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#13【気持ち】



最初から分かってた。
俺の手には入らないこと。

だから今、俺がしなきゃならないことを。





午後五時。
俺は松本先輩に呼び出されて、学校の司書室に向かっていた。


“最終段階決行。司書室に午後五時頃来て”


たった一行のメール。
俺が雫先輩に最後にすること。
不二先輩から完璧に嫌われること。
そして俺に与えられた最後のチャンス。


「もうすぐ手に入るっていうのに、ね」


心の中でブレーキがかかる。
頭では分かってるのに。
こうでもしなきゃ、先輩は俺の手に入らない。

不二先輩に向けられた、笑顔。
不二先輩だけが知ってる雫先輩。

あの笑顔が欲しくて。
その知らない雫先輩を見たくて。

俺は……。
ただ、好きなだけなんだ。
好きでたらない。雫先輩が。

立ち止まっていた俺は、意を決して特別棟の廊下へと歩みを進める。
すると暗闇に光る司書室から、激しい物音と怒鳴り声が聞こえてきた。


(この声……。松本先輩だよね?)


閉ざされた扉に、耳をそっと当てる。
扉一枚向こうでは、どうやら既に松本先輩と雫先輩が言い合いをしているようだ。

聞けばやっぱり松本先輩の一方的な想い。
今まで溜め込んでいた分、それが憎しみに変わって雫先輩を攻めつづけた。
俺はその気持ちを利用して、雫先輩を手に入れようとしてる。松本先輩もそれは同じで。

汚いやり方だと思う。
だけど……そこまでしても諦めきれない想いがある。


「でもそんなアンタを抱きたいって言ってる人がいるんだよねぇ〜。可笑しくなっちゃう」
「……え?」
「だからその人のその想いを今日叶えてあげようと思って、呼んであるんだ」


座り込んで聞き耳を立ててると松本先輩からの合図。
俺が来てることに疑いは無いらしい。

閉ざされた扉を開けると、司書室の光が俺を最初に出迎えた。
眼下に広がるのは、左頬がうっすら赤い雫先輩と……。
これからの未来に憂いて、怪しい笑顔の松本先輩。


「久しぶりッスね、雫先輩」
「え、越前君……!」
「そう、アンタへ想いを寄せる可愛い後輩の越前君。今日……アンタにこの想いをぶつけたいんだって」
「……ッ!まさか、今までの……!」
「そう、そのまさかよ。越前君はあたしと手を組んでたってワケ。お陰で不二君、心配しちゃってぇ…。可哀相だったわよ?あたしいっぱい慰めたんだから」


逃げようとした雫先輩は松本先輩に足を引っ掛けられて、その場に倒れ込んだ。
逃げられないように、俺は雫先輩に覆いかぶさる。

松本先輩の手に握られ、ぶら下がった司書室の鍵。視界に入った雫先輩の顔色が、一気に変わっていった。

そんな先輩を尻目に、俺はこっそり耳打ちをする。


(嫌がる演技、して。今は何もしないから)
(……ッ!)
(ほら、早く)


一呼吸置いて意を決した雫先輩が、少し大きな声で叫ぶ。


「……やっ!どいて……ッ!」
「逃げようたって無駄。そして内側に鍵がないココの鍵はあたしが持ってる。……言いたいことは分かるわよね?」
「閉じ込める……つもり!?」
「あ、た、り!不二君には宜しく伝えておくわ。じゃーねぇ、相葉さん。これで不二君はあたしのモノ。楽しかったわ」
「や、やだ!離して…ッ!――――……周助ぇ……ッ!!」


