いつもの様に家を後にして学校へ向かおうとすれば母親に肩を掴まれ呼び止められる。
「ちょっと待ちなさい。今日はこの花を持っていくといいよ」
「別にこんなことしなくてもいいのに」
私の家は花屋を営んでいる為、余った花があるといつもこうやって学校に持っていかせようとするのだ。
「何言ってるの、黙って枯らせるよりもたくさんの人に見て貰った方が花だって喜ぶでしょう」
このままだといつもの押し問答になってしまう。そう察すれば私もそれ以上は口を返さずに黙って用意された数本の花束を持って家を後にした。
学校へ持っていっても花の存在を気にかけてくれるのは先生くらいなんだけどね。もしかしてそれが母親の真の目的だったりするのか。
そんなどうでも良いことを考えながら歩いているといつの間にか学校へ着いていた。
教室へ入り鞄を机に置けば、すぐに窓辺にある花瓶の元へ向かう。前に飾っていた花を取り出して新聞紙に包んで片付ける。
その後に花瓶の水を取り替えて新しい花を生けるもクラスメイトの反応は全くなし。いつもと変わらないと思っていれば。
「ヘェー、今日はグラジオラスか縁起がいいなぁ。近々テニスの大会があるから元担ぎにいいと思ってね」
そう言って声を掛けてきてくれたのはクラスメイトの幸村君。目を細めて穏やかな笑みを浮かべながら花を愛でている姿に私はすっかりと目を奪われていた。
今まで幸村君と話すことなんてなかったし、彼はテニス部のメンバーとして既に女生徒の人気の的になっていたから。私が彼と接点を持つことなど卒業するまで決してないだろうと思っていたのに。
そんな彼が今私の目の前に居て声を掛けてきてくれたという事実をまだ受け止められずにいると。
「あっ、急に声を掛けたりなんかしてごめん、驚かせちゃったかな。でも、岡田さんがいつも綺麗な花を持って来てくれるのを楽しみにしていたから」
私の名前まで覚えてくれていたんだ。それに、私が飾る花を楽しみにする人がいたことに驚きと喜びを覚える。
しかもその相手が幸村君とくれば尚更で、初めてお母さんに感謝していた。
「あっ、ううん。そう言って貰えると持ってきてた甲斐があるなって。私も嬉しいよ……幸村君、花に詳しいんだね」
「うん、まぁね。趣味でガーデニングもしてるから」
これが私と幸村君の初めての出会いだった。
それからも私が花を持っていく度に何度か声を掛けられて、その瞬間だけが私が学校へ行く唯一の楽しみへと変わり。
「グロリオサにオダマキ…どちらも勝利や栄光を意味する花言葉を持っているよね」
「うん、幸村君達が全国制覇できるように…って、私にはこんなことくらいしかできないんだけど。それに実際戦うのも厳しい練習に耐えているのも幸村君達本人だろうから」
勢いよく話せたのも初めの内だけで、次第に声も小さくなり表情も落としてしまう。すると幸村君がフワリとあの優しく儚げな笑顔を向けてくれて。
「いや、俺は岡田さんが持って来てくれる花たちから勇気を貰ったり癒やして貰っているよ。いつも本当にありがとう」
私が幸村君のことを好きになるのは必然だった。でも、この気持ちを伝えようなんて考えは毛頭ない。
幸村君と私では釣り合いが取れる筈もなく、自分の身の程は弁えているつもりだ。ただこうして月に何度か言葉を交わせる、それだけで満足していたのだから。
けれど無常にも二年生に進級すると幸村君とはクラスが離れてしまい、僅かな接点さえも消えてしまう。もう幸村君と過ごせる時間はなくなり、他の女生徒同様にテニスコートに立つ彼へ視線を送ることしかできなくなった。
いや、これで良かったのかもしれない。余り長いこと夢の世界に浸っていれば現実に戻ってくるのが辛くなるだけだもの。
無理矢理自分にそう言い聞かせ、その他大勢の一人に戻っていく。この気持ちは自分の胸の中だけに留めておこう、そう思っていると。
「ちょっと聞いた!?幸村君が急に駅のホームで倒れたらしいよ!!」
「緊急入院になったみたいだし…」
学校中が幸村君の噂で持ちきりになってしまう。平穏な日常が一瞬にして崩れ落ちる、そんなのは漫画やドラマの中でしか起こらないものだと勝手に決めつけていた。
