Law route 03


 ローとコラソンがアリアとナマエの家で世話になり始めて数日が経とうとしていた。
 この島は小さな集落が至る所に点在しているそうで、アリアの医者としてのメインの仕事は訪問診療であった。そのため彼女はいつも午前中にローの様態を確認し検査などを済ますと、子電伝虫を片手にすぐに犬ぞりを走らせに仕事に出かけていく。
 ナマエといえばいつもならば母に着いていくか、もしくは近くに住む村の老夫婦に面倒を見てもらっているそうなのだが、ここ数日は家にローとコラソンがいることから、共に家に残る選択をしていたようだった。

「コラさん危ないよー!!」

 ふいにナマエの声が聞こえたかと思えば、ガッシャーンという大きな音と共に「わ゛ー!!!」とコラソンの叫び声が鳴り響く。
 かれこれ朝からもう五回目であろうか。恐らくまたコラソンがドジって何かしでかしたということは想像にかたくない。しかしアリアから絶対安静を強く言い渡されていたため、ローはただ部屋から聞き耳をたてることしかできなかった。
 最後の叫び声が聞こえてから十分は経過しただろうか。家主から「興味があるなら好きに読んでいいよ」と許可されていた医学書の本をめくっていれば、トントンと部屋の扉がノックされる。返事をすれば、扉からひょっこりとコラソンとナマエが顔をのぞかせた。

「ロー、気分はどうだ!?」
「大丈夫だ。熱も下がってる」
「良かった!飯は食えそうか?」
「うん」
「よし、じゃあみんなで昼飯食おう!」

 コラソンがそう言うと、彼の足元にいたナマエがじゃーんと手に持っていたトレイを誇らしげに掲げた。大きな皿には大量のおにぎりがのっており、大きさも形もばらばらなそれらは、丸とも三角とも言い難い少し歪な形をしている。

「これはツナひじきでしょ。こっちは鮭で、あと梅干しもあるよ。ローはどれがいい?」
「・・・梅干し以外」
「じゃあツナこんぶと鮭だね」

 ナマエはそう言うと取り皿の上におにぎりを二つ乗せるとそれをローに渡してくる。礼を言って受け取れば、彼女は大きな目をきらきらさせてローがそれを食べるのを今か今かと待ち構えていた。
 注がれる視線に気まずさを覚えながらも「いただきます」と呟き、ぱくりと小ぶりなおにぎりにかぶりつく。意外にもいい塩梅の米の硬さである。さらにはツナとひじきという初めて食べる組み合わせながらも、ローの口には合っていたようで、あっという間にぺろりと平らげてしまった。

「味どうだった?」
「・・・美味かった」
「ほんと?やった!ツナとひじきのはお母さん直伝のやつなんだ」

 ローの返答に安心したのか、先程まで不安げだったナマエの表情は一気に晴れ渡った。ぴょんぴょんと嬉しそうにはね回ると、ナマエはそのまま「お茶とお味噌汁取ってくるね!」と満面の笑みで部屋を飛び出して行く。
 それを呆気に取られた表情で見送っていれば、二人の様子をただ黙って見ていたコラソンがようやくベッドの横におかれた椅子に腰をおろした。

「ナマエな、お前に元気になって欲しいって一生懸命作ってたんだぞ」
「・・・ふーん」
「いい子だよな、本当に」

 ぽつりと呟かれたコラソンの言葉に、ローはふと初めて彼女と出会った時のことを思い出す。
 誰しもが気味悪がり、珀鉛病と知るや否や恐れをなしてしまうような姿の自分の手を、ナマエは躊躇無く握ってくれたのだ。たったそれだけのこと。けれどそれだけでも、今まで受けたローの心の傷はほんの少しだが癒されたような気がした。
 傍にいてローのために奔走してくれているコラソン。己の命を守ろうとしてくれているアリア。そして凍った心を溶かしてくれるナマエ。全ての出会いは必然か偶然か。
 ローは二個目のおにぎりを頬張りながら、とうの昔に見限っていた神の存在を、また少しだけ信じてみようと思い始めた。



