Law route 11



 カルタの丘にあるキュロスの家──そこに集まる人々の治療をするべく、ナマエは休む間もなく忙しなく動き回っていた。
 ローの援護もあり、無事に復活を果たしたルフィによってドフラミンゴが倒され、ドレスローザはようやく彼の呪縛から解放されることになったのだ。それはすなわち、ローとコラソンの本懐が遂げられた事も意味している。ナマエは涙を零しながら、ひまわりが踊るように揺れる花畑の中で、自由を取り戻した晴れやかな空を見上げた。

 そしてその後、戻ってきたローたちと合流をしたものの、無事や勝利を分かち合う暇もないまま、負傷した者たちの手当てをするために一行はキュロスの家に向かったのであった。ありったけの湯を沸かし、ロビンたちの手を借りながらもナマエはルフィやベラミーなど大怪我を負った者たちの手当てを行っていく。
 ここに運ばれるまでの間、睡眠を取って幾分か回復していたローが手伝う素振りを見せたところ、「安静にして!」と珍しく声を荒らげたナマエにローは問答無用でタオルケットにくるまれ、そのまま床に転がされた。渋々ながらもナマエの命令に大人しく従う男の姿を見て、何やら面白いものを見つけたと言わんばかりにゾロが口角を上げる。


「・・・何笑ってやがる」
「いや、なにも。お前の女を助けといて良かったと思ってな。これで貸し一つだ」


 どこからか酒をくすねてきたのか、ゾロの手にはいつの間にかウイスキー瓶が握られている。きゅぽんと小気味いい音を鳴らしながら、ゾロはそのまま瓶の中に並々と入っている琥珀色の液体を煽った。
 その一方で、ナマエとローの関係性をよく知らないフランキーが「あの嬢ちゃんはお前のこれなのか?」「シャボンディ諸島ではいなかったよな?」と野次馬よろしくずけずけと尋ねてくる。
 真顔のままローがひたすら右から左に聞き流していれば、見かねたロビンがナマエのことについて説明をし始めた。ふんふんと素直に今までの経緯を聞いていたフランキーであったが、「お前にも恋愛感情とかそういうのが存在すんだな」と留めの一言を撃ち込んできた事で煩わしさが勝り、ローは徐に立ち上がった。ナマエは手当てに勤しんでおり、こちらの事にまで気が回っていない。


「あら、どこに行くの」
「外で涼んでくる。密度が高くて息苦しい。少ししたら戻る」


 絶対安静なこの状況で不用意に動けばあとでナマエに怒られることは明白だ。かといってここに残っていれば根掘り葉掘りで気も休まらない。ロビンに断りを入れると、ローはそのまま家の外に出ていった。
 外に出ると目に入るのは家を取り囲む一面の花畑と、闇夜に浮かぶ大きな三日月。雲ひとつない空から零れる月の光が薄らと地面を照らし、花々が心地よい温度の風にのって揺れていた。
 さて少しばかり歩きでもするかと周りを見渡していれば、ふいにがさかざと花をかき分ける音とともに人影がローの視界に入る。人物を見極めようと目を凝らしたほんの数秒後、ローはいつも以上に眉間にしわを寄せることとなった。
 

「おっ、トラファルガー・ロー。傷はもういいのか?」


 姿を現したのは黒いシルクハットをかぶった男。隙間からのぞく金色の髪が月明かりを纏って煌めき、ローの姿をその大きな瞳に捉えるや否や男の口元はゆっくりと弧を描いた。


「・・・革命軍の参謀総長がここに何の用だ」
「最後にルフィの顔を見にな。あっ、あとナマエの顔も」


 食えない男だ。あえてこちらを刺激するような言葉をかけてくるサボに、苛立ちを隠せないローは小さく舌打ちをする。期待通りの反応が返ってきたことに、サボは少し意地の悪そうな笑みを浮かべた。


「そう威嚇するなよ。ナマエを革命軍に連れて帰ったりしねェからさ」
「・・・当たり前だ。あいつはもう俺の船の船員だ」


 棘のある会話を交わしながら、ローはおもむろに己の懐をまさぐる。そして内ポケットから取り出した小袋を、サボに向かって勢いよく放り投げた。
 一人でパンクハザードに向かう時、何となくこれをナマエと共に船に残して行くのが気に食わなく、思わず懐にしまい込んでそのままだったものだ。まさかその時は、こうしてサボと相見えることになるとは想像もしていなかったのだが。
 ローの手からサボの元に渡った小袋の封が、彼の掌でゆっくりと解かれる。中で光り輝く深い海のような青色を捉えたサボの瞳が一瞬揺らめいたのを、ローは見逃さなかった。


