Extra edition
vol.1 (ゾウ編)



※夜の匂わせ表現あり。苦手な方はご注意ください。



「キャプテ〜〜ン!!ナマエ〜〜!!」
「おかえりなさいー!!」
「無事で良かったー!!」


 モコモ公国のクジラの森に響き渡る歓喜の声。ドフラミンゴを倒し、ドレスローザを出発した麦わらの一味と共に、ローとナマエも無事にゾウにたどり着いていた。
 夜の王・ネコマムシの預かりとなっていたハートの海賊団の元に向かえば、傷だらけではあったが仲間たちが元気よく迎え入れてくれる。ローにはシャチとペンギン、ナマエにはベポとイッカクが飛びついてきて、互いの無事を喜びあった。
 ひとしきり再会の余韻に浸ったあと、ルフィのところへ仲間を紹介しに行くと立ち上がったローの背中を眺めるナマエの元に、ペンギンとシャチがそろりそろりと近づいてくる。


「なぁナマエちゃん」
「なんですか?」
「なんかキャプテン、ちょっと機嫌悪くねェ?」


 そんな風に感じていなかったり身に覚えがなければ、「長旅で疲れてるのかも」や「そうですか?」と差し当たりない返しをしていただろう。が、ナマエには十分思い当たる節があった。そのため目を泳がせて言葉を濁していれば、眉を下げたベポが声を潜ませながらナマエの耳元まで腰を折り曲げる。


「もしかして・・・キャプテンのこと振っちゃったの?」
「えっ!?」
「嘘だろ!?おれら賭けてたのにー!キャプテンとナマエちゃんが引っ付くか引っ付かないかって!」
「くっそー!振られるに賭けてたらワンチャンあったのかー!!」


 ベポの言葉を受けて、声にならない叫び声を上げるシャチとペンギンの姿に、ナマエは思わず頭を抱えたくなった。人の色恋を賭け事にするだなんて何たる所業だろうか。というより、なぜローのことを好きだということがバレていたのだろう。声を潜めながらナマエがその事を尋ねれば、彼らは揃って目を丸くしたあと顔を見合わせた。


「いや〜そりゃイッカクの病気が発端だったとはいえ、好意がなきゃ男の部屋に寝泊まりなんてしねェだろ」
「それに自分の命を顧みずに、戦地に赴いて連れ戻しに行くくらいだからなぁ。もう愛しかねェじゃん」


 ニヤニヤと目を細めて楽しそうに笑う二人の言葉。確かに言われてみればローへの好意は周りにはダダ漏れだったのだろう。ゾウの温暖な気候も相まって、恥ずかしさからナマエの身体は一気に熱を帯び始める。
 赤くなる頬を誤魔化すように思わずぱたぱたと扇げば、そんなナマエの様子を見て、ペンギンはさらに楽しそうに声を弾ませた。


「で。振ったの?付き合ったの?」
「・・・付き合うことになりました」
「っしゃー!!賭け勝ち〜!」
「えーっほんとに!キャプテン、初恋が叶うなんてすげェや!」
「えっ・・・初恋?」


 邪な思いでガッツポーズをする二人とは裏腹に、自分の事のように嬉しそうに身体を揺らすベポを見て、ナマエは思わず目を瞬かせた。初恋とは一体どういうことかと問えば、彼はしまったと言わんばかり口元を抑え、ペンギンとシャチは慌ててローのいる方へ目線を向ける。
 幸い声を潜めていたためか、ローはイッカクやハクガンたちと何やら話し込んでおり、こちらの会話は聞こえていない様子であった。


「このばか!」
「キャプテンに絶対言うなって言われてただろ!」
「ご、ごめん!つい・・・」


 二人からぽかぽかと頭を殴られ、ベポは大きな身体しょんぼりと縮こませる。そんな三人に対して反撃だと言わんばかりにナマエはずいっと身体を寄せて近づくと、じとりとした視線を彼らに送った。


「・・・教えてくれないなら、ローに直接聞きに行きますよ」
「ダメ!そんなことしたらおれら全員刻まれちゃう!!」
「くっ・・・!ベポ、お前が責任もって話せ」
「うう〜・・・ねぇナマエ、絶対キャプテンにおれらが話したって言わないでね」
「分かった、内緒にするから」


