Law route 07



 王下七武海入りしたことにより入島を許されたパンクハザードに向かうローと、ローの帰りを待つべくベポの故郷であるゾウへ船を進める船員たちの二手に別れることになったハートの海賊団。ついに迎えた別れの日、空には晴天の青空が広がっていた。
 ベポに力強くハグをされ、シャチやペンギンと拳を交わし、船員たちに囲まれるローの姿をナマエは一人遠巻きから眺める。その手には、ローのビブルカードが握られていた。


『これを持っておけ』


 イッカクの様態が安定し、そろそろ女部屋に戻ろうかと考えていた日の朝。ここ数日、子守唄を歌ってローを寝かしつけ、そして彼の腕の中で目を覚ますことが日課になっていた寝ぼけ眼のナマエに、ローは小さな紙切れを差し出してきた。


『これ・・・ビブルカード?』
『知ってんのか』
『うん、お父さんに昔作ってもらったやつを私も持ってるから』


 手を離せばローの元に飛んでいってしまいそうなそれを握りながらナマエがそう告げれば、彼はまるで猫を撫でるようにベッドの上でナマエの髪の毛を弄ぶ。


『ならあとでお前のやつも寄越せ』
『え?うん、分かったけど・・・ローのやつ、私が持ってていいの?』
『ああ、これがあればお互いの安否も分かるだろ』
『うん・・・そう、だね』


 さも当然のように、さらりと告げるローの言葉にナマエは思わず唇を噛み締める。ああ、いけない、きちんと言葉にされない限りは特別扱いされているなんて独りよがりで思っては駄目だ。
 返事をしながら自分の中の邪念を抑え込んでいれば、ふいにローの指先が降りてきてナマエの耳に触れた。ローから贈られたゴールドのピアスが彼の爪先にあたり、カチっと小さな音を鳴らす。


『パンクハザードで事が済んだら、おれはそのままドフラミンゴのいるドレスローザに行く』
『・・・うん』
『・・・ゾウで皆と待ってろ』


 ローが無事に戻ってこれますように。口に出せない思いを胸の中でそう神に祈りながら、ナマエはただ小さく頷いた。
 そんな一週間前の出来事をぼんやりと思い出していれば、ふいにローの視線がこちらに向いていることに気がつく。ベポたちが己の名を呼ぶ声に釣られ、ナマエは少し遠慮がちにローを取り囲む皆の輪の中に入った。


「なに一人で黄昏てんだよナマエ〜」
「ごめん、ちょっと考え事してて・・・」
「ナマエちゃんがいないとキャプテンすぐ不機嫌になるんだからちゃんと近くにいなよ」
「・・・おい」
「ナマエは私が責任もって守るんで、安心して行ってきてくださいね!」
「・・・ああ、頼んだ」


 やんややんやと騒がしい船員たちの声にローは少しため息をつくも、その口元は緩やかに弧を描いている。心温まるこの場所を−・・・ローの大切な居場所の一員になれたことに幸せを噛み締めながら、ナマエはただまっすぐにローを見つめた。


「いってらっしゃい、ロー」


 
Law route 07



「もう寄るとこねェ?」


 ベポの声に、ナマエは薬品リストに目を通しながらうーんと小さく唸り声をあげる。
 ローとハートの海賊団が二手に分かれてから早四日。ゾウに向かう道すがら最後の補給をしようと立ち寄った島でナマエはベポやシャチ、ペンギンたちと買い出しに出ていた。
 ローの離脱によって現在船医がいない状態のため、薬品などを多めに備えておきたいものの、まだ手に入れられていない薬草がいくつかあったのだ。島には薬草を取り扱う薬局が二箇所あると聞いている。


「今いるところから少し歩くことになるけど、もう一つの薬局にも寄っていい?ゾウにどれだけ滞在するか分からないから、念には念を入れておきたくて」
「うん、大丈夫だよ」
「じゃあおれとペンギンは先に船に戻っとくな。食材買出し班も戻ってきてるはずだがら、船の最終チェックを早めにしねェとだし」


 そう言って荷物を持ち帰ってくれるペンギンとシャチと別れると、ベポとナマエはそのまま街の中へと繰り出す。比較的大きなこの島は温暖な気候で観光スポットがいくつかあることから、中心街はたくさんの人でごった返していた。
 ナマエは人ごみの中でにょっきりと飛び出るもふもふした後ろ姿をただ一心に見つめ、置いてけぼりをくらわないようひたすらに追いかける。ベポについて行くことに必死で、自分の横を通り過ぎていく人の顔を見る暇もなかったことから、その存在に気づくのが遅れたらしい。
 ふいに横から誰かにぐいっと腕を引っ張られ、そのまま後ろから抱き寄せられる。突然の思わぬ出来事に悲鳴が喉から出そうになった瞬間、ナマエの耳元で懐かしい声が響き渡った。


