「あっ、御幸先輩、おつかれさまで〜す」
練習を終えてつかの間の休憩時間、鷹野からの不在着信があったことに気づいて俺は何もかもを放り出す勢いですぐに電話をかけなおした。数回の呼び出し音の後、鷹野が電話に出て、俺はにわかに緊張で息が詰まる。
「おう、それで?」
本題はわかってる。鷹野からの連絡なんて、それしかないのだから。俺は急かされるように焦った気持ちで答えを求めた。
「あの〜…それが…」
しかし鷹野の歯切れの悪い声で、ふっと嫌な予感が胸をよぎった。
「ちょっと…無理そうでぇ…」
「……。」
「あの、最近光、仕事も忙しくて大変そうだから…」
フォローのつもりなのか鷹野がそう言って、気まずそうに言葉を濁した。
「…そっか」
「御幸先輩は悪くないですよ!ホントに。」
「いや…、まあそれは…。」
だけど…俺はずっと後悔してる。
光を何が何でも守らなかったこと…。
俺にはそれができたのに。
「…光…、俺のこと何か言ってた?」
だけどそれを知りたい気持ちくらいは許してくれ。
「あの…私はよく事情知らないですけど…」
「…うん」
「…合わせる顔ない、って。」
なんだよ…それ。
光は何も悪くないのに。
「そっか…。」
だけど鷹野にこれ以上頼んでもきっとうまくはいかない。
「ありがとう。悪かったな、こんなこと頼んで」
「いえいえ!何でも言ってください。」
それじゃ!と、鷹野は明るく言った。
「おう、じゃあな」
気にしていないふうにそう軽く返して、電話を切る。やっぱ…簡単にはいかないよな…。
「彼女?」
突然背後から声がかかり、ぎくりとする。
振り向くとニヤニヤ顔の先輩が小銭を握って音を鳴らしながら俺のそばにある自販機に向かってきたところだった。
「あ、いや…違います」
「またまたぁ、お前モテそうだしな」
「いやいや…」
先輩は揶揄う調子で言って、自販機でコーラを買った。
「倉持も最近なんかいい子いるんだろ?」
「え…、あぁ…」
「お前知ってる子?どんな子?可愛い?」
知ってるも何も…俺の元恋人。
可愛いかって、そりゃ…芸能界のオーディションでグランプリ獲るくらい、美人で可愛いし…。
「いや…俺もよく知らないです」
「なんだ、つまんねえ」
ややこしくなるから何も言わないでおこう。
「いや倉持がさ、今日デートだっつうから」
「…え」
そして先輩がコーラを飲む直前に言った言葉に、俺は虚を突かれた。
「相談されたんだよ、おススメの店とか色々聞かれてさ。だから今日俺の車貸してやったの」
「…優しいですね」
「だろ〜?」
じゃあ…倉持は今日…光と会う。
「なんて言ったんですか?」
「え?」
「その…店のこととか、助言」
「あ〜、相手が南区あたりの子だっつうから、そのあたりでいくつか穴場教えてやったんだよ。」
「そうなんですか」
「最初良いバー教えてやったけど、相手まだ未成年だっつうからよ〜。気にせず一緒に飲みに行けって言ったらあいつ、なんて言ったと思う?」
「…なんですか?」
「その子…大本命ですげー大事にしたいから、そういうことはしたくないんだと。」
「……。」
一緒俺の顔がこわばったのを、先輩にも気づかれたかもしれない。だけど俺は平静を装った。必死に。ここに立っているのもやっとだというのに。
「だから俺もこう助言したのよ」
「…?」
「悪いこと言わねーからコンドームだけは持っとけって!」
「は?」
「え、なに?急に怖い顔…」
一瞬のうちに頭の中に駆け巡る想像を振り払った。光と倉持がそういうこと…なんて、想像でもしたくねえ!
でももし…今日いい感じになってそういう流れになってしまったら…。
「いや…、なんでもないです」
「大丈夫かお前?顔色悪いぞ」
***
少し雨の降る夕方頃。
トレーニングルームに向かう途中の廊下でばったりと倉持に出くわした。
いつもより気合の入ったいで立ち…。鼻をかすめるシトラス系の香水。その理由を想像して、俺はきっと顔がこわばった。
「……。」
倉持は一瞬気まずそうにたじろいだが、すぐに気を取り直したように俺をにらみつけ、立ち去ろうとした。
「光に会いに行くのか?」
キュッ、と倉持の足が止まる音がする。ゆっくりと振り向くと、倉持も驚いた顔でこちらを振り向いたところだった。
「…だったらなんだよ」
図星だったらしい。まあ、バレバレだけど。
「言っとくけど、文句言われる筋合いはねーぞ」
わかってる…。
会ってるということは、光も倉持を受け入れているということ…。
「チッ…鬱陶しいな。ほっとけよ」
そしてそういい捨てて、倉持は寮を出て行った。
俺はしばらくそこに立ち尽くした。やがて廊下の窓から、外の駐車場のほうへ向かう倉持の背中が見えた。
光に会いに…行くのか…。
いや…俺には関係ない。
俺は踵を返して歩き、トレーニングルームに入った。中では数人の選手たちが思い思いにトレーニングをしている。
俺もダンベルを持って、窓際の空いているマットに移動した。筋トレを始めてすぐに、ライトをつけた高級車が駐車場から出ていくのが見えた。
あいつを今追いかけていけば…光に会えるかもしれないんだよな…。
…って…何考えてんだ俺。そんな、ストーカーみたいな真似…。
…でもそうでもしなきゃ…もう二度と…光には会えない?
それか次会うときには、光は倉持と…。
それなればもう、二度と、光とは戻れないのかもしれない。
それは…
身を引き裂かれるように辛い。
とても耐えられそうにない。
どうしよう、俺。
どうかしてるかもしれない。
ガシャン、と乱暴にダンベルを棚に戻し、俺はトレーニングルームを飛び出した。そしてTシャツにジャージを羽織っただけの格好のまま、寮も飛び出した。走って通りまで出て、流しのタクシーを拾った。ドアが開くと勢いよく乗り込み、ポケットに財布とスマホがあることを確かめ、少し雨で濡れた顔を袖口で拭う。
「どちらまで?」
「あ、とりあえず…、…南区のほうに」
「かしこまりました〜」
タクシーは静かに走り出した。本当、俺、どうかしてるよな…。
けど…。
光に会えるかもしれないと…
今光が南区のあたりにいるかもしれないことがわかっただけでも…
すごく胸が熱い。