Law route 09



 愛と情熱とオモチャの国──そのとある一角にあるレストランに響き渡る甲高い泣き声。


「ほんどにっ・・・っひっく!もう一生、会えないがど思っだぁぁ〜!!」


 鼻水を垂れ流しながら自分の腹に巻き付いて離れないコアラの頭を、ナマエはゆるゆると撫でる。
 カラスに乗り、サボと共にドレスローザにたどり着いたのが昨晩遅く。すでに潜伏していたコアラたちと連絡を取るも、特に目立った戦闘が起きていないこと、さらにはローのビブルカードに変化が起きておらず、未だパンクハザードの方角を向いていることから、彼がまだドレスローザに到着していないと判断し、英気を養うためナマエとサボはその日は宿で眠りについた。
 そして翌朝、落ち合うために指定された場所に行けば、コアラが一人で待機しており、彼女はナマエの姿を目に入れた瞬間に大号泣をかましたのだ。ナマエが謝罪をして彼女をなだめたものの、泣き出してからかれこれもう三十分は経っただろう。


「私がサボくんにお灸据えて反省させるから、革命軍に戻ってきてよぉぉ〜」
「・・・おい。いい加減泣き止んで現状報告しろ」


 テーブルの上には芳しい香りの料理が次々と並べられ、それをひたすら貪るサボはコアラに冷たい視線を向けた。「要件人間!」「冷徹!」と次々と文句を投げてくるコアラのことなど意に介さない様子で、サボは新しく運ばれてきたロブスターにかぶりつく。
 そんな彼にコアラは不満げな表情を向けるがそこは仕事と割り切ったのか、目を赤くしながらもようやくナマエの腹から離れ、現状報告を行った。ドフラミンゴの王下七武海脱退、ドレスローザの内情、ドフラミンゴの部下たちの能力、メラメラの実の情報など様々な事がコアラの口から語られる。最後に彼女はテーブルの端に畳まれて置かれていた新聞を掬い上げると、サボにそれを突き出した。


「サボ君、まだ今朝の新聞読んでないでしょ。ルフィ君のことが載ってたよ」


 先程まで真剣な顔つきで話を聞いていたサボは「ルフィ」という単語に食いつくと、すぐさま差し出された新聞を掴み取った。ルフィとはかつて革命軍に一時席を置いていたロビンが乗る麦わらの海賊団の船長であり、サボがエースと共に盃を交わしたという義弟のことだ。頂上決戦で一気に名を挙げ、今や賞金額はローと並ぶ四億ベリーとなっていただろうか。
 しばらく新聞を眺めていたサボは一息つくと、横に座っていたナマエをちょいちょいと手招きする。その指先に釣られナマエが新聞を覗き込むと、ルフィの横にはなぜかローの顔写真が並んでいた。


「『七武海』トラファルガー・ロー"麦わらの一味"と異例の同盟・・・」
「以前からルフィのとことお前のとこは懇意にしてたのか?」
「ううん、特には・・・。頂上決戦の時にルフィくんのことをローが助けたって話は聞いた事があるけど・・・。ロビンさんのことを話したこともないよ」


 サボの問いかけにナマエはゆるゆる首を横に振る。まだ船に乗って数ヶ月ではあるが、ルフィに実際会ったこともなく、ハートの海賊団の面々から彼らの名前が出たことはほとんどなかった。


「そうか・・・。このタイミングでの記事だ。パンクハザードで同盟が組まれたと思うのが自然だろうな。ということは、ルフィもトラファルガー・ローと共にドレスローザに来る可能性が高い」


 新聞をなぞるサボの声色が少し弾む。十年以上ぶりに義弟と会えるかもしれない喜びが滲み出ているのか、サボは口の端を上げながら残りの食事を勢いよくかきこんだ。


「もうハックがコロシアムに潜入してるんだけど、このままメラメラの実の確保はハックに任せる?」
「いや、おれも調査がてら合流する。死んでも渡せねェもんだからな。念には念だ」
「じゃあナマエはしばらく私と一緒に行動でいい?」
「ああ、頼む」