「っ・・・見つけた」


 緩やかにウェーブのかかった金色の髪の毛が、さらりとナマエの頬に落ちてくる。耳障りの良い低音の声、そして暖かい陽だまりのような安心する香り。振り返らなくても分かる。思わずごくりと喉を鳴らしながら、ナマエは己の背後にいる人物の名をゆっくりと音にした。


「・・・サボ」


 彼の名を呼ぶと同時、ナマエの腹に回っていたサボの腕の力がぎゅっと強くなった。
 同時、「アチョー!!」という叫び声が大通りに響き渡り、こちらに突進してくる白い塊がナマエの視界に映る。それがベポであるということをナマエが認識する前に、サボはナマエを抱きかかえたまま、一気に後ろへジャンプし、ベポからの攻撃をいとも簡単に避けた。


「ナマエにィ〜〜!!触るなァ〜〜!!」
「なんだ・・・ミンク族か?」


 これほど敵意むき出しのベポを見た事がない。殺気を放ちながらこちらを睨みつけるベポの姿を見て、通りにいた人々は蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
 続けて攻撃を繰り出してきそうなベポに、ナマエは慌てて制止の声をあげた。


「っベポ、だめ!!この人、私の知り合いなのっ」
「へ!?そうなの?・・・ってよく見たら、あれ?なんか見た事ある顔だな」


 さっきまでの怒り狂った姿は何処へやら。いつものつぶらな瞳に戻ったベポは、ナマエの頭上にあるサボの顔を見るや否や、こてんと首を傾けた。きっと手配書か何かで見た事があるのだろう。
 どすどすと駆け寄ってくるベポを前にしてもサボの腕がナマエの腹から離されることはない。恐らくこのまま「私は元気でやってるよ、じゃあまたどこかで」などと軽い挨拶を交わして別れることは許されないだろう。


「・・・ベポごめん。少しだけ、この人と二人で話す時間が欲しい」
「えぇ!?二時間後には船出すよ!?」
「うん、分かってる。それまでに絶対戻るから・・・悪いけど残りの薬草の買い出しを頼まれてくれる?ごめんね」


 おろおろと眉を下げるベポに詫びを入れながら、ナマエは握っていた薬品リストをベポに手渡した。そんなナマエの言葉を聞いてか、やっとサボの腕が緩るみ、ナマエは彼の懐からするりと抜け出す。そしてようやく正面からサボの顔を見ることができた。
 久方ぶりに見るその顔は、少しやつれたような気がする。懐かしくもあり、そして当時の苦い気持ちも蘇るその黒い瞳は何を語るのか。サボはきゅっとシルクハットを深くかぶり直すと、ナマエの手を取り「少し歩くぞ」とおもむろに歩き出した。


「っ・・・ナマエ!絶対帰ってきてね!?約束だよ!!」


 切羽詰まったように投げられたベポの声に、思わず振り返る。そして薄く笑みを浮かべながら小さく頷くと、ナマエはサボの歩みに合わせて均等に並べられた石畳の上を進んで行った。



***


 サボに連れてこられたのはホテルの一室であった。恐らく任務の途中で使用している場所なのだろう。人目に付きにくい薄暗い路地裏にあるホテルは、古いながらもアンティーク調の家具で揃えられており、趣ある雰囲気を醸し出していた。
 部屋に着くまで、サボは何も話さなかった。ただ逃がさまいとこちらの手を握る力だけは相当強く、愛用の革手袋がシワにならないかと心配になるほどである。
 部屋につくとサボはようやく手を離し、シルクハットを脱ぐとそのままベッドの縁に腰かけた。そして両手で口元を覆うと、視線を床に向けたまま深い息をつく。何かを思案している時に床をつま先で弾く癖は変わっていないらしい。サボの革靴は先程からトントンと一定のリズムを刻んでいる。
 恐らく時間にすれば一分にも満たなかっただろう。ぴたりとそれが止むと同時、扉の前に立ちす尽していたナマエを見据えると、サボは自分の横をぽんぽんと軽く叩いた。


