買い出しが終わって学校に戻った時、制服姿の雫が僕のクラスの前で待っていた。
午後は二人で回ろうと約束していたからだ。
僕に気が付くと、俯いていた顔を上げ笑顔を向ける。
「周助!お帰……」
僕の後ろにいた松本が顔をだすと、笑顔だった雫の口元が不意に引き攣る。
……何だろう?
「あ、彼女さんと午後回るの?じゃ、後はいいよ〜!行ってらっしゃい〜」
「あ、うん。有難う」
離れたと思った松本が、僕の制服の袖を掴んで手を拱いた。
少し屈んだら、耳元で小さな声で囁く。
「ゆっくりしてきな〜!夕方の片付け、間に合わなければ何とか話つけとくから!」
「松本……」
「ソレにほら。嫌がらせの事?ちゃんと聞いてあげて」
僕の手から荷物を取ると、手を振り教室に入っていく。
チラリと雫の方を見たみたいだけど……僕には松本の表情までは見えなかった。
松本がいなくなると、さっきまで強張っていた雫の表情が和らいだ。
……松本と何かあったのだろうか?
「ね、周助……。今のコ、クラスのコ?」
「うん、そうだよ。松本加奈。実は小学校から一緒なんだ」
「そうなの?あたし、知らなかった」
松本の姿を追って、雫の視線が動く。
僕は小さく溜息を吐いて、雫に切り出した。
「ねぇ、雫。午後見て回ろうって言ったけど……少し話しがあるんだ」
和んだと思った表情は、一気に不安げになる。
きっと雫も話したいはず。
僕と松本が一緒にいたことを気にしているならば……。
文化祭中、誰も来ない空き教室。
お昼も食べず、二人で向かい合って数分。
重い雰囲気に耐え切れなかったのか、雫が口を開いた。
「……話しって、何?」
「あぁ……。うん、君と越前のことなんだ」
「越前、君……?」
この時の僕は。
さっきまでの焦燥感とは違って、何故か少し穏やかな気分だった。
さっき松本に背中を押された様な感じだったからかな。
「一週間前、水かけられてびしょ濡れになったんだって?」
「……ッ」
「そして越前と司書室で何、してたの?」
「何で知って……」
「僕に黙って。そんなに僕って頼りない?そんなに越前のほうがいいの?」
今、雫を傷つけてるかもしれない。
だけど……。
止まらない。
どこか冷静なのにどこか不安な僕は、今…雫を責めることしか出来ない。
胸が締め付けられる。
ギュッと握り締められているようで……痛い。
「違っ……!何もしてないッ!だってあたしの隣は周助だけだもの!」
「……じゃあ、何で黙ってた?僕には内緒にしたい事でもあったの?」
「違う!心配かけたくなかったから……。怒るだろうし……」
「怒る?そりゃ怒るかもね。でもこうやって嘘つかれるほうが余計に怒るよ」
駄目だ。
全く抑制できなくなってきた。
ただ君を守りたいだけなのに。
こんな事……本当は望んじゃいないのに。
「制服のスカート切られたのだってそうだし、階段から突き落とされたっていうのもね」
「だから……心配かけたくないから」
「嘘ついておけば大丈夫って?そんな訳ないだろう?余計に僕は心配になるね」
「周助……ッ」
「それに、イタ電や誹謗中傷の手紙も貰ってたんだろう?それも言いたくなかったの?後から聞かされた僕がどんなに……」
「周助ッ!」
「そんなに僕を困らせたい?」
ポロポロと大粒の涙が、雫の頬を伝う。
たまらなく…切ない瞬間。
この、雫の涙。流させてるのは…僕なんだ。
動悸が一気にスピードを増す。
さっきまでの穏やかな雰囲気なんてなくて、変わりにとめどない嫉妬や怒りが渦巻いていた。
雫の涙が痛いくらい切ないくせに。
「しかも助けたのが越前だなんて。雫の彼氏は誰?僕じゃないの?」
「……ッ!……だったら。だったらあの女の子は何なの?」
「女の子って……」
「さっき言ってた松本さん!周助の隣に、いつもぴったり!」
「それは班が一緒だったら嫌でも隣にいるね。不可抗力だよ」
ついさっきまで泣いていた雫が、涙を拭いながら反論をしてきた。
やっぱり、心の中では溜まっていたんだろうな。
松本を見た時の表情は、それが物語っていた。
「あたし、知ってるんだからね!周助の裾掴んだり、腕組んだり!それに、あのコの目……。あれは周助に恋してる目だった」
「だから?僕には雫だけなんだよ。松本の気持ちに全く応えるつもりないし」
「周助は良くてあたしはダメって意味分かんない!あたしだってあんなの目の当たりにしたら嫉妬するし!」
溜まっていた鬱憤が爆発するってこういう事なんだろうか。
真っ赤な顔の雫は、息遣いまで荒くなってきている。
雫も言い出したら止まらなくなってしまったようだ。
ここで僕は、また一つ溜息を吐いた。
条件反射のように、雫の体が小さく跳ねる。
「雫。雫は一ヶ月前の越前からの告白。顔を赤くして、越前の姿を目で追っていたね?」
「……え?」
この問い掛けに予想だにしなかったのだろう。
きょとんとした顔をした雫。
さっきまでの勢いは完全に失速したようだ。
「な、何のこと……?」
「じゃあアレは無意識?……それこそ恋する乙女ってヤツじゃないか」
渇いたように見えた瞳が、また潤いはじめる。
もう……泥沼のような感覚。
どうしていいか分からなくなってきた。
「僕にはあんな目、最近向けてくれないよね。僕に愛想が尽きた?」
「違う……。そんなんじゃない……」
「じゃあ何?ハッキリ言ってみてよ」
「……もういいッ!何言っても無駄だもん!周助なんか、知らないッ!」
涙を流しながら教室を出て行った。
出て行こうとする雫を追おうとした足が止まる。
今の僕に……追いかける資格なんて、ない。
怒りと嫉妬と不安で、また雫を傷つけてしまう。
これ以上、雫の涙は見たくなかった。泣かせてるのは、僕……なのに。
ただ、君を守りたいだけだった。
何でこんなことになってしまったのだろう……。
一人取り残された教室には、文化祭の喧騒が響き渡る。
僕は何も出来ずに、ただ立ち尽くすしかなかった――……。
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