でも実際に自分が体験してみれば目の前が暗くなり、何処に向かって歩いていけばいいのか分からなくなる。ただ遠くから好きな人のことを見つめている、それさえも恵まれた環境だったのだと突き付けられ。
(部外者である私が直接幸村君のお見舞いに行けるわけもないし、行ったところで何の役にも立てない。でも、ただ黙っているだけなんて辛いし……)
何度も同じ自問自答を繰り返し、不毛な時間ばかりが流れていく。そんな時に店番をしていると立海の制服を着た男の子が入ってきてキョロキョロと鉢植えのコーナーを物色していた。
背中にはテニスラケットを背負っているみたいで。
「あ、あの、何かお探しですか。もしかして幸村君のお見舞いに」
いても立ってもいられなくなった私は考えなしに男の子へ声を掛けてしまった。当然知らない相手から急にこんな問いかけをされれば警戒をする。
怪訝そうな眼差しで私を見つめてくると。
「何であんたがそんなこと知ってるのさ…もしかして幸村部長のストー」
「一年生の頃に幸村君とクラスメイトだったの。それで君がテニスラケットを背負っていたから思い切って声を掛けさせて貰ったんだけど…」
「フーン…あっそ。じゃあさ、何か適当に見繕ってくれない?俺的には入院中も暇潰しで世話ができる鉢植え系がいいかと思うんだけど」
「ちょ、ちょっと待って!?お見舞いで鉢植えを持っていくのはタブーだから!!」
慌ててそう口にすると男の子は不機嫌な表情へと変わっていき。
「何でだよ、俺は幸村部長が花弄りするのが好きだって知ってるから」
「あっ、頭ごなしに否定しちゃってごめんね。君のその考え方は優しくて素敵なものだと思うよ。ただ、世間一般には鉢植えみたいに根を持つものは病も根づくって嫌われてるらしいんだ。だから今回は鉢植えじゃなくてプリザーブドフラワーにしたらいいんじゃないかな?」
「ヘェー、鉢植えってそんな意味があったのか。危ねえ危ねえ、後で真田副部長に怒やされるところだったわ。んで、そのプリなんちゃらってのはどう言う物なんだ?」
思ったよりも聞き分けのいい子で安心した。それにもう機嫌を直して、鋭く釣り上がっていた目元が今度は大きく見開いてキョトンとしたあどけない表情を浮かべている。
「えーっと、普通の切り花よりも長持ちする加工がされている物かな。水やりもしなくていいから最近はお見舞いに贈る時はプリザーブドフラワーが人気あるみたい」
「全然知らなかった。じゃあそれで頼むわ」
きっとこれは神様が私にくれたチャンス。そう思えば私は5種類の花に想いを託し、男の子には気付かれないようにそっとメッセージカードを忍ばせ。
「はい、完成。これでどうかな?」
「うわっ、すっげー。これならきっと幸村部長も喜んでくれるって!!ただ…俺あんま持ち合わせがなくて」
百面相のように一喜一憂する姿を見ると自然と笑みが溢れ。
「クスッ、千円でいいよ。君と私からのお見舞いってことで」
本当ならタダにしてもいいぐらいなんだけど、却って気を遣わせちゃうだろうしね。
「あんためっちゃいい人だな、幸村部長にも伝えとくよ!!じゃあ、あんがとな」
男の子が元気よく店を後にしていけばまた静寂が戻ってくる。
幸村君が私のことを覚えてくれているかは分からないけど……いや、彼は優しい人だから覚えてくれてはいる筈だ。ただ、私のこの気持ちが彼に届く可能性は低いだろう。
それでも、ただ黙って見ているよりは何倍もマシだ。
「ちぃーっす、これお見舞いで持って来ました」
「あれっ、今日は赤也一人だけかい?ヘェー、綺麗なプリザーブドフラワーだね、ありがとう」
「この間は俺だけ病院に行けなかったんでその代わりッス。って、やっぱ幸村部長もそのプリなんちゃらのこと知ってたんスね」
赤也からお見舞いの品を渡されるとすぐにその綺麗な花たちに目を奪われた。それと同時に赤也のセンスで選ばれたわけではないとすぐに察して。
「クスッ、そりゃあね。でもこのお花屋さんはいい趣味してるよ、まるで俺の好みを知っているみたいだ」