Law route 03



 ゴリゴリと木鉢で何かを擦る音が室内に響き渡る。時折「ん?」「あれ?」「えーっと」と言葉が漏れ出てくるも、ナマエは相変わらず真剣な顔つきで本と睨めっこをしながら作業台で手を動かし続けていた。
 しかし先程からあまりよろしくない香りが部屋の中を漂っている。果たして大丈夫なのだろうかと、ローはベッドの上で読んでいた医学書から目線を上げ、ナマエの後ろ姿を一瞥した。

 現在ローの部屋となっている医療室。アリアは午後からは外の往診に出かけているため、ローは比較的に部屋で気兼ねなく過ごせていた。コラソンはといえば、家に滞在させてもらっている間はせめて家事などをまかせてくれと家主に申し出たようで、洗濯や料理などドジを連発しつつも何かと忙しく働いている。そのため時折顔をのぞかせたり、食事の配膳をしにはくるものの、あまり部屋に長居をすることはない。
 その代わり医務室に入り浸るようになったのがナマエであった。最初はローの体調を鑑みて母親に止められていたのか、ほとんど姿を見せなかったのだが、ローの体調が安定して起きて過ごせるようになると、気がつけば彼女はしょっちゅう部屋に姿を現すようになっていた。
 今朝も朝食を食べたあと、コラソンとともに片付けを済ませるとすぐさま医務室にやってきて、先程から作業台で何やら薬を調合しているようだった。

「おい」
「なぁに?」
「なんか変な匂いしてんぞ」
「やっぱり?・・・順番間違えちゃったのかな。ねぇロー、この説明の意味って分かる?」

 思わず声をかければ、ナマエは眉をしかめながら本を片手にローのいるベッドへと近寄ってくる。彼女の小さな指が指し示す箇所に目をやれば、いくつかの薬草の名前が羅列してあり、細かく精製方法も記載されていた。

「材料はカルダモンとキャラウェイ、あとリコリスだろ」
「うん、材料は合ってる」
「ここ。先にオイルに浸すって書いてるけど間違えてねェか?」
「あーっそれだ!ありがとうロー!」

 ざっと目を通して間違えていそうなところを指摘してやれば、ナマエは目を瞬かせながらローに礼を述べるとすぐさま作業台へと戻ってく。
 ここ数日、医務室に入り浸る彼女がしていることといえば、薬草などに関する本を読んでいるか薬の調合を試しているかのどちらであった。基本的にむこうから話しかけてくれば返事は返していたのだが、自分からは本当に必要最低限の会話しか発していない。しかしながら、さすがのローも毎日顔を合わせるナマエのことが色々と気になり始めていた頃であった。

「なぁ」
「ん〜?」
「お前、母親みたいに医者になりたいのか?」

 思わずローがそう声をかければ、椅子の上で勢いよく身体を反転させながらナマエはこちらに振り返る。初めてローから話題を振ってきたのがよほど嬉しかったのか、喜びを隠せないような表情を浮かべながらナマエはふるふると首を横に振った。

「ううん。私は医者じゃなくて薬剤師になりたいの。おっきくなったらお母さんのお手伝いがしたいんだ」
「・・・薬剤師」
「うん、だから今は薬草とか薬の調合の勉強をしてるの。ローは将来お医者さんになりたいんでしょ?」

 恐らくコラソンから聞いたのであろう。人のいない間に勝手に、と心の中で呟きながらもそう問うてくるナマエの言葉にローは小さく頷いた。
 すると彼女は椅子から降りてそそくさとこちらに寄ってくる。そしてベッドの縁に乗り出すようにもたれかかると、ぐいっとローの方に手を突き出してきた。
 たてられた右手の小指。いわゆる指切りのポーズを取ってくる彼女に怪訝な顔を向ければ、ローの事などお構い無しにナマエは満面の笑みを浮かべていた。