「やっぱり、相手はお前か」
「・・・ナマエから聞いたのか?」
「いや。だいたいの事情は把握してるが、相手の名前までは聞いてなかった」
「・・・なるほどな」


 自嘲したような乾いた笑い声を漏らしながら、サボは袋の中からネックレスを取り出すと、先端のブルーサファイアをゆるりと長い指先で撫でた。
 四年前、十八の誕生日にナマエに渡した大切なもの。彼女がこれを手放したということは、二人の間の全てが本当に終わったのだということを示している。
 改めて現実を突きつけられ、まるで傷口に塩を塗り込まれたかのように、サボの心臓はじくじくと痛みを発し出す。そんな己の胸中を誤魔化すように懐にそれをしまいこむと、サボはそのままシルクハットを深く被り直しローの方へ歩み寄った。
 

「後悔してることはたくさんある・・・けど、おれはナマエの傍に入れて幸せだったよ」
「・・・そうか」
「おれはあいつの初めてをたくさんもらっちまった。だから・・・」


 きっとそう、多分、お互い初恋だった。数え切れないほどのナマエとの思い出を懐古しながら、ゆらゆらと揺れるサボの瞳がゆっくりとローに向けられた。

「あいつの最後は全部まかせたぞ」


 一息置いて告げられた暖かな色のこもった言葉。ローは口の端をあげると、そのまま真っ直ぐにサボの目を見返した。


「言われなくてもそのつもりだ。未来永劫あいつを手放すつもりはねェ」
「ははっ、さすがルフィが気に入る男だな」


 初恋が実った者と、そうでなかった者。誰かの選択が異なれば、もしかしたらまったく違う未来が待っていたのかもしれない。
 それぞれの想いを噛みしめながら、一人は願いを託し、もう片方はその願いを受け取る。澄み切った夜空の下で、二人の男は静かに拳を合わせた。
 

***


「もう行っちゃうの?」
「ああ、帰る前にルフィの顔を見に来ただけだからな」


 ナマエが怪我人の手当てを全て終えた頃、ひょっこりとキュロスの家に現れたサボ。
 ロビンとフランキー、そしてゾロ、さらには勝手に部屋を抜け出しなぜかサボと共に戻ってきたローと一緒に、ナマエが改めてサボの口から彼が革命軍に来たばかりの頃の話を聞いた。そして全てを話し終えると、ルフィが起きるのを待たずに、サボはそのまま帰宅の途につこうと立ち上がる。
 せめて見送りをとナマエが外までサボに着いていげは、なぜかサボと関わりのあったロビンではなく、背後にはローが付いてきていた。そんなローの行動を見て不思議そうな表情をナマエが浮かべれば、サボが愉快そうに笑い声をあげる。


「なんだお前ら、まだ・・だったのか。最悪の世代でも特に悪名高いのに、意外と奥手なんだなトラファルガー・ローも」
「うるせェ、大人しくさっさと帰れ」
「はいはい。じゃあなナマエ、元気でやれよ」


 サボが空に合図をすれば、無数のカラスが月明かりの下を旋回する。
 方や革命軍、方や海賊という互いに明日も分からぬ命だ。もしかしたら会うのはこれで最後になるかもしれない。
 ぶわりと全身を駆け巡る様々な感情が溢れないようぎゅっと拳を握りながら、ナマエはあの頃と変わらない少年のような瞳をしたサボの事を見上げた。


「コアラとハックにもよろしくね、っ・・・二人に助けてくれて本当にありがとうって伝えて」
「ああ、分かった」
「あとそれから、ドラゴンさんとマコモさんにもっ・・・私が元気でやってるって・・・」
「うん、伝えとく」
「・・・それから、っそれから、ね」


 上手く言葉が続かず、気がつけばほろほろとこぼれ落ちてきた涙を止めようと、ナマエは必死で雫を拭う。そんな姿を見かねてか、サボの大きな手がナマエの頭をぽんぼんと優しく撫でた。


「今度はちゃんと、幸せになれよ」


 彼はただ一言そう言うと、ナマエの返答を待たずに上空から近づいてきた大きなカラスの足を掴み、そのまま勢いよく背中にまたがった。ニッと見えた白い歯は、昔と少しも変わらない悪戯っ子のような無邪気な笑顔。
 ナマエは大きく頷くと、漆黒の翼を羽ばたかせるカラスとともにそのまま空に舞い上がったサボに手を振った。


