Law route 01


 最後の心臓キューブを手に入れるためにハートの海賊団が降り立ったのは、一面銀世界の冬島であった。柔らかい雪の絨毯を踏めば、ふかりとブーツの先が沈んでいく。雪国独特の研ぎ澄まされた冷たい空気は、ナマエの生まれ故郷のものとよく似ていた。


「ナマエ寒くない?」
「うん、平気。寒さには慣れてるから」


 白い吐息を漏らしながらチラつく細雪を見上げていれば、ベポがこちらに声をかけてきた。船員たちが皆厚着をしている中、全身に毛があるためか、彼だけはいつもと同じオレンジ色のつなぎ一枚を身に纏うだけである。「ベポこそ、寒くない?」とナマエが問うも、彼はぶんぶんと首を横に振った。


「おれは全然!多分すぐ戦闘になるだろうからできるだけ身軽な方がいいし」
「標的の潜伏先まで一時間くらい歩くぞ」
「えっ!そうなの?」
「ああ。ちゃんと準備しとけよ」


 ふいにベポの後ろから現れたローの姿に、ナマエの心臓がどきりと跳ね上がる。膝枕をした日以来、何やら妙にローのことを意識してしまっており、彼の顔を見ると途端にむず痒い感覚に陥ってしまうのだ。
 過去の傷を癒そうと本能的に次の相手を求めているのか、はたまたごく自然にローと関わるうちに芽生え始めた感情なのか。ナマエはまだその感情の名を決め兼ねていた。

 そんなナマエのことなど知る由もないローは、続いて現れたシャチとペンギンたちと島の地図を見ながら二言三言会話を交わす。そしてふいに顔を上げたかと思えば、ナマエの方に視線をやった。


「ナマエ、お前はハクガンたちと船で待機だ。戦闘終了後、怪我人が出れば船に運ぶから手当てを頼む」
「はい、分かりました」
「・・・それと、」


 投げられた言葉にナマエが頷けば、ローは少し何かを言い淀み、そのまま口を噤んだ。そんな彼の発する空気に気がついたのか、シャチとペンギンは「じゃあおれたちは色々と用意があるんで〜」と白い歯を見せると、クエスチョンマークを頭に浮かべるベポを引きずって船へと戻っていった。

 三人の姿を見送るや否や、ローは被っていた自分の白い帽子を脱ぎ去ると、薄らと積もっていた雪を軽く叩き落とす。そしてそのままそれをナマエの頭にすっぽりと被せた。
 サイズが少しばかり大きいためか、それはいとも簡単にナマエの視界を遮る。ほんのりと感じるぬくもりが妙に生々しく、ナマエは頬を少し染めながらも帽子の鍔を上げ、ローを見上げた。


「預かっといてくれ。帰ってきたら、お前に話さないといけねェ事がある」


 射抜くようなローの瞳に、今度はナマエが唇を横に結んだ。
 話とは例のレポートのことだろう。いよいよ己の過去に関わるかもしれないものと、正面から向き合わなければならない時が来たのだ。
 自分がどうしたいのか、どうすべきなのか。三日間という猶予の間で、ナマエはもう覚悟を決めていた。このまま流れに身をまかせる弱いだけの自分ではいたくない。
 小さく息を吸い込むと、ナマエはローの灰色の瞳をじっと見据え、ゆっくりと口を開いた。


「無事を、祈ってます」


Law route 01


 ローたちを見送ってから三時間後。ナマエは船に戻ってきた船員たちの手当てに勤しんでいた。激しい戦闘になるかと思いきや、標的の海賊団は船長の心臓キューブが取られるや否や即座に降参してきたそうで、結局小競り合い程度で済んだらしい。
 そのため負傷といっても皆軽い傷程度で、気がつけば残りはペンギンの手当てをするのみとなっていた。


「いってェー!染みるー!!」
「あと少しなんで、もうちょっとだけ我慢してくださいね」


 甲板でペンギンの頬の傷に消毒液を染み込ませた綿を当てれば、彼は子供のように足をバタバタさせながら歯を食いしばる。ナマエはそんなペンギンの反応に思わず苦笑しつつも、そのまま傷の上から真四角の大きな絆創膏を貼りつけた。


「うるせェな」
「大袈裟ァ」


 ベポとシャチは待機中にナマエが船員たちのためにこさえたおにぎりを頬張りながら、そんなペンギンに対して呆れた視線を送っていた。


「なんだよ!おれがあの時意を決して突っ込んで行かなかったら、心臓キューブ取るのにもっと時間かかったんだからな!」
「もうそれ何回も聞いたし」
「じゃあもっと褒めろよ!!」
「すごいすごーい」
「きぃー!!もういい!ナマエちゃんに褒めてもらうから!!」
「へ?」


 感情のこもっていない一本調子の賞賛の声。そんな二人の態度を受けて、不満そうにペンギンは金切り声を上げると、そのままナマエの方へと話を振った。片付けをしながらもきょろきょろと周りに視線を泳がせていたナマエは、突然の投げかけに思わず間抜けな声をあげてしまう。
 そんな様子を見て、合点がいったようにペンギンは口元を緩めると、彼はちょいちょいとナマエを自分の方に手招きした。そしてまるで内緒話をするかのように、ナマエの耳元に薄い唇を寄せる。