「約束!絶対元気になって、お医者さんになってね」
「・・・は?」
「私も頑張って薬剤師になるから!そしたら大人になっても、どこかでまた会えるかもしれないでしょ?」

 彼女なりの励ましの言葉なのだろう。未来に繋がる言葉をかけられ、ローは思わず息を飲んだ。
 故郷から命からがら脱出して、ドフラミンゴの元へ訪れたのが三年前。その時からついこの間までは、死ぬことに恐れなど抱いたことはなかった。
 けれどコラソンに出会って彼の優しさに触れたこと。オペオペの実の存在を知ったこと。そして、こんな自分でも生きて欲しいと願ってくれる人たちの存在が現れたこと。それら全てを目の前にして、気がつけばこの先も生きていたいと願うようになってしまっていたのだ。少しでも希望があるのならば、今は夢くらい見てもいいだろうか。
 ローは恐る恐るナマエの指先近くに自分の小指を伸ばす。触れてもいいものかと躊躇する暇などなく、そのままナマエはローの指に己の指を絡ませると、にこにこと嬉しそうに笑顔を浮かべた。


***


 そんな出来事からまた数日後−それは吹雪の夜の日だった。眠りについてどれくらいの時間が経っただろうか。朧気な意識の中、グズグズと誰かが泣く声がローの耳に入ってきた。
 寝ぼけ眼のままベッドから起き上がると扉を開け、ローはそのまま音の方向へと導かれるように歩き出す。食卓テーブルの並ぶリビングへ行くと、そこに音の主の姿があった。
 灯りも付けずに椅子の上で丸く縮こまって泣きじゃくるナマエの姿。彼女の後ろの壁に掛けられている時計は、すでに夜中の0時を指していた。

「・・・どうしたんだよ」

 思わず声をかけたものの、ナマエは顔を膝に埋めたまま何も言わない。こんなことになっている理由に、ローは心当たりがあった。彼女の母親のアリアが今晩、家に帰ってきていないからである。
 いつものように犬ぞりで片道一時間ほどかかる村に診療に向かったアリアであったが、夕方から猛吹雪となり、家に戻ることができないため、今晩は村に泊めてもらうと電伝虫で連絡が入ったのだ。
 晩御飯までは普通に振舞っていたナマエではあったが、寝る時間が近づくにつれてだんだんと元気が無くなっていき、その様子を見かねたコラソンが「もし不安なら同じ部屋で寝るか?」と声をかけたが、彼女はただ首を横に振った。それが蓋を開ければこうである。
 眠りの深い体質のコラソンは恐らく今この状況に気づいてはいないだろう。ローは思わずはぁと深いため息をつきながら、ゆっくりとナマエの方に近づいた。

「・・・一人だと寝れねェのか?」

 ローの言葉にナマエは弾けるようにして顔を上げた。濡れた目からは大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。

「・・・トイレで起きたら、吹雪で窓がガタガタいってて・・・、一人で寝るのっ・・・怖くなっちゃったの」

 すんすんと鼻を赤くしながら口をへの字に曲げるナマエの姿は、まるでひとりぼっちになってしまった頃の自分と重なって見えた。彼女と自分の年齢差は確か四つと聞いている。まだ九歳の少女に泣くなと強く言うのも忍びなく、ローは自分の頭をかきながらナマエの方に手を差し出した。

「コラさん起こして一緒に寝てもらうか、おれと寝るか、どっちが選べ」

 背に腹はかえられぬ。本来であればそのようなことを申し出る性格のローではないのだが、彼女をこのまま一人で放っておけるほど冷徹な人間でもなかった。

「・・・っローが、いい」

 くしゃっと顔を歪ませて手を伸ばしてくるナマエの手を取ると、ローはそのまま彼女を医療室へと連れていった。
 部屋に着くと、ローは落ち着きを取り戻した様子のナマエにベッドに入るように指示をする。彼女は大人しくそれに従い、壁側にちょこんと収まった。
 勢いで提案したものの、いざ一緒に寝ると思うと少し恥ずかしさが出てくるもので、ローも極力ナマエに近づかないよう身を縮めて布団にもぐる。肩が触れるか触れないかの距離。吹き荒れる吹雪が窓を揺らす音だけが部屋に響き渡っていた。