 ナプキンで口を拭うと、サボはシルクハットをかぶり、未だ新聞を眺めていたナマエの頭をぽんぽんと叩いた。


「メラメラの実を手に入れたらすぐに合流する。それまでコアラから離れるなよ」
「うん、気をつけて」


 ナマエと一緒にいれる!と喜んで再びこちらに抱きついてきたコアラに押されながらも、ナマエは突き出されたサボの拳に己の拳を合わせた。



Law route 09



「なるほどね〜!それでトラファルガー・ローの船に乗ったわけか」


 太陽が燦々と降り注ぎ土埃が舞う中、コアラの伸びやかな声が降ってくる。大男を尻に敷きながら、彼女は建物の隙間に隠れていたナマエの方に顔を向けた。
 地下のおもちゃ工場について調査を進めていく中で敵と遭遇したコアラとナマエ。愛らしい容姿からは想像もつかないが、魚人空手師範代としての顔を持つコアラはナマエを物陰に避難させると、襲いかかってくる敵たちを一瞬にして薙ぎ払った。
 息を切らすことなく敵を片付け、先程まで話していた内容の返事を平然と返してくる彼女はやはり革命軍幹部を名乗るだけはある。ナマエは倒れる男たちの合間を縫って歩くと、そのままコアラの傍に近寄った。


「話は大体分かったけどさ。カナリアのことは誤解だったってサボくんと和解したわけでしょ?でもやっぱりサボくんに対しての気持ちは戻らなかったんだ?」
「うん・・・。サボにずっと助けてもらってたのに、すごい薄情者だと思われるかもなんだけど・・・」
「うーん。でもそこはナマエだけじゃなくてサボくんも悪いところがあるからなぁ。二人がお互いに納得したなら、ナマエが革命軍に戻ってこないことはすごく寂しいけど・・・私からはもう何も言えないや」

 そう言って肩をすくめると、コアラは敵の腹から飛び、地上に降りてきた。そしてそのままナマエの顔を覗き込む。
 何かを観察するような視線にナマエが思わず目を瞬かせれば、帽子の下から覗く彼女の真ん丸な目元がゆるりと三日月を描き、そのまま柔らかな笑みを浮かべた。


「でもね、サボくんには悪いけど・・・今のナマエ、すっごくいい顔してるなって思うよ」
「・・・いい顔?」
「うん。エルマーさんが亡くなってからいつも何処か苦しそうで寂しそうな顔してたけどさ。今はなんかこう・・・昔のナマエに戻った気がする」


 サボと同じくコアラも幼き頃から革命軍で共に過ごした仲だ。ナマエの変化を近くで見ていた彼女が言うからには事実なのであろう。
 確かに父が死んでしまった後の自分は、常に何か重いものを背負っているような、鬱々とした気分で過ごしていた。そんな中、サボが救いの手を差し伸べてくれたものの、彼の弱みに漬け込んでしまっているという罪悪感に苛まれて悪循環に陥り、気が付かないうちに息苦しさを感じていたのだろう。


「きっと安心できる場所と大切な人に出会えたんだね」


 温かな声色で紡がれるコアラの言葉に、ナマエの脳裏にはハートの海賊団のメンバーたちとローの顔が浮かぶ。噛み締めるようにナマエが小さく頷くと、目の前のコアラはまた安心したように笑った。


「でも悔しいな〜!!私たちのほうがナマエとは断然付き合い長いのにさ。悩んでるのに全然助けてあげられなかったんだもん・・・。なんだか大切な宝物を突然横から掻っ攫われた気分!」
「そんな・・・、サボとコアラはもちろん、本当に革命軍の皆には感謝してるの」
「ふふっ分かってる。っと・・・この中でリストを持ってる人がいないか探さないと。ナマエも手伝ってくれる?」
「えっ?う、うん」
「私は奥の方にまだ敵が残ってないか見てくるね」


 こちらに気を使わせないようにか、努めて明るく述べるコアラの声に、ナマエは彼女の指示通りに地面で伸びている男たちの持ち物を調べ始める。
 正直、サボとの一件が解決したあとも、別れをきちんと済ますことのできなかったコアラのことが心の中で引っかかったままだったのだ。それも杞憂に終わり、これで革命軍に思い残すことが無くなったということが、ナマエの心を少しばかり軽くさせていた。

 そんな中、コアラの指示通り数人の荷物やポケットを漁っていれば、突然空上に大きな爆発音が鳴り響いた。もくもくと天に昇っていく煙に目を奪われていれば、ふいにナマエの腰元のポケットがチリッと熱を発したのを感じる。慌ててローのビブルカードを取り出せばそこには昨日と同様、じりじりと焦げるように燃えていく白い紙の姿があった。
 ナマエがビブルカードを空に浮かせれば、それはゆるゆると爆発の起きたコロシアムのある方角に動き出す。恐らくあちらにローがいるに違いない。そう思うや否や、後は体が勝手に動いた。