「とりあえず、話そう。おれもお前も、多分・・・本質的なことを話せてない」
「・・・うん」


 ナマエは噛んでいた唇を離して小さく返事をすると、サボの言葉に従って彼の横に腰を下ろした。
 つい半年も前であれば一番居心地の良い場所だった彼の隣が、まったく違う色を見せている。関係性が変わるとこうも様変わりしてしまうのかとナマエがしばらく言葉を詰まらせていれば、先に口を開いたサボであった。


「さっき一緒にいたの・・・海賊だよな。確かあのマークは、賞金首で最近王下七武海入りした・・・トラファルガー・ローが率いているハートの海賊団か」
「・・・うん。色々あって数ヶ月前からお世話になってるの。入団したのは、ほんの数週間前なんだけど」
「お前が海賊になってるとは予想外だったよ。どおりで見つからねェわけだ。コアラと二人で思い当たる節を色々探してみたけど、なかなか手がかりが掴めなくて・・・」
「・・・そう、なんだ」
「お前がいなくなってから、ずっとコアラが荒れててさ。あいつ、革命軍に来て初めてできた友達がお前で、ナマエのこと大好きだったろ?マコモの爺さんになんで止めてくれなかったんだって泣きついたりして、ほんと大変だったんだぞ」


 乾いた笑い声と共に紡がれる話にナマエは思わず服の裾を握りしめる。懐かしい者達の名を聞くだけで涙腺が緩みそうになるのを必死で堪え、ナマエはただ聞くことだけに徹していた。
 そんなナマエの様子を見かねてか、サボは返事などは期待していない様子で、そのまま言葉を続けていく。


「ドラゴンさんも『辞表はきちんと受け取ったから問題ない』としか言わねェし、ほんと嫌になっちゃうよな。任務から帰ってきたら部屋が突然もぬけの殻になってて、部屋に置いてたはずのお前のビブルカードもなくなってて。挙句の果てに、誰もお前の行先を知らない状態だなんて・・・」


 ふいにサボの声が震え始めていることに気がつき、ナマエは思わず面をあげる。顔を下に向けていたサボの目元には透明の雫が溜まっており、床にはぽつぽつと小さなシミができていた。
 なぜ、サボが泣いているのだろう。自分の存在がずっと彼を苦しめていたはずなのに。自分がいなくなることで、彼は堂々とカナリアと手を取りあって歩めるはずなのに。
 ようやく顔を上げてこちらを見たサボの目は真っ赤になっており、そんな彼の様子を目の当たりにして、ナマエはただ混乱していた。


「・・・なぁナマエ、なんでおれに黙っていなくなったりしたんだ?」


 絞り出された言葉に、ナマエは己の体温が一気に上昇したことを感じた。
 革命軍を辞める前から今まで、必死に忘れようと、心を無にして奥底に閉じ込めていた感情が次々と溢れ出す。ああ、もう駄目だと、ナマエはひたすら制御していたものを全て手放すしかなかった。


「っ・・・私がっ邪魔者だった、から」
「・・・は?」
「・・・私がいたから、サボはカナリアちゃんの気持ちに答えられなかったんでしょ?私がいなくなったら、貴方が幸せになれるって・・・、私に縛られている人生を、もう送って欲しくないって・・・そう思って」


 とめどなく溢れ出てくる涙を拭うことすらせず、一気に気持ちを吐露する。
 一方的に気持ちを吐き出されてもサボが困惑することなど分かっていた。けれど、この気持ちを止める術をナマエはもう持ち合わせていなかった。


「お父さんのことで、サボが私に負い目を感じてることを利用して・・・貴方に無理矢理、二年も恋人のように傍にいてもらった。ずっと、っ・・・サボのことが好きだったから、最初はそれでも幸せだなって思って、ずるずる関係を続けてしまって・・・」
「・・・」
「でも、本当は早く辞めなくちゃって・・・。サボが、私のことを好きじゃないってことも、本当は分かってたのに・・・」
「・・・なぁ、ナマエ」
「ごめんね、ずっと私が傍にいることでサボが苦しい思いをしてるって分かってたのに・・・自分の感情を優先して知らないフリを決め込んで・・・」
「・・・っナマエ!」


 ふいにナマエの声を遮るように、サボの大きな声が部屋に鳴り響く。思わずはっと息を飲み込めば、勢いよくサボに引き寄せられ、そのまま彼の腕の中に強く抱き締められていた。


