Law route 02



「大丈夫だぞ、ロー。おれが絶対なんとかしてやるからな!」


 暖かい体温と落ち着く声色に、ローは朦朧とした意識をなんとか保ちながら小さく頷く。オペオペの実の取引が行われる島に向かう道中、食料を手に入れようと降り立った島で吹雪にあい、コラソンはどうにか休める場所がないかとローを背中に背負いながら歩を進めていた。
 つい一時間ほど前、立ち寄った村で助けを求めてみたが、村人たちはローの顔を見るや否や皆何かの伝染病ではないかと恐れをなして扉を閉ざしてしまった。数々の心無い言葉や扱いによって心が凍ってしまいそうになる度、コラソンの優しさがそれを溶かしてくれる。けれど己の身体と心がすでに限界が近づいていることを、ローは幼いながらに理解をしていた。


「・・・コラさん、もういいよ。おれを、置いていって」
「馬鹿言え!!あとたった三週間なんだぞ!諦めるな、ロー!」


 何度言ってもこの男は諦める気などさらさらないらしい。ただひたすらその長い足で雪を掻き分けていけば、ようやく吹雪の地帯を抜け出すことに成功する。視界が霞むほど舞い上がっていた雪は姿を消し、雲の隙間から差し込む光が地面をキラキラと照らしていた。

 ほっと安堵のため息をついて安心したのも束の間。突然横殴りの突風が吹き、ローの帽子が風に攫われ空高く飛ばされていく。それに気がついたコラソンは「あ!」と慌てたように声をあげると、宙を彷徨う帽子を見上げながらわたわたと慌ててそれを追いかけだした。
 正常な状態であればいつもの彼のドジっぷりを危惧して「前を見て走れ」とローがすぐにでも注意をしていただろう。けれど高熱に浮かされたローはただ、右へ左へ揺れるコラソンの肩にしがみついているのに必死だった。
 案の定、目の前の岩の存在にまったく気づかないままコラソンは雪に足を取られると、そのままその岩に向かってダイブし、硬い岩に頭を勢いよく打ち付けた。
 薄れゆく意識の中でも、ローをなんとかして守ろうとしたらしい。ローを背負ったまま、うつ伏せの状態で真綿のような柔らかい雪の上に倒れこむと、コラソンはそのままぴたりと動かなくなってしまった。


「・・・コラさん?」


 背中のローが声をかけてみるも、すっかり伸びてしまっているらしく、コラソンから返事は返ってこない。普段の彼なら先程の打撃くらい屁でもないだろう。けれど吹雪の中、ローを背負って数時間も彷徨ったことから疲労が重なっていたのか、そのまま意識を飛ばしてしまっていたようだった。
 生憎自分の身丈より何倍も大きい男を運んで進む術を、ローは持ち合わせてはいない。ドクドクと正常に心臓が動いていることからすぐにでも目を覚ますだろうと、ローは横目で雲の切れ間から現れた青い空を見上げた。
 
 己の口から吐き出される荒い呼吸が、白い蒸気となって空に吸い込まれていく。このまま死ねば、天国にいる両親や妹に会えるのだろうか。ついそんなことを考えていれば、ふいにざくざくと雪を踏み鳴らす音がローの耳に飛び込んできた。


「ねぇお母さーん!誰か倒れてるー!」


 雪の中に反響する幼い少女の声。どんどん近づいてくる足音は、明らかにこちらに向かってきている。


「大丈夫?」


 足音が近くで止まったかと思えば、突然にゅっとローの目の前に少女の顔が現れる。大きな目にあどけなさの残る顔。歳はローより少しばかり下だろう。
 少女はただ目を丸めながら、こちらを不思議そうに眺めていた。落ちていたのを拾ってくれたのか、その小さな手にはローの帽子が握られている。
 「助けて欲しい」と声を出そうにも、なぜか口からすんなりと言葉が出てこなかった。高熱のせいなのか、はたまたコラソン以外の人間をもう信用できないという防衛本能が働いたのか。ローはただじっと、少女の顔を見つめることしかできなかった。


