キッチンに、まな板と包丁の軽快なリズムが鳴り響いてる。響かせてるのはあたしだけど、切ってるのはキュウリだ。
常勝と言われる立海大付属の高校テニス部は、今年も順調に勝ち進んでインターハイに出場することになった。
おかげで毎日のようにレギュラー陣は忙しい。飽きもなく練習ばっかりしてる。それは素人だからそう感じるんだろうけど、練習してる当の本人達は飽きるということはないんだろうな。
そんな練習ばかりの毎日だけど、オフは必要不可欠なわけで。今日はその日だ。完全一日オフ。朝から晩まで寝てても怒られることはない。
そんなオフの日に彼氏になにをしたいか聞けば……「一日寝ていたいぜよ」と一言返ってきた。
「雅治。お昼なにがいい?」
『焼肉……』
寝起きの雅治に電話をかけて、そして買い物に行き、冒頭になるわけだ。
いや、お昼に焼肉ってなんでやねん。せめて夕飯にしてよ。バイト代も入ったし、二人で焼肉屋行ってもいいかなーなんて思ってたのにさ。
今日の練習休みに合わせてバイトだって休んだのにさ。寝てたいってなによ。いや、それはいい。疲れてんだもん。ワガママ言えないし。
「なに荒ぶっとるんじゃ」
キュウリを最後まで切り終えたとき、思わず包丁に力がはいって思いっきりドンっという音がキッチンに響いた。
そこに雅治から声をかけられてハッとする。
いかんいかん。せめてコイツの前では大人しい彼女でおらんと。
「なんでもないよぉ!どうしたのぉ?」
「気持ち悪い声出しちょるのう……」
「はぁ?なによ。なんか文句あんの?」
あ、素が出てしまった。イライラしてるから。
ニヤニヤした雅治は、サラダを盛ってるあたしの背後に滑り込んできた。
あたしがイライラしてんのなんて、お見通しなんだろう。機嫌を取るつもりなんてないんだろうけど、お昼に焼肉丼を作ろうとしてるのは知ってるようで、あたしの機嫌を損ねると作って貰えなくなるのは理解してるようだ。
「おまん、少しは落ち着きんしゃい」
「ちょ、どこ触ってんの!」
「灯が落ち着きないき、イイコトしようと思ってのう」
ふわりとボティーソープの匂いが鼻を掠める。
寝起きでシャワー浴びてきたのか、髪も濡れたままだ。
あーあ、いくら季節が夏に向かってるところだって、風邪ひかないとは限らないのに。
あたしの頬に雅治の濡れた髪がかかる。冷たいんだちゅーの。
「あ、ね……胸揉まないで」
「気にせんでいいぜよ」
「髪、乾かして。風邪ひくって……」
「そっちも気にせんでええ」
「あっ、ちょ……」
「一度、こういうとこでやってみたかったんじゃ」
そこでなにかが切れた。あたしが。
せっかくの休みで、せっかくの焼肉丼作ろうとしてて。雅治が出かけるよりも寝てたいって言うから優先して。そりゃあ部活が忙しくなってきてから、こーゆーこと自体してないんだけどさ。
だけどさっ?!
「ねぇ。キッチンでこーゆーことしないで。あたしの手になにがあるかわかってやってんの?」
思った以上に低い声がでた。
あたしが可愛い女だったら「やっだー雅治ったらぁ〜!元気なんだからぁ〜」とか言って受け入れるんだろうけど。
……自分で思って吐き気したわ。
そもそも、そんな女とは雅治は付き合わないな。
昔、聞いたっけ。きゃぴきゃぴした女の子、好きそうだよねって。そしたら「バカな女は可愛いと思うが、惚れようとは思わん」って一瞥されたわ。
よかったー!あたしバカだけど、そーゆーバカじゃなくて。
いや、そーじゃなくて。
今だよ、今。今現在進行形のことだって。
「なんか灯が不機嫌やき、少しでも機嫌よくなってもらいたいんじゃが」
「だって!雅治のリクエストでしょ?!焼肉!丼にするのはあたしのリクエストだけど!作るの!作ってるの!作りたいの!」
「……本当は?」
「……くっ、ほんとはどっか焼肉じゃないの食べに行きたかった……」
「やっぱりのぅ。態度がそうじゃったわ」
見透かされてた。本当はご飯作りたくないの……見透かされてたわ……。
一日寝てたいのはあたしのほうだ。外でご飯食べて、家でゴロゴロしたいのはあたし。
「おまん、料理が得意じゃけえ。どうせ食うなら灯の手料理食いたいと思っちょったき。ちょっと甘えてしもうた」
「雅治……」
「よう考えてみれば、おまんもバイトで忙しいしのう。休みの日くらい、ゆっくりしたいじゃろ」
思った以上に優しく触れる雅治に、もうあたしから文句なんて言えるはずもなくて。
イライラしてたのがバカみたい。いや、あたしバカだから仕方ないか。そんなバカに優しいんだから、負担かけさせるほうがどうかしてるよね。
「ごめんね、イライラしちゃって……。なんか余裕なくて。雅治のほうが忙しいし疲れてるのにね。余裕ないから胸揉まれてイラッとしちゃった」
「…………俺はおまんのそういう素直なとこが好きなんじゃ。溜め込まんでええ。だけど」
なんか微妙な間はあったけど、雅治はあたしを軽々と持ち上げてキッチンに座らせた。
絆された瞬間、こういうことしようとする雅治に、どうせあたしは敵わないんだ。
「食うもんは食うぜよ。今な?」
「包丁持ってるよ、あたし」
「おまんなら刺されてもええ」
はぁー……お昼ご飯にって思ってたけど、焼肉丼は夕飯になりそうだ。
仕方ないからその首元に腕を回してやろう。
「なんじゃ。灯もヤル気満々じゃのぅ」
「そうさせちゃったのは雅治でしょ」
「フッ、違いない」
こんなあたしでも好きでいて。
その分、あたしも好きでいるから。
微睡みの休日は
(久々じゃき、手加減できんぜよ?)(わかってるってば。雅治に付き合えるの、あたしぐらいでしょ?)(…………プリッ)(あっ!今、元カノ数えてたなっ!)