案の定、少し怒気のこもった声で加奈は電話の向こうで喋りはじめた。
『ちょっと。どこでなにやってるのよ?』
「ごめん。写真を撮りに、海まで出てきたんだ」
『はぁ?!海?!何それ!返信もないし、いい加減にしてよねぇっ?!』
「うん、ごめん。夢中になりすぎた」
『全く……!あたしからの連絡は、仕事じゃないかぎりすぐ返信する約束でしょ?!なによ!今夜のディナーどこにするか相談したかったのに!』
「あぁ、そんな時間だったね……。加奈、悪いけど今夜は無理そうなんだ」
『はぁ?!』
「夢中になりすぎて、波を頭から浴びちゃって。ちょっと帰れそうにないんだ。だから今夜だけお友達とディナーできないかな?」
相当電話の加奈の声が大きいのか、音漏れしてる会話を相葉さんが青ざめた顔で聞いている。
さっきまであんな可愛い顔、していたのに。
少し可笑しくて、知らず知らず笑みが溢れてしまった。
『なにが可笑しいのよっ!!』
「あ。いや、ごめん。こっちのこと。で、どうする?」
『仕方ないわねっ!いいわよ!その代わり、明日はしっかりとディナー用意してよね!』
「うん、ごめん。ありがとう」
そこでブツッと乱暴に電話が切れた。
見合わせた僕達は、一緒になって長いため息を漏らす。相葉さんにとっても、加奈と僕の会話は緊張せざるを得ないようだ。
「想像してた倍ぐらいキッツいですね……。びっくりした」
「あぁ、彼女?」
「いや、失礼ですけどよくこんな方と七年もお付き合いされてましたね……。あ、現在進行形か」
「いや、まぁ……。今日みたいに反抗しなければ面倒なことはないんだけどね」
「あたしだったらすぐ文句言っちゃうな……。頭きちゃいますもん」
「初めて会ったときも怒ってたしね、相葉さん」
「や!アレは……!だっていきなり写真撮られてるの分かったら怒りません?!」
「前の教室の人達は怒らなかったけどな」
「それってあたしが短気って言いたいんですか」
「そこまで言ってないよ」
「目が言ってますぅー……クシュッ!」
あぁ、すっかり加奈の電話のせいで忘れてたけど、僕達はびしょ濡れだった。
もう夕日はとっくに影を潜め、オレンジ色だった空色は宵闇が迫り藍色のグラデーションで色づいてる。
確かに寒い。海風が濡れた肌を小さく刺してくるようだ。
「ごめん、寒いよね?とりあえず海岸線に戻ろうか」
「うぅ〜……これからどうしましょう……」
「まぁ、なんとかなるよ。ここは海だし旅館やちょっと行けばホテルもあるだろうから」
「ほ、ほてる……」
「……。なに考えてるのかな?」
「えっ?!いや!別に?!!」
「明らかにホテルって単語に反応したよね?なに想像したの?」
「してません!してません!」
「本当に?なにも?」
「〜〜〜ッ!い、行きますよッ!ほらっ!」
真っ赤になった顔と手を左右に振り、今度は僕の腕を持って海岸線まで引っ張る相葉さん。本当に可愛くてたまらない。
クスリ、と笑って僕はそっと肩を抱き寄せた。さっきまで激しく動いてたのに、とたんに小さくなって大人しくなる。
今までの作り笑いじゃない。本当に心から顔が綻ぶ。
こういうことが好き、ってことなんだろうな。
あぁ、加奈よりも。誰よりも。僕は相葉さんを好き……なんだ。
これが本当の、愛……なんだ。
これからどうなるか分からない。
けど……僕は本当の自分になるために。ペトルーシュカにならないために。
一つの覚悟を心に決めた。もう、迷いたくない。- 35 -*prev | *next *Sitetop*or*Storytop*