「よかった…」
俺は口元がほころぶのを感じ、そして…胸の奥からこみ上げる震えを堪えて、空を見上げた。
***
チリン…と扉につけられたベルが鳴り、一人の少女が入ってくる。
柔らかな亜麻色の髪をまとめ、薄手のニットワンピースを着たラフな姿でも、品の良さと美貌が際立つひときわ目立つ存在。
待ち合わせです、と店員に声をかけ、店内を見渡すその少女を見つめ、俺は立ち上がった。
俺を見つけて目を見張り、その直後に頬を綻ばせる…光。急ぎ足でこっちに駆け寄って来ると、ふわりと甘い花のような香りが漂った。
「久しぶり。」
咲き誇る花のような笑顔を浮かべる光に、俺もつられて口元が緩んだ。
「久しぶり…」
「元気そうでよかった。」
「いや…こっちのセリフ」
「ふふ…座ろうか?」
席に着くと、店員が光の分の水とおしぼりを持ってきた。
「事務所あてに光臣から手紙が来て、本当にびっくりしたよ」
「だって…他に連絡とる手段がなかったし。ていうか…ネットでお前を見た時の俺のほうがびっくりしたんだけど」
コロコロ笑う光の笑顔を見て、にやける口元を隠すようにコーヒーを飲んだ。光はカフェラテを注文し、メニューを片付けた。
「今どこに住んでんの?」
「事務所が借りてるマンション。南区のあたりだよ」
「ふーん…」
「あ、光臣、連絡先交換しよう」
「…スマホ買ったんだ」
「事務所が用意してくれたの。」
光がスマホを取り出す。最新機種の真っ白なスマホに、花柄のかわいらしいカバーがつけられている。
連絡先を交換すると、光は嬉しそうにスマホをバッグにしまった。
「あのさ…」
その笑顔を壊したくないという思いで、俺は口を開く。
「絶対…何とかするから。俺の親が奪った…光のもの、全部。どうにかして…全部、光に返すから。」
光は真剣な顔になって俺を見つめた。
「光臣がそんなに…責任感じることじゃないよ。私は大丈夫だから…そんなことしなくていい。」
「俺が嫌なんだよ…」
光は困ったように微笑み、ちょうどカフェラテを運んできた店員に、ありがとうございます、とほほ笑んだ。
「…なあ…」
ストローを咥え、ん?と目を瞬く光。
「あの彼氏と…別れたのか?」
唇からストローが離れ、光の顔がこわばった。それは一瞬で、すぐに光は無理をした笑顔を浮かべたけど、それは隠しきれていなかった。
「な、なんで?ていうか、光臣、覚えてたんだ。興味なさそうだったのに…」
「…これ」
俺は持ってきた鞄から便箋の束を取り出し、テーブルに置いた。
「光の実家に何度か届いてた。…親に見つかる前に回収しといた。」
花城 光 様
――御幸一也
その封筒の文字を見て、光の瞳が揺らいだ。
「なんで別れたんだ?」
「なんでって…」
光は自嘲気味に笑って、封筒を見つめる。
「そいつは未練ありそうだし…光が振ったんだろ?」
「…先輩は…私の面倒を見るって言ってくれてたけど」
「……。」
「そんなの、嫌じゃない?夢を叶えた人の足を引っ張って…面倒見てもらうなんて…」
「…光らしい」
雲が晴れて陽光が差し込み、光の悲しげな微笑を照らす。
「じゃあ…芸能界デビューして自立したことだし…連絡とってみたら?」
「……。」
気が進まないらしい。光はストローで手持ち無沙汰に氷を混ぜる。
俺の脳裏には去年のクリスマス前…指輪を選んでいた真剣なあいつの横顔が蘇った。
「全然…自立なんかできてないよ…。今もいろんな人に助けられてるし…」
「…誰だってそういうもんだろ」
「でも…今の私じゃ、先輩に釣り合わない」
そんなこと…ないと思うけど。それに…光の表情を見ると、まだあいつに未練があることもわかる。
「とにかく…渡したから。」
再度封筒を光のほうへ押しやると、光は寂しげな眼で封筒の束を見つめ、俯いた。