「コアラ・・・っごめん!」


 傍にいないコアラに詫びながら、帆布のショルダーバッグを肩に担ぎ直すとナマエは一目散に駆け出していく。
 自分が何ができるか分からない。けれど、目の前で起こっていることから目を背ける訳にはいかない。ナマエはただ息を切らしながら煙の昇る方角に向かって走っていった。
 コアラといた場所はコロシアムからさほど遠くない場所だったようで、しばらく走れば闘技場の外壁が見えてくる。爆発音で混乱が生じたのか、人々の叫び声や悲鳴が巻き起こる中、ビブルカードの指す方角に顔を向ければ、ナマエは一瞬己の心臓が止まったかのようにその場から動けなくなってしまった。
 はるか頭上に浮く二人の人影。その一人の人物──ドフラミンゴの手には、血まみれのローが握られていた。


「っ、・・・ロー!!!」

 
 そのまま悠然と空を移動していく男たちに視線を向けたまま、ナマエはただローの姿を追いかける。意識を失っているのか、だらりと伸びた彼の四肢からは血が流れ落ちているようだった。


「─っ危ねェ!!!」


 キンっという金属音と共に降ってきた叫び声。ふいにナマエは誰かに腕を引かれ、そのままその人物に担ぎ上げられた。
 顔を上にあげて走っていたため、目の前の状況をきちんと把握できておらず、海兵たちが犇めく戦場に突っ込みかけたところを誰かに救われたらしい。


「女一人が丸腰で何してんだてめェ!死にてェのか!?」


 容赦なく浴びせられる怒号。その声の主の顔を見やれば、その人物にナマエは心当たりがあった。特徴的な緑色の短髪に、縦に走る左目の傷。変装をしているのか真っ白な髭を蓄えているが、その人物は紛うことなき麦わら海賊団のロロノア・ゾロである。
 数時間前に読んだばかりの同盟の記事が正しければ、彼らはローと手を組んでいるはずだ。担がれている肩から身を起こすと、ナマエは慌てて大声をあげた。


「あのっ私、ハートの海賊団のメンバーです・・・!」
「あぁ!?ハート!?」
「ゾロ殿!恐らくロー殿が率いている海賊団の名ですぞ!」
「トラ男の仲間・・・って確か別行動でどっかに先行ってんじゃねェのか!?」
「他の仲間はゾウに向かいました!私だけ別行動でローを探してて・・・!」


 横を並走する着物姿の男の言葉にゾロは訝しげにナマエの方を見るも、バッグにある海賊旗マークを見て納得したのか、 ナマエを担いだまま瞬時に路地裏に飛び込んだ。
 「どこに行った!?」と追いかけてきていた海兵たちの足音が遠ざかるのを確認すると、ゾロはようやくナマエを地上に下ろす。とりあえず助けてくれた礼を述べれば、ナマエははたとゾロの横の人物のこめかみ辺りから血が流れ出ていることに気がついた。


「あの、怪我・・・!」
「むっ。これしき問題ないでござる!」
「だっ駄目です!あの、私っ医療従事者で・・・!」


 怪我をしている男の姿から先程の傷だらけのローの姿が脳裏に過ぎり、ナマエは声を震わせながら医療道具を取り出そうとショルダーバッグに手をかける。
 こんなことで動揺してどうする。ローを助けるために自ら危険な戦場に足を踏み入れたのだ。ビブルカードが燃え尽きていないからきっとまだローは生きてる。必ずローに会って、彼を助けるんだ。
 心の中でそう唱えると、ナマエはそのまま勢いよく自分の両頬を己の手で叩きつけた。バチンという音と共にじんじんと広がる頬の痛み。ナマエの突然の行動に驚いた表情をする二人の目を、今度は真っ直ぐと見つめた。


