ペトルーシュカに花束を

40.



周助さんから婚約者さんに電話があってすぐ、婚約者さんは慌てながら出ていった。

壁にかかってる時計を見ると、あと数十分で日付をまたごうとしてる。
あれから二時間半くらい経ったのかな。


「な〜雫ちゃーん。飯、食ってくれよ。じゃないと俺が加奈に怒られるじゃねーか」
「……いりません」
「せっかく手足自由にさせてやったのに、それくらい言うこと聞いてくれたってよくね?」
「いいです」
「もー加奈のヤロー!いつ帰ってくんだよ〜」


見張り役、としてあたしをさらった男の人が、婚約者さんの代わりにこの家に居座ってる。
携帯を壊された今、逃げようとしてもなかなか難しい状況だからなのか、トイレ行きたいと言ったらすんなりと手足の拘束を解いてくれた。


「加奈には雫ちゃんに手ぇ出すなって言われてるからさぁ〜!せめて飯くらい食ってくれよ」
「だから、いらないです。食べたくないんです」
「もーそんなワガママ言ってっと、オレ……なにすっかわかんねーよ?」


痺れをきらした男の人は、今まで見たことがないくらいの鋭い目付きであたしを睨んできた。
少し反抗しすぎたかな、と思ったけど……食べたくないもの食べたくない。お腹減ってないもん。
この状況にアドレナリンでも出てんのかな。


「なにするかわからないって、なにするつもりなんですか」
「ふははっ!おもしれーな、雫ちゃん。この状況でやることっつたら一つしかなくね?」
「こ、こんなチビ襲ったとこで、あなたにとって汚点しか残りませんよっ」
「いやー?結構イイ体してっからよ。そんなことねぇと思うけどなぁ。加奈より胸デケェし」
「……ッ!」
「ハハ、顔真っ赤にしてぇ〜。可愛いとこあんじゃん?」


じりじりと男の人が近づいてくる。
さすがにヤバい。挑発しすぎた。素直にご飯食べておけばよかった。
逃げられないのもわかる。抵抗しても意味ないこともわかってる。

でも、婚約者さんがいつ帰ってくるかわからない状況の中で、手を出すとも思えなくて。
あたしに手を出したらお金もらえないって愚痴ってたし。


「少しぐらい見せてもらってもバチ当たんねぇと思うんだけどなぁ!」
「ちょ、やめ……」
「可愛こぶってんなって!」


着ていたコートの下、ニットセーターに手がかかった。
いつの間にか男の人にはハサミが握られていて。
あたしは咄嗟に腕を掴んだけど、意味が全くなかった。力づくでセーターがハサミで切られ、ビリビリと音をたてる。


「……ッ!」
「おーおー!いい姿になったねぇ、雫ちゃん〜!インナーも邪魔だなぁ〜」
「や、やめ……」


男の人は持ってたハサミを捨てて、今度は両手であたしのインナーに手をかける。
ビリッと裂ける音が耳に入って、もうダメだ……と目を固く閉じたときだった。

勢いよく扉が開く音が部屋中に響いた。


「なにやってんのよ!アンタ!」


扉を開けて入ってきたのは、婚約者さんだった。
それも血相を変えて。出ていったときの余裕の表情なんて一つもない。むしろ青白いくらいだ。


「アレ、加奈〜!遅せぇじゃねーかよぅ!」
「手ぇ出したら報酬はなしって言ってあったわよね?」
「だから出してはねぇよ。暇だったからちょっとイジメてただけだって!」
「ふん。もういいわ、コイツ放っておいて逃げるわよ」
「は?」
「周助に……あの人に全部バレてたのよ。少し落ち着くまで海外にでも行ってましょう。一応、あたしの車とアンタの車二台で移動するわよ。今アンタの車しかないから、あたしの家まで行って……」
「おいおい、そんなん逃げて大丈夫なんかよ。逃げて解決すんのか?」
「周助が落ち着くまでよ!とにかく、今は逃げないと……。コイツ探しに時間かかるだろうから、その内に……」


どうやら周助さんが立てた計画。上手くいったみたいだ。
そう――……。いつか絶対にあたしに手を出すだろうと周助さんから打ち明けられたのは、あの泊まった日のこと。
あれからあたしは、色んなことを覚悟して臨んできた。謹慎処分受けるまで、周助さんから婚約者さんにバレてること言われなかったけど、危ない目に合うかもしれないってことは散々言われてきた。
すごく謝られたけど、もう謝らないでって約束もした。

周助さんをこの人から救いたい。
その気持ちだけで十分だった。

婚約者さん。
色々と思いあぐねても無駄だと思う。
きっとあの人は、こんな簡単に逃がしてはくれないハズだから――……。

慌てる婚約者さんと男の人がここから逃げる話をしてると、開け放たれてたドアから強くて白い光が差し込んできた。
眩しくて見てられない。けど。

靴が鳴る音と共に、人影だけは確認できた。


「そういえば、ここに家を建てたって加奈のお父さんから聞いてたな。まさかここに雫を連れてくるなんてね」


何年も隣にいて、気づかなかった?
あなたは周助さんのなにを見ていたの……?

ほら、ね。
逃げることなんて、できない。
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