Square

#3【本当の顔】



それはきっと、最後のチャンスだと思った。










雫先輩と不二先輩が図書室を後にした時だった。


「ねぇ、越前君。ちょっといい話、あるんだけど……」


俺は気付いていた。
誰かがこの図書室にいたこと。
雫先輩は全く気付いてなかったみたいだけど。
(多分、不二先輩も気付いてたんじゃないかな。だから早く図書室出たみたいだし)


「アンタは?」
「ね。いい話、聞かない?」
「アンタは俺のこと知ってるみたいだよね?俺はアンタのこと知らないんだけど」


俺よりいくらか低い彼女。
開いてた窓からさっきまで止んでいた風が入り込む。
緩いウェーブがかかったボブの髪が揺れて、表情は笑顔のまま一つ溜息を軽く吐いた。


「意外に用心深いんだね」
「……常識じゃん?」
「……あたしは、松本加奈。三年。不二君と同じクラス」
「同じクラス…?」


変な違和感を感じた。
俺と雫先輩のやりとりと見ていたのなら尚更で。いい話、というのはきっと…。


「あたしさぁ……。不二君が好きなんだぁ」


やっぱり。
そういう事なんだ。


「つまり手を組めってこと?」
「いい勘してるじゃない」
「アンタが隠れてて、俺と雫先輩のやりとり全部見てた上でのいい話なんて」
「手を組むってことしかないってことか」


意外にも簡単に自分の魂胆を暴露した松本先輩。
この人は、不二先輩だけが目的なのか?
正直、そのニヤリとした表情だけじゃ……そうは思えないけど。


「後ねぇ〜あたし。あのコ、大嫌いなんだ」
「あのコって……雫先輩?」
「そう。相葉雫」


少し、驚いた。
雫先輩は男女共に嫌う人が少ない。
付き合ってみると分かるけど、誰に対しても分け隔てなく接してくれるからだ。

まぁ、それも仲間内の話であって、テニス部の追っ掛けみたいな人達からは正直いい思いをされてないと思うけど。


「あのコ、相葉さんさぁ……。あたしの欲しいもの全部持っていっちゃうんだもん。本当、嫌になる」
「それさぁ……アンタの価値観だけで見てるんじゃないの?」


ちょっと反抗してみる。
自分の想い人がいい事言われないのは、やっぱりいい気分じゃあない。


「価値観も何もないわよ。だってあたしの欲しいもの取っていったのは事実よ」
「よく話もしないで嫌いって言うの、どうかと思うけど」
「あら、嫌いな人と話し合うなんて出来る?」


……まぁ、言われてみればそうだ。
相入れない人と分かち合うのは難しい。

……単純に松本先輩は不二先輩を好きで。
側にいるのが自分じゃないことが嫌。
そう考えれば、俺だって同じ想いを抱えてる。

中学の時から想ってた。
俺と雫先輩との出会いは、実は不二先輩の彼女になる前で。
部活中、ボールが校舎の花壇に飛んでいったことがあった。
勿論、花壇に咲いてた花の何株が被害を被っていた。
そのボールを拾ってくれて、花壇を直してくれたのが雫先輩。


「……有難うゴザイマス」
「いいえ、越前君。はいボール」
「俺の名前……」
「あ、ごめんね。だって有名なもんだから。一年生でレギュラーって」
「……ふーん」
「じゃ、頑張ってね!ルーキー君!」


その時の笑顔が。
三年経った今も俺には忘れられない。
あれからずっと。相変わらず、俺は先輩しか見えてない。

――……手に入るものなら入れたい。

素直にそう思った。そして同時に。
これが最後だっていうことも……感じてしまった。

俺はまだアマチュアのテニスプレーヤーで。
プロになるために世界を回って試合して。
日本にいつまでもいられない訳で。
気持ちの拠り所が欲しかった。
愛が欲しかった。
それが多少なりともテニスに影響されようとも。

本当は解ってる。
雫先輩には不二先輩が一番必要なんだって。
例え学年が違くても、三年間見てきていたから。あの二人の間には、誰も入れない。

解っているけど…。
諦めきれない。


「ね。協力してよ。越前君は相葉さんだけ見てればいいんだから」
「……どういう意味?」
「あたしが不二君を引き付けてぇ、越前君は相葉さんを引き付ける。二人は離れてる時間が多くなってすれ違う!」
「自然消滅ってワケ?」
「まぁ……そんな感じ。悪くない話でしょ?」


雫先輩をあまりよく思ってないこの人と、正直手を組む事に抵抗はあった。
でも、俺自身これが最後だと思っていたから。
なりふり構ってられないと感じたから。


「……ふーん。面白そーじゃん。のってあげるよ、その賭け」


夕日の傾きは終わりを見え始め、図書室は闇に包まれ始めた。
もうこれ以上話すことはないなと思って、図書室の戸締まりをし始めようとしたら……。

松本先輩が、右手を差し出した。


「利害一致の同盟設立。宜しくね、越前リョーマ君」


松本先輩の妙に自信な顔付き。


「まぁ、宜しく。松本加奈先輩」


俺も右手を出して、握手をする。
もう後戻り出来ないんだな、と心の中で呟いた。






――……この時の俺は、自分の事でいっぱいになってた。
雫先輩を手に入れられるかもしれない。
そう思うと、胸の鼓動が早くなった。

言い訳にしか過ぎないけど……。
松本先輩の、本当の顔に気付けなかったんだ。







薄暗い、廊下。
松本先輩が足取り軽く下駄箱へ向かう。


「ふふ、意外にも簡単だったぁ!」


その笑みは何かを企んでいるようで。


「引き付けるだけじゃ、あのコも不二君も離れたりしない」


ふと足が止まる。
表情はさっきの微笑みとは打って変わって……。
そう、憎しみが込められているように感じた。


「もっと、精神的に追い詰めなきゃ……。きっと不二君はあたしの不二君にはならない」


再び歩き出す。
下駄箱に付き、靴を取り出すて外に出る。

深呼吸をして、次には寂しい表情をした。


「あたしにはもう時間がない……。あたし、不二君にずっと側にいて欲しい……」


一つ涙を流して、声も上げずに帰り道をただただ歩く。

その姿は本当にか弱くて。
さっきまでの姿なんて、想像も出来なかった。


「もう戻れない。この気持ちにも嘘はつけない。だから、だからあのコを……」


歩みが、また止まった。
今度は声を上げて、悲痛な叫びのように……。

泣いていた……。


「あのコが憎いハズなのに。何でこんなに胸が痛むの……?」


その叫びは、闇夜に照らす星と月に吸い込まれていった。

松本先輩は…。
ただ愛が欲しいだけなのかもしれない。
自分だけを愛してくれる人の愛を。

俺と同じで……。

- 23 -
*prev | *next
*Sitetop*or*Storytop*