きみのその唇から、その声で。
呼ばれたいだけ、なんだ。
「ねぇ、不二君」
僕のことを雫はそう呼ぶ。
付き合って二ヶ月。雫の告白から始まったこの関係も、こうやって並んで帰ることに慣れてきた。
木枯らしが吹き始めた、冷たい季節への扉をくぐれば、いつの間にかお互いに手を繋ぐことにも躊躇いはなくなっていて、あとは僕の名前を呼んでもらうだけ、になった。
僕は早々に雫を名前で呼ぶようになったけど。
名前で呼ばれてる当の本人は違うらしい。
「ん?なぁに?」
「いつもより元気ないように見えるけど、なんか疲れた?練習が大変だったとか?」
「そんなことないよ。いつも通り」
手が繋がれた先、雫を見やれば……その顔はかはり不安げ。
そんな表情で見上げる雫も悪くない……と思う僕は、かなり末期かもしれない。
思わず口角が上がってしまうほど、僕はきみのことを強く想っているから。この先にある、お互いの帰路につく瞬間が嫌になるぐらいに。
不意に雫から強く握られる手は、僕を心配してのこと……なんだろうね。だったら少し、僕はきみに甘えてもいいのかな?
「…………いつも通りじゃないかも」
「え?!やっぱり!風邪でも引いた?最近寒くなってきたもんね。大変、暖かくして……」
「あぁ、大丈夫。体調はいつも通りだから」
「え?」
「なんだと思う?」
少し意地悪な質問をしてみた。
雫が、この今の蟠りを抱いてる僕に気付いてくれたのなら……少し困らせてみたくもなった。
どうせなら色々な顔が見たい。きみのその染まる頬と薄紅色の唇。
雫はどんな表情を見せてくれるのかな。
きっと僕の知らない顔ばせは、たくさんあるはずだから。
「う、うーん?そ、うだな……。あ!英二君と喧嘩、したとか?」
「英二?ふふ、英二は関係な……いや、なくはないか」
「えっ!!」
「つまり、こういうこと」
握りしめる雫の手を、僕の顔の高さまで持ち上げた。なんの抵抗もなく持ち上がる雫の手。
不思議そうに見つめるその瞳に、僕は緩やかに視線を送った。少し強ばる握ったその小さな手に、空気が触れるかのような音を奏でて口付けを施す。
雫の体が小さな反応を示せば、次にもれてくるのは甘い吐息と僕の……。
「……っ、不二、く……」
「それ」
「……へ?」
「僕の名前」
「え?不二君……?」
「違うでしょ?」
唇を添えた指を、軽く何度も吸いあげた。きっと響いてるだろうその音に、きみは体を捩らせて、まるで許しを乞うてるよう。
でも離れない手は、きっとこの先のなにかを待ってるから……だよね?
頬は赤く染まりきり、既に耳までその色を伸ばしてる。少し潤んだ瞳。それが僕の悪戯心に火をつけること……きみは知っているのかな。
いや、知らないだろうね。だって吸い上げる指が震えてる。期待と不安が混じりあったような、そんな表情は僕も初めて見るから。
「……ッ、も……」
「ねぇ、雫。英二は名前で呼ぶのに……僕のことは?」
「……や、ぁ、やめ……」
「恥ずかしそう、だね。でも、辞めてあげない」
「なん、……ッ、で」
「僕の名前、呼ぶまではね」
指と指の間を舌先で少し滑らせると、雫の体はこれ以上なく大きく反応した。その反応がたまらなく艶やかで、もっと見たいと場所を変え、角度を変え、ゆっくりと追い打ちをかける。
人通りがないとはいえ、ここは通学路。誰かに見られるかもしれない非日常的な刺激に、僕も雫も背徳感に苛まれそうにもなる。
でも。だからこそ。
甘い吐息がもれるその唇から、その可愛らしい声で呼んでほしい。
僕の名前を。恥ずかしげに呟いて。
「ン、……ッ、し、周助……」
「ふふ、よくできました」
「……も、なんで……こんなこと……」
「どうせなら色んな雫が見たいじゃない?」
物足りないとばかりに顔をあげたから、抱き寄せてはその鼻先をお互いに触れ合わせる。
離れようと藻掻く雫に、僕は少し力を込めて抵抗した。こんなに近くても、焦る雫の顔はよく見える。
「ね、ダメだよ……ここ、道路……」
「今は誰もいないよ?」
「そういう問題じゃ……」
「だって雫がして欲しそうだから」
「……ッ!!」
「違うの?」
「……ち、違わ、ない、けど」
恥ずかしげに目をそらすきみは、なんて可愛らしいんだろう。僕の恋は間違っていなかったな、なんてどこか誇らしげにも思ってしまう。
「目、つぶって?」
「……ぇ」
「つぶったら……僕の名前、呼んで」
「…………周助」
それはまるでご褒美かのように。
瞼をゆっくりと閉じ、僕の名前を小さく呟く雫の唇を。その動きに合わせるかのように、緩やかに重ね合わせていく。
吐息が混じって、気がつけば僕の舌先は、雫の歯列をなぞり上げていた。
たどたどしく開いた歯列から少し無理に捻じこめば……先にある雫の舌とゆったり絡みあう。
大きく体を震わせ、絡まる音でますます僕の心臓は高鳴っていく。止まらない。止めたくない。
「ふっ……ッ、ん……」
「初めて……見る顔だ。いいね」
「……や、だ……」
「もっとしてって言ってるようなもんだよ?その顔」
「だって……こんなの知らないもん……」
「そう?じゃあ、もっと教えてあげるよ」
「……えっ?!!」
「だからそれ以上……僕以外の名前、呼んじゃダメだよ?」
「も、う……周助のバカ……」
もう一度、その瞳が閉じれば。
もう終わりが見えない甘い時間。
きみがそっと囁く僕の名前は、まるで心の枷を外す鍵のよう。
囁けばきっと。
(あ、英二君……もダメ?)(え?)(周助、呼んじゃダメって……)(あぁ、そうだね。本当はそうしたいとこだけど)(……けど?)(まぁ、いいよ。英二なら。単細胞だから無害だし)(……英二君の言われようが酷い……)(これでも英二のことは信頼してるからね)(………………)(本当だよ?)- 14 -*prev | *next *Sitetop*or*Storytop*