開かれたままの扉が閉じられ、鍵がかかる音が部屋に響く。
俺も先輩も、息を潜め扉を見つめる。

やがて松本先輩の気配を感じなくなり、雫先輩に覆いかぶさっていた体を起こすと、自由になった先輩は咄嗟に部屋の隅に逃げ込んでいった。


「……どっ、どーゆーつもり?」
「何が?」
「だってこんなこと!しかも今まであたしを騙して!」
「そうでもしなきゃ、先輩は俺を見ないでしょ?」


上目遣いをしたまま俯いた先輩は、次の言葉が出ないようだ。

そう。
こうまでして手に入れたい。ずっと思ってた。

だから。
今この状況は俺の願望そのもので。手を伸ばせば、すぐ抱きしめられるこの距離。喉から手が出るほど待ち望んでた一瞬。


「……先輩」
「え?」


ゆっくりと近づいて手を伸ばす。

隅にいる、逃げられない先輩に。

自分の手が先輩の頬に触れる。
触れたところが熱を持ってるみたいに熱くなった。熱くて、どうにかなってしまいそうな。

触れてるだけなのに……クラクラ、する。


「越前、君……?」
「既成事実……作れって言われたんだ」
「はい?」


まぁ、正確には焼くなり煮るなり何でも好きにすれば、不二先輩が雫先輩に絶望して離れるからって言われたんだけど。
この際、そんなことはどうでもいいね。

手を頬から名残惜しく服へ移動させる。
先輩が何か反論しようとした時には俺は先輩の服を大きく破いた。

破いた音が、俺達以外誰もいない部屋にやけに大きく響く。


「きゃ……ッ!な、何を……ッ!」
「だから、先輩を抱くってこと」
「な、何もしないって言ったじゃん!」
「今は、って言ったし。これから何もしないなんて限らないッスよ?」


破かれた服の間から、色白の肌が見えて。思わずそこに唇を落とす。
先輩の体が小さく跳ねて、甘い声が下りてきた。
抵抗しない雫先輩。
俺は自制心なんて言葉が頭を掠めたけど、そんなのお構いなしに今度は唇を奪おうと顔を上げた瞬間だった。

――――パシン、と渇いた音が響く。


「いった……」
「やめて!何すんのよッ!越前君はこんなことしないって思ってたのに……。酷いよ、あたしを騙してこんなことして……。信じてたんだからね?!それをこんな!」
「あー……はいはい。分かってますよ。そもそも襲う気ないから」
「そう、あたしを襲う気はないことが……って……え?」


きょとんとした顔が可愛いって思う俺も相当ヤバイけど。
俺は端から先輩を襲う気はなかった。
自制心って言葉は掠めたけど、それはこの既成事実への度合いって意味で。

利用するのは好きでも、されるのは正直嫌なんだよね。


「な……どういう、こと?」
「だから。既成事実作れって言われたから作ったまで。襲われたっぽいでしょ?」
「や、あの。おっしゃってる意味がイマイチよく分からないのですが」
「何、畏まってんの?俺、先輩に嫌われたくないし不二先輩を敵に回す程の度胸とかないし」
「後者は嘘でしょ……」
「とにかく。利用されっぱなしっていうのが嫌なだけだから。こないだ先輩からの気持ち聞いて、一応諦めたつもりだし」


そう。
あの時の、雫先輩の顔は。
もう迷ってなくて、不二先輩だけを見つめてて。俺なんかますます入る余地がないことを見せ付けられたから…。

だから一応、諦めたつもりだった。


「えっと……えーっと?でも越前君は松本さんと結託してたんでしょ?」
「まぁ、最初は話聞いて悪い話じゃないなって思ったけど。どんな手に出るか分からないから、初めから信用はしてないッスよ」
「……あたしを助けてくれたのだって、計画の一つ……なんだよね?」
「悪く言えばそうかもしれないけど。俺はそのつもりはなかったし。嫌がらせだって松本先輩がしてたって聞いたの後からだったから。それ聞いてムカついたけど」


安堵した表情と共に軽く長い溜息が漏れる。
今まで気を張り詰めていた分、一気に気が抜けたみたい。
ふにゃふにゃになって、俯いたと思ったら……。
先輩の小さな肩が、小刻みに震えてるのが分かった。


「……先輩。――……ごめん…」
「怖かった……んだから。辛かったんだから。嫌がらせされるし、周助と喧嘩しちゃうし。越前君は急に他人になるし襲おうとするし」
「……ごめん。泣かないでよ……」
「だってだって!いくらあたしが頑張っても……周助は落ち込んだままだった。どう、していいか分からないし……ッ。もうダメかと思っ、た……!」


子供のように大きな声で泣き崩れた雫先輩に、俺はそっと羽織っていたジャケットをかける。

今の俺には……抱きしめる資格はない。
この涙を止められるのは一人しかいないから。

不二先輩。

どれくらいこの状態が続くか分からないけど、早く……早く時間が過ぎないかって、初めて思った。





俺がしなきゃならないこと。

先輩を諦めること。
先輩の幸せを見守ること。

先輩を幸せにできるのは……俺じゃなかった。
未だ止まらない涙がその証拠で。

抱きしめることも出来ない俺には、ただ……見つめるしか出来ない。

そう思うと、俺まで涙が出そうだった。

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