「すぐに終わります。傷の手当てをさしてください」


 動揺していた先程とは異なり、ブレの無いはっきりとした口調で述べるナマエを見て、目の前のゾロはさも愉快といわんばかりに口の端をあげた。


「だとよ。助けた礼は受けとけ、キン」
「・・・かたじけない」


 ゾロにそう言われ、キンと呼ばれた大男はそのまま膝を折ると大人しくナマエの前に顔を差し出した。
 糸のようなもので縦に切られた彼の傷跡を見て、ナマエはすぐに処置を行っていく。そこまで傷が深くないため、消毒と出血のあるこめかみをしばらく圧迫していれば問題なさそうだ。てきぱきと手を動かして手当てを済ませたと同時、ふいに後ろから「見つげだー!」という大きな声が投げられた。
 もしや海軍に見つかったのかとナマエが慌てて振り返れば、そこには海兵ではなく、大粒の涙と鼻水を流しながら駆けてくる男──ルフィの姿があった。


「やっと来た!・・・ってなに泣いてんだよお前!!」
「うええ〜ん!!だ、だっで・・・生ぎてるって思っでなかっだから!!」
「はぁ!?」


 かの有名な麦わら海賊団の船長ルフィはそう告げると、顔をクシャクシャにしたまま三人の前に飛び込んできた。彼の言葉にナマエの頭にサボの顔が浮かぶ。


「あの、もしかしてサボに会えた?」
「ひっぐ・・・お前、サボのこと知っでんのが!?」


 泣きじゃくりながらナマエの肩に掴みかかってくるルフィをなだめていれば、こちらに向けられるゾロの目線がまた訝しげなものに変わる。そのためナマエは慌てて、自分が元革命軍で今はハートの海賊団に所属していること、そしてローを追いかけてきたことなど、これまでの経緯を彼らに手短に話した。


「助けるって・・・戦えねェ女が一人で何が出来るってんだよ。さっきもおれらが助けてなきゃ、海兵の流れ弾でも食らってたかもしんねェんだぞ!?」


 飛んでくるゾロの声にナマエはぐっと息を飲み込んだ。まったくもってゾロの言う通りである。サボからもコアラから離れるなと言われていたのに、後先考えずに一人で飛び出してきてしまったことが恥ずかしい。
 思わずナマエが目を伏せながら唇を噛みしめていれば、黙って話を聞いていたルフィがようやく口を開いた。


「・・・なぁ、キンえもんの傷ってお前が手当してくれたのか?」


 先程まで泣いていた姿はどこへやら。真剣な彼の声色にナマエが恐る恐る頷けば、ルフィはにかっと満面の笑みを浮かべた。
 やはり兄弟なのだろう。何処と無くサボに似ているその笑い方に、不安や焦燥で波打っていたナマエの心音はようやく落ち着きを取り戻す。


「おれの仲間を助けてくれてありがとな」
「そんな・・・私、傷の手当てくらいしかできなくて」
「なんでだよ、すげェことじゃねぇか!おれらの船医が今は別行動しててさ、だから仲間にもしなんかあったらまた助けてくれよ」


 そう言うとルフィは「そうだ」と何か思い出したように呟くと、懐をもぞもぞと漁り出す。ぽろんと服の隙間から飛び出してきたのはローの白い帽子で、ルフィはそれをそのままナマエの方に差し出した。


「これさっきコロシアムの前で拾ったんだ。トラ男の帽子、お前が預かっといてくれ。トラ男のことはおれらが絶対助ける!そんでもってミンゴもブッ飛ばす!!」
「・・・っ」
「だから安全なとこで待っててくれ!トラ男の声、まだ消えてなかったけどかなりボロボロだったからさ。助けたらお前ェんとこに連れてくから、傷の手当てはまかせたぞ」


 誰かを頼ることは悪いことじゃない。誰かに与えてもらったのなら、与えてもらった分を返せばいい。
 以前ローに言われた言葉がふつふつとナマエの中に蘇ってくる。ルフィの言葉にナマエは力強く頷くと、ローの帽子を受け取りその胸にしっかりと抱きしめた。


「ローのこと、お願いします・・・!」
「おう!まかせろ!」


 輝かしい太陽のような笑みを浮かべるルフィを見て、一人で敵に立ち向かおうとしていたローが、彼らを頼った理由が何となく分かった気がした。ナマエはドフラミンゴの元へと向かう彼らを見送ると、そのままローの帽子をショルダーバッグに大事にしまいこむ。
 ローを、そして彼を救うために動いてくれている人たちの力になるためにも、まずは迷惑をかけないよう自分の身をきちんと守らなくては。改めて自分の立ち位置を認識したナマエは、そのまましっかりとした足取りでコロシアムへと歩を進めた。