「・・・邪魔者だと思ったことなんて、一度もねェよ。むしろお前がいなくなって、・・・っおれがどんだけ泣いたと思ってんだ馬鹿。お前はほんといっつも周りのことばっか考えて・・・自分のこと全然大事にしねェんだから」
「・・・っ」
「ごめん・・・カナリアのことはきちんと話してなかったおれが悪い。・・・あいつのことは、わざと泳がせてたんだ。ドラゴンさんとおれのことをよく思ってねェ内部の奴が画策して差し向けていたことが分かって、大元の尻尾を掴むまでわざと罠に引っかかっているフリをしてて・・・」
「っ・・・そんな、私なにも聞いて・・・」
「万が一ナマエに危害が加えられたらと思って、あえて伏せてたんだ。でもまさか、それが裏目に出るなんてな・・・」


 告げられた真実にナマエは涙が溜まった目を瞬かせる。掛け違えてしまったボタンを一つずつ元に戻すように、自分の中で爆ぜていた感情がサボの声によって凪いでいくのを感じた。


「・・・それにな、あの時傍でお前を支えようって決めたのはおれの意志だ。情とか負い目とか、そんなもん、一つもねェよ。おれはただ、ナマエのことを一番近くで守りたかったんだ。お前のことが・・・純粋に一人の女の子として、好きだったから」
「・・・っ!嘘・・・だって・・・一度も、」


 好きだという明確な言葉を貴方が言ってくれたことなんてなかった。愛してると唇を重ねてくれたことなんてなかった。そう恨みがましく続けたかったが、涙の海に溺れてしまいそうで言葉が上手く出なかった。
 次々とサボの口から語られる内容に、ナマエはただその小さな唇を震わせ、否定するように首を横に振る。そんなこちらの反応に、サボはナマエの肩口に顔を埋めながら、自嘲したような笑い声を漏らした。


「エルマーさんを見殺しにしたおれが・・・お前に好きだって、幸せにしてやるって言う資格なんてねェって・・・そう怖気付いて、言えなかった」
「・・・っ」
「馬鹿だよな、ほんと・・・っちゃんと覚悟を決めて言葉にしてたら、こうはならなかったかもしれないのに」


 「きっとお互い、優しすぎたんだな」−そう最後に弱々しく絞り出されたサボの言葉に、ナマエはただ嗚咽を漏らし、涙を流すことしかできなかった。
 相手のことを思うがばかりに本音が言えず、ずっとすれ違いを続けたが故にこのような結果になってしまったのは明白で。あの時ああしていればなどと後悔しても、もう手遅れだというのは紛れもない事実で。ちぎれてバラバラになってしまった糸を必死に手繰り寄せようとも、もう元に戻すことはできないのだ。

 それをきっと、サボも十分理解しているのだろう。ただ頭では分かっていても、心まで制御出来ないのが人間である。サボは手袋を取るとナマエの目元の雫を拭い去り、そのまま素手でナマエの両頬をやんわりと包んだ。
 真正面に見据えるサボの大きな黒い瞳。真っ直ぐに前を向き、少年のような輝きを放つこの目が好きで、いつしか彼に恋をしていたことを思い出す。


「なぁナマエ。もし・・・今おれが、・・・お前にちゃんと気持ちを伝えたら・・・お前はおれの元に戻ってきてくれるのか?」


 開け放たれていた部屋の小窓から、ふいに室内に風が吹き込んだ。柔らかな暖かい風に揺れるサボの金色の毛が、踊るようにナマエの頬をくすぐる。
 答えはもう、決まっていた。ナマエはゆるゆると首を横に振ると、そのまま己の頬に添えられているサボの両手に自分の手を重ねた。


「・・・貴方が私にしてくれていたように・・・私にも今、傍に居て、その人の帰って来る場所を守っていたいと思える人ができたの」


 薄情なことは分かっている。それにローが自分を選んでくれるかなんて、この先もずっと彼と歩めるかだなんて保証なんてものは一つもない。けれど、それを全て引っくるめても、彼の傍にいたいといつからか望んでしまっていたのだ。


「・・・今までずっと傍に居て・・・守ってくれてありがとう。・・・っずっと、大好きだったよ、サボ」


 ほんの少し前なら、再びサボの手を取っていたかもしれない。もし幼い頃にローと出会っていなければ、再会しなければ、そして彼を好きになっていなければ、きっと。
 区切りをつけた気持ちに別れを告げるように、ナマエはただ、かつて愛していた男の名を大切に呼ぶ。そんなナマエの声に、サボは目を細めてくしゃりと口元を歪めると、ややあって天を仰いだ。


「俺も・・・世界で一番大好きだったよ、ナマエ」


 揺らめく瞳の持ち主がこぼした初めての愛の言葉は、緩やかな風に乗り、空に舞っていった。