「なーんだ、俺が選んで決めたって言う選択肢はないんスね。まぁ確かに俺は初め鉢植えを買おうとして店員さんに止められたんスけど…」
バツ悪そうに目を逸らして頭を掻いている赤也を見ると可愛くて自然と笑みが溢れる。
「それはそれで赤也らしくて良かったかもしれないな。ただ店員さんは困っていただろうけどね……んっ?」
赤也には気付かれないように花束の中に隠されたメッセージカードの中身を確認すれば。
「そうそう、その店員って言うのが幸村部長と元クラスメイトだったらしくて。だからこの花束も大分オマケして貰ったんですよ」
「そうか、岡田さんが……後でお礼を言いに行かないとね」
ガーベラ、かすみ草、ポピー、ミムラス、ペチュニアの5種類で彩られた花束。
希望、清らかな心、思いやり、笑顔を見せて……そしてメッセージカードに添えられた言葉。
『私の気持ちをペチュニアに添えて…早く元気になって下さい』
(…あなたと一緒なら心が安らぐ、か)
気が付けば私も三年生へと進級し、美化委員として学校の花壇整備を行うのが日課になっていた。夏休み中も花壇への水やりや草むしりに通っていると。
「岡田さんも今年からは美化委員に入ったんだね。お陰で学校の花壇の手入れがよく行き届いていたわけだ」
後ろから声が掛かるとそれはずっと私が聞きたいと恋い焦がれていた相手の者で。バッとすぐに振り返るとそこに立っていたのは幸村君だった。
「幸村君体の方はもういいの、まだ入院しているのかと思ってたよ」
少しでも幸村君と目線が合うようにと立ち上がれば手についた埃も軽く払う。
「少し前に退院したばかりなんだ。テニス部の練習の様子を見に来たら先に岡田さんの姿が目に入ってね。入院中は素敵なお花をありがとう。今も大切に飾らせて貰っているよ」
「それなら良かった。幸村君は丁寧に手入れしているだろうし、花たちもきっと喜んでいると思うよ」
「ハハッ、流石は花屋の娘さんだね……花言葉にも当然詳しいんだろうし」
幸村君が何を言いたいのか大体は想像することができる。きっと私が贈ったあのメッセージカードに対する返事をずっと考えてくれていたんだろう。
「私一年生の頃からずっと幸村君のことが好きだった…本当は自分の心の中だけで完結させるつもりだったのにごめんね」
「岡田さんが謝ることは何もないよ。俺のことを好きになって貰えて嬉しいしありがとう……ただ、今の俺は自分自身のことだけで精一杯なんだ。相手のことを思いやる余裕は持てなくて…それに、テニス部のことで頭がいっぱいになっている」
「うん、分かってる。幸村君のことを困らせたくなかったのに自己満足の為だけに気持ちを伝えちゃった……この気持ちを伝えないまま卒業したくなかったから」
幸村君を好きになった事実、幸村君との細やかな思い出も忘れて全てなかったことになんてできない。傷付くことを怖がっていた弱い頃の自分は居なくなっていた。
「岡田さんは強い人なんだね。今とても素敵な顔をしているよ…君なら大丈夫。これから先素敵な出会いが待っている筈だ。これを君に」
そう言って差し出されたのはガーベラの花で作られたブックマーカー。黙ってそれを受け取ると互いに笑みを浮かべる。
あぁ、これで私の恋は完全に終わってしまったんだ。でも、幸村君を好きになったことを後悔なんてしない。
最後まで本当に優しくて素敵な人だったから。あなたを好きになって本当に良かった。決して忘れはしない私の大切な思い出。
散っては再度咲き誇る花のように、私もまた新しい恋の蕾をつけよう。
さよなら、幸村君。
はい!頂きました!幸村様!こちら、相互させて頂いてる湊朱音様より、相互記念で書いて下さいました幸村様です。
わたしが悲恋にならないお別れ物という、何とも難しい注文をしたにも関わらず、素晴らしい出来の幸村様……!自分でお願いしたにも関わらず、くっついてくれ…………!と心の中で泣きました。
こんなに素敵幸村様、頂いちゃっていいのか分からない程ではございますが、本当にありがとございました〜!
湊朱音様のサイトは、当サイトBKMより“宝玉華”のお名前で載させて頂いております!この度は誠にありがとうございました!