「ナマエ!」


 ふいに聞こえてきた声に、少女は弾けるように顔を上げてローの視界から消えた。ざくざくと雪を掻き分ける足音と共に、こちらにまた一人誰かが近づいてくる気配がする。ローの意識が続いたのはそこまでであった。


Law route 02


 パキンッと薪が割れた音によって、ローは意識を一気に覚醒させた。見知らぬ天井、パチパチと暖炉で薪が燃える暖かい部屋、かけられた肌触りの良い毛布。一気に五感に飛び込んでくる情報をぼやけた脳で処理をしていれば、ふいに「あっ」という小さな声がローの耳に飛び込んできた。


「起きた!」


 寝かされているベッドの横で、小さな椅子に座って分厚い本を開いていた少女がこちらを眺めていた。確か、雪の中でコラソンと自分を見つけてくれた少女。相変わらず大きな目を瞬かせると、彼女はおもむろに立ち上がった。


「お母さんとコラさん呼んでくる!」


 息巻いたように告げると、彼女は座っていた椅子に本を置いて部屋を去っていく。コラソンの名を聞いて、彼も無事だということを理解したローは、ようやく生きた心地がした。
 それと同時、ゆっくりと身体を起こしながら部屋の中を見渡す。戸棚に並べられた薬品や薬剤、それに所狭しと本棚に収まる分厚い医学書。恐らくここは診療所だろうか。少女が椅子に置いていったものも、よく見ればローも読んだことのある薬草に関する医学書であった。きっと少女の関係者が医者か何かで、そこに運び込まれたのだろう。
 そんなことを考えていればドタドタという大きな足音と共に部屋の扉が開かれ、勢いよくローの寝るベッドへ巨体が飛び込んできた。


「ロォォォ〜〜〜〜〜!!!!よがっだー!!目ェ覚ましたー!!!」


 いい大人のくせに涙と鼻水で顔をべしょべしょに濡らしたコラソンが、おいおいと泣き声をあげながらローを抱きしめる。共に過ごすうちにこのオーバーな感情表現には些か慣れてきたところではあったが、寝起きにこれはなかなかにきつい。やめてくれと言いたくとも、カラカラに乾いた喉からはまともな声が出てこなかった。


「お前、丸二日も目ェ覚まさなかったんだぞ!?熱もずっと高くて、ほんとにもう駄目かと・・・!」
「はーい、ストップ」


 矢継ぎ早に飛んでくるコラソンの声を、パチンと両手を打ち合わせた音が静止をかける。いつの間にかコラソンの後ろには女性の姿があり、白衣姿から彼女が医者だということをローは理解した。


「コラソンくん、積もる話の前に先にローくんの容態を診察させてちょうだいね」
「・・っ!!わ、悪りィ先生!!」


 女性の声にコラソンはすんなりとベッドから降りると、邪魔をしないよう縮こまるようにして薬棚と本棚の間に収まった。それを微笑ましくに眺めていた彼女は、ローの前に来ると一瞬にして表情を変える。「少し触らせてもらうね」と断りを入れて聴診器を耳につけると、女性は真剣な表情でローの心音などに耳を傾け出した。
 されるがままに色々と診察を受けていれば、扉が開いて先程の少女が顔を覗かせる。ゆらりと湯気のたつマグカップを片手に慎重に部屋に入ってきた彼女は、口をへの字に曲げて隅に縮こまるコラソンを目に入れるや否や、吹き出したように破顔した。


「コラさん、隅っこにギューってなってて変なのー!!」
「しーっ!今、先生が診察してくれてるから静かにしねェと!!」
「あはは、もう大丈夫よ。はいっローくんもお疲れ様。ナマエ、ローくんにお白湯あげて」


 恐らく医者が母親で少女はその娘なのだろう。少女は「はーい」と返事をすると、ベッドの近くまで来てそのままローにマグカップを渡してくる。
 軽く会釈をしてそれを受けとると、ローは少し息を吹きかけて冷ましてからゆっくりと口に含んだ。じんわりと身体の中を染み渡っていく温かさに、ようやく一息がつけた気がする。