「・・・ロー」
「・・・なんだ」
「あのね・・・手、握ってもいい?」
「・・・」
「・・・寝れない時、お母さんにいつも握ってもらってて・・・」

 こうなればもうヤケクソだと、ただ黙ってナマエの方に右手をくれてやれば、彼女は「ありがとう」と小さく呟いて遠慮がちにローの手を握った。
 ローよりも幾分か小さい手。出会った日にも彼女は躊躇することなく己の手を握ってきたが、自分のこの斑に白くぬけた皮膚を気味悪いと思わないのだろうか。

「・・・お前さ、おれが怖くねェのか?」

 そう思わず呟けば、一拍置いて「なんで?」とナマエの不思議そうな声が返ってくる。

「なんでって・・・肌、白いし・・・移っちまうんじゃねェか、とか」
「珀鉛病って移る病気じゃないんでしょ?」
「・・・そう、だけど」
「肌が白くても普通でも、ローはローだよ」
「・・・っ」
「おにぎり美味しいって言ってくれて、いつでも私の話ちゃんと聞いてくれてたでしょ。・・・それに、今もこうやって心配して傍にいてくれてるもん」

 思わずナマエの方に顔を向ければ、今泣いた烏がもう笑っていた。闇夜に瞬く星のように煌めくナマエの瞳から、ローは目が離せなくなる。紡がれた言葉とともに、ローの手を握る小さな手にギュッと力が籠ったのが分かった。

「だから全然、怖くないよ」

 ふわりと笑うナマエの笑顔。ああ、彼女は自分の望む言葉をどうしてこうも簡単にくれるのだろうか。思わず涙ぐみそうになる目を閉じて、ローは必死に感情を飲みこむ。その代わりにナマエの手を強く握り返した。

「ねぇ、ロー。もうひとつお願いしてもいい?」
「・・・なんだよ」
「子守唄、歌って欲しいの」
「子守唄って・・・羊飼いのやつか?」
「うん、それ。眠れない時、よく歌ってもらうから」
 
 先程までのしんみりした感情が全て吹き飛ぶようなナマエの提案に、ローは目を見開いた。
 ナマエの言うそれは、北の海に伝わる伝統的な子守唄で、ローも幼い頃両親に歌ってもらっていたし、ロー自身も妹によく歌ってやっていたものだ。この歳になって歌うことを強請られるとはと、思わずナマエを見やれば、彼女はただ期待の眼差しをこちらに向けていた。

「駄目?」
「・・・ほんとにそれで寝れんのか?」
「うん」

 そう言われてしまえばやるほかないだろう。ローはナマエの手を握ったまま身体を横に向けると、向かい合わせのまま、空いた手で彼女の肩をぽんぽんとリズム良く叩いてやる。かつて同じように妹にやっていたことを思い出し、少し胸の奥底が軋んだ。

 ローが子守唄を口ずさめば、ナマエもそれに合わせて同じように歌い出す。寝かせるための歌なのにその本人が歌うなんて、余計目が冴えてしまうのではないのか思ったが、それは杞憂であった。
 四番の歌詞に差し掛かる頃には、ナマエの目はトロンと下がり出し、小さな口が閉じていく。そしてローが最後まで歌い終われば、ナマエはすやすやと寝息をたてて眠ってしまっていた。

「・・・おやすみ、ナマエ」

 噛み締めるように初めてその名を呼ぶ。安心したように眠るナマエの寝顔を見て、ローは彼女の手を握ったままゆっくりと目を閉じた。