「キャプテンなら怪我ないよ」
「・・・え、と」
「後処理済ませたら帰ってくると思うから、安心して」
「・・・はい」


 先程までのおちゃらけ具合は何処へやら。どうやら未だ姿を見せないローを探していたことに目ざとく気づかれてしまったらしい。
 ペンギンの言葉に安心したようにナマエがこくりと頷けば、彼はそのままナマエの頭の上に乗ったローの帽子ごとポンポンと優しく撫でる。
 すると次の瞬間、周りに青い膜が覆ったかと思えば、目の前から忽然とペンギンが居なくなり、代わりに少し眉間に皺を寄せた仏頂面のローが現れた。
 ローの能力によって甲板から船着場に一瞬にして身体を移動させられたようである。思わずナマエが上を見上げれば、ポーラータング号の甲板からこちらを見下ろすベポたちの姿が見えた。


「キャプテンおかえりなさいー!」
「しばらく戻らねェ。宴でもなんでも好きにやっとけ」
「アイアイキャプテンー!!」
「ごゆっくり〜」


 宴だ!とやんややんや騒ぎ出す船員たちの声を背に、ローはナマエを一瞥するとそのまま黙って歩き出す。言葉にはしないものの、着いてこいといっているのは一目瞭然で、ナマエは慌ててローの後を追いかけた。
 いつの間にか雪は止んでおり、代わりに雲の合間から少し赤みがかった空が覗きだす。

 一定の距離を保ちつつ、双方無言のまま港から十分は歩いただろうか。高台に続く坂道を登っていれば、肌を撫でる風が時折強くなってきているのを感じた。地面の雪と一緒に風が帽子を攫っていってしまいそうで、ナマエは慌てて頭上に手を伸ばす。しかし、あと一歩遅かった。
 帽子は風に煽られると宙に舞い上がり、そのままローとナマエの間にぱさりと音をたてて落ちる。雪を踏みしめながら慌てて帽子の元に進めば、前を歩いていたローが何事かとこちらに振り返ったのがナマエの視界の端に写った。

 一面の真っ白な雪、雪の上に転がる白い帽子、そしてロー。ナマエの脳内に、ビリリッと電流が走ったように映像が流れ込む。


『ねぇお母さーん!誰か倒れてるー!』

 雪の中に埋もれる大きな男と少年に気がつき、母を呼び寄せる幼い自分。近くに落ちていた白い帽子を拾うと、ナマエは男に背負われていた少年の顔をのぞき込んだ。
 息絶え絶えに呼吸する少年の顔は、まるで真っ白な絵の具で塗り潰されたかのように、所々に白斑がある。


 流れてきた映像はそこまでだっだ。瞬間的に蘇ったこの記憶は、恐らく空白の一年のものだろうと本能的に悟る。ばくばくと上昇し出した心拍数に息を飲みながら、ナマエはローの帽子を雪の上から拾い上げた。
 何かとても大切なことを思い出そうとしている気がする。なぜ手の中にあるローの帽子と同じものが、自分の記憶の中にあるのだろうか。
 思わずじっとローの帽子を眺めれば、裏地に何かが縫い付けられていることに気がつく。ローのものにしては不釣り合いな、ハートを型どった色あせた赤い生地に、ナマエはなぜだか見覚えがあった。


『約束だよ。私のこと、忘れないでね』

 幼いナマエの頬に流れる涙を拭ってくれた少年は、渡された手作りのハートの形の御守りを大切に握りしめると、涙をこらえながら白い歯を見せて笑う。

『ああ、約束だ。必ず元気になって、お前に会いに来る』



 欠けたものを補完するように、次々と脳内に流れてくる記憶たちに、ナマエは思わず小さく息を吸った。かちかちと、彼方に散らばっていた記憶のピースが綺麗にはまっていくような感覚。
 ああ、この少年のことを、私は知っている。
 そう思った瞬間、例の耳鳴りとかち割るような鈍痛が頭を駆け巡り出した。そして燃え盛る炎がピリピリと肌を焼く感覚とともに、か細い母の声が聞こえてくる。


『ごめん、ね・・・ナマエ。でも・・・それがお母さんの、っ・・・信念だったから。後悔は・・・ないの』


 血溜まりの中に沈む母の顔。安らかに笑う顔は、母に関する最後の記憶だった。


『・・・あなたも、自分の守りたいものを・・・守ってね』



 ふらりとよろけたナマエの元に駆け寄ってきたローは、手を伸ばすと彼女の腕を力強く掴んだ。それによって沈み行きそうになる意識が一気に現実に引き上げられる。そしてローの灰色の瞳とナマエの瞳が交差した刹那、バチンとナマエの頭の中で何かが弾け飛んだ。
 雪が地面に溶けていくように、降り注いだ記憶の欠片が自分の中にゆっくりと吸い込まれていく。気がつけば耳鳴りや頭痛は消え去っており、ナマエの頬を一筋の涙がゆっくりと流れ落ちていった。


「おい、どうし・・・」
「・・・ロー、っわたし」
「・・・っ!お前、もしかして」


 こぼれ落ちた言葉に、ローは思わず壊れ物を触るかのように空いた手でナマエの頬に触れた。涙がローの無骨な指を伝い、地面の雪に溶けて消える。


「・・・全部、思い出したのか」


 ようやく絞り出されたローの声に、ナマエは頬にある彼の手に己の手を重ね、小さく頷いた。
 ナマエの記憶の中で蘇った少年と、目の前のローの顔がリンクする。幼い頃、ほんの少しの期間だったが共に過ごした大切な人。病に侵され命の灯火が消えかかっていた少年と、こうして大人になってまた再会できた奇跡にナマエは目を瞬かせた。


「っ・・・約束、守ってくれてたんだね」


 次々と溢れ出す涙を拭うナマエの言葉に、ローは思わず彼女を掻き抱く。ただひたすら抱きしめる腕に力をこめるローに、ナマエは己の首筋にかかる彼の黒髪をやんわりと撫でた。
 この再会は偶然か必然か。取り戻した過去を噛み締めながら、ナマエは再び空から降り始めた柔らかい雪を見上げた。