「・・・ありがと」


 ローの方をじっと見つめる少女にそう声をかけてやれば、彼女は白い歯を見せてただ照れくさそうに笑った。


「ローくん。寝起きで申し訳ないけど、少し話せそう?」
「・・・うん」
「そう、良かった。しんどくなったりしたらすぐ言ってちょうだいね」


 労うように少女の頭をポンポンと撫でながらそう言うと、女性はカルテに何かを書き込みながらローに向き直った。

 女性の名はアリア。そして少女の名はナマエ。北の海にある小さなこの島で診療所を開いており、母子二人で九年前からここで暮らしているそうだ。
 たまたまナマエがローとコラソンを見つけものの、母親が駆けつけた時にはすでにローは意識を失っていたらしい。しかし反対にちょうどコラソンが目を覚ましたため、彼から事情を聞いて急いで診療所に連れ帰ってくれたそうだ。


「・・・事情はコラソンくんからあらかた聞いたわ。三週間後にスワロー島の医者に君の治療をしてもらえるよう、手筈を整えているそうね。私ができるのは、そのスワロー島に行くまでの延命治療ってところなんだけど・・・」


 アリアの言葉にローはコラソンの方をちらりと見やれば、彼はただ真顔のままローに小さく目配せをした。オペオペの実のことは易々と他人に話していい内容ではない。さらには自分が珀鉛病ということは伏せているのだろう。
 彼女がローを目の前にしても今までの医者たちのように少しも怯える様子がないことからそう判断していれば、その考えはすぐさま覆された。


「症状を見るに・・・君、珀鉛病よね?・・・フレバンスの生き残り、なのかしら?」


 どくりとローの心臓が跳ね上がった。焦った様子で「先生ェ!」と声を上げるコラソンの姿が視界の端に写る。けれどアリアはけしてローから目線を外さなかった。
 真っ直ぐとこちらに向けられる彼女の視線が語るものは、畏怖かはたまた軽蔑か。過去に受けた罵声や恐怖の眼差しを思い出して、ローの呼吸はどんどん荒くなっていく。ああ、駄目だ、もうこれ以上何かを言われてしまえば本当に心か壊れてしまうかもしれない。
 そう思った瞬間、ふいにアリアの手が伸びてきたかと思えば、そのまま彼女はローの頭をゆるりと撫でた。思わずアリアを見れば、彼女の頬からは一粒の涙が流れ落ちていた。


「・・・私の友人もフレバンスの出身で、珀鉛病が原因で亡くなったの。その時私は、何もしてあげられなかった・・・」
「っ・・・」
「・・・ごめんなさい。懺悔のようになってしまうけれど・・・助けられなかった友人の代わりに、少しでいいから貴方の力になりたいの」


 優しくそして強く紡がれた言葉に、ローは嗚咽を漏らしながら涙をこぼした。
 コラソン以外に自分を人扱いをしてくれた者に会ったのは一体いつぶりだろうか。鼻水を啜りながら「ありがとう」とローが声を振り絞って呟けば、アリアはほんのりと目を赤くしながらもニッと歯を見せて笑ってみせた。


「この島からならスワロー島まで三日もあればたどり着くわ。二週間と少し、貴方の命は私に任せてちょうだい」


 そんな二人のやりとりを見て感極まったのか、事の顛末を見守っていたコラソンが突然おいおいと泣き声をあげ出し、彼の声が部屋中に響き渡った。
 人が泣いているのを見ると、案外冷静になれてしまうらしい。ローが思わず呆れ顔でコラソンを眺めていれば、ふいに小さな手がそろりと伸びてきて、布団の上に置かれていたローの両手をぎゅうっと握りしめた。
 先程まで静かに母親の後ろに隠れていたナマエが、にこにこと嬉しそうな笑顔でローを見上げている。白い痣が全体に広がる手を躊躇無く包み込むナマエの行いに、ローは思わずはっと小さく息を吸った。


「ローがうちに来てくれて嬉しい!村には大人しかいなくて、毎日つまんなかったの!」


 「ローくんは遊びに来たんじゃないのよ」と母から注意を受けるも、嬉しさのあまり緩む顔を元には戻せないのか、ナマエはぴょんぴょんと飛び跳ねた。


「私の友達第一号だよ、ロー!」


 そう言って綻んだナマエの笑顔は、ローの心の中に深く刻み込まれたのだった。