「今まで本当にありがとうサボ!」


 その言葉は果たしてちゃんと彼に届いたのだろうか。夜空に溶けていくサボを見送ったナマエの目には、一筋の涙が煌めいた。



「気持ちの整理はついたか」
「・・・うん、もう大丈夫」
「そうか・・・」


 サボを見送った後、ナマエはしばらく星空を見上げていた。幾ばくか続いた沈黙を破るようにかけられたローの声にナマエは首を縦に振ると、そのまま彼の方に振り返る。
 どこもかしこも傷だらけのローを改めて見ると、無事に再会できたことが本当に奇跡だということを実感する。積もる話があるのは山々だが、それは明日以降でもまったく問題ないだろう。
 ここにはもう、彼を縛り付けるものなんて何もないのだから。


「とりあえず、ローもまだ全然怪我が治ってないんだから戻ったらちゃんと寝てね。あっ!もちろん色々なお説教は明日ちゃんと聞くから・・・」


 しんみりとした別れの空気を変えようと、ナマエはあえて明るい声色でにこやかに笑顔を浮かべる。しかし次の瞬間、ふいにローの手が伸びてきてナマエの手首を掴んだかと思えば、そのまま勢いよく彼の腕の中に引き寄せられた。
 消毒液の匂いに混じって、ローの深みのある研ぎ澄まされた香りが鼻をかすめる。暖かな体温がナマエを優しく包み込み、彼が生きて戻ってきたことを改めて実感させた。
 少し前までならば、恥ずかしさのあまりすぐにでも飛び退いていただろう。けれど、今は違う。もう自分の気持ちに嘘はつかないと、向き合うと決めたから。
 ナマエはローの背中にゆっくりと腕を回すと、ありったけの力を込めて彼を抱きしめ返した。


「無事で良かった」
「ああ」
「おかえり、ロー」
「・・・ただいま」


 その名を呼ぶだけで、ナマエの心はぽっと火が灯ったように暖かくなる。抱きついたまま面を上げれば、こちらを見下ろしていた彼の無骨な手がナマエの頬を優しく撫ぜた。
 花々が風に乗って揺れる葉音と、鈴の音のような虫の声だけが響く研ぎ澄まされた空間で、ナマエはローの手に己の手を静かに重ね合わせる。


「私ね、ローに伝えたいことがあるの」
「・・・なんだ」
「何も言わずに見守って、たくさん助けてくれて、そして仲間にしてくれてありがとう。貴方がいたから、私はまた前を向いて歩もうと思えた」


 あの時ローと再会してなければ、自分はずっと殻に閉じこもって後悔に苛まれた日々を鬱々と過ごしていただろう。
 居場所を与えてくれ、そして人に頼って生きることは悪いことではないと、手を引いて共に歩んでくれたことは感謝してもしきれない。
 そんな日々の中、密かに心の中で芽生え、そして花開いたローへの気持ちをナマエは噛み締める。



「これから先ずっと、一番近くで貴方を愛させて欲しい」

 
 幼い頃、無意識のうちにローに渡していた愛が、めぐりめぐって自分の元に還ってきていたことを知った。またそれを貴方に返したい。今度はありったけの想いをこめて。
 精一杯の自分の気持ちを乗せて、ナマエは愛の言葉を紡ぐ。一瞬見開かれたローの灰色の目が、頭上に輝く星々のように煌めいたあと、ゆるりと綻んだ。


「お前はいつも、おれを暗闇から救い出してくれた。初めて会った時も、再会してからも・・・。この戦いでも、お前の元に帰るために死ぬわけにはいかねェって踏ん張れた。嫌だと言われても、もう一生離すつもりはねェよ」


 その言葉を皮切りに、ローの顔がゆっくりとナマエの元に降りてくる。鼻先が触れ合い、愛しさのあまり思わず呼吸が止まりそうになった。重なった唇から伝わってきたローの想いを受け入れながら、ナマエは彼の腕を強く握りしめる。
 柔い砂糖菓子のように甘いキス。最後は印を付けるように下唇を何度か食むと、ローの唇はゆっくりと離れていった。

 

「愛してる。これからはずっとおれの隣で笑ってろ」


 代わりに贈られたのは、ずっと待ち望んでいたもの。夜空を駆ける流星のように真っ直ぐと降り注いだ愛の言葉に、ナマエはふわりと顔を綻ばせて頷くと、再びローの胸に飛び込んだ。


 もういいかい まぁだだよ

 終わりの見えない遊戯に彷徨う花は
 花弁を散らし 雪の中に埋もれゆく

 みいつけた

 その声とともに 数多の光が差し込んだ
 たくさんの愛に包まれた花は
 再び華麗に咲き誇る



 𝟮𝟬𝟮𝟯.𝟬𝟳.𝟭𝟱...𝙇𝙖𝙬 𝙧𝙤𝙪𝙩𝙚 𝙚𝙣𝙙