 ナマエの答えに、白旗をあげたベポはぽつりぽつりと語り出す。
 ナマエがポーラータング号に乗ることになったあの日──シャチとペンギンそしてベポは、どうやってナマエと知り合いになったのか事の経緯を医務室でローに説明していた。ナマエの働いていたキッチンカーで数日前に知り合ったこと、そして言動から海軍や同業者、はたまた怪しい筋の人間だという可能性は低いという考察を三人が述べ終わった時であった。
 目を瞑って腕を組み、静かに三人の話を聞いていたローの瞼がゆっくりと開かれる。いつもは鋭さのある灰色の瞳が、どこかしら柔らかい色を放っていた。


『恐らくだが・・・あいつはおれがずっと探してた奴だ』
『え?どういうこと?』
『旗揚げしてすぐ、スワロー島より南方にある小さな島に立ち寄ったのを覚えてるか?』
『あ〜・・・オペオペの実を手に入れるまでキャプテンの命を繋げてくれた恩人の医者と、その娘がいるって言ってた島っすね』
『でも確か、二人とも火災で死んだって村の人たちが言ってて、探すのを諦めたはずじゃ・・・』
『ああ・・・だが医者の娘もナマエって名前だったんだ。何となく面影もあって、髪も目の色も一緒。おれより四つ下だったから、生きてれば年齢もちょうどあの女くらいだ。そんでもって薬剤師になるってのがそいつの夢だった』
『えっ?えっ?じゃ、じゃあナマエはオバケってことォ!?』
『んなわけあるか!事情があって身を隠してたか、もしくはなんか不死身の悪魔の実を食べてた〜とかだろ』


 ぶるぶると震え出したベポに突っ込むシャチ、そして考え込むように当時のことを思い出しているペンギン。そんな三者三様の様子を眺めていたローは、帽子を脱ぐと裏返して中身を一瞥する。
 そこには四人が出会った当初から、ローが後生大事にしているハートの形の御守りが縫いつけられていた。ぶっ恰好な形は恐らく子どもの手で作られたもので、黄みがかったピンク色が月日の経過を感じさせる。


『それ、キャプテンが子どもの頃から帽子に付けてたよね。もしかしてその子にもらったやつだったの?』
『ああ・・・』
『ん〜でもナマエちゃん、キャプテンの顔見ても特に反応してませんでしたよね?他人のそら似だったり・・・?』
『薬屋で初めて会った時も反応はなかったからな。もちろん、今の段階だとその可能性は大いにある』
『そっかぁ・・・。でもナマエがキャプテンが探してた子本人だといいね』
『いやぁ〜でももし本当にそうだったら、なんかすんげェ運命感じちゃいますよね!』
『確かに!死んだと思ってた初恋の相手が実は生きてて、偶然自分の船に乗ることになるなんて、まるで夢物語じゃないっすか!』
『・・・おい待て、初恋ってなんだ』


 しんみりとした雰囲気から一転して、シャチとペンギンの言葉を耳にしたローの眉間にぐっとシワが寄せられる。先程までの優しい表情はどこに行ったのか、向けられた鋭い視線にひぇっと身体を縮こませながら、ペンギンとシャチは恐る恐る口を開いた。

 
『キャ、キャプテンが自分で言ってたんすよ!』
『そうそう!島に立ち寄って、村人から二人とも数年前に火事で死んだ〜って聞かされた日の夜に、珍しくキャプテンが深酒して酔っ払って・・・』
『その時に、恩人兼初恋の相手だったんだ〜ってポロっと!!』


 話した内容はすっぽりと記憶から抜け落ちているが、確かにあの日、ショックからやけ酒をして珍しく泥酔した出来事はきちんと覚えていた。酒のせいとは言え思わず本音を零していたなんて失態だと、ローははぁと深くため息をつきながら帽子を深くかぶりなおした。


『・・・他の奴らには絶対に言うなよ。あいつが本人だったとしたら、尚更だ』
『『『アイアイ、キャプテン』』』


 きっとこの約束を違えば、切り刻まれるかはたまた心臓を取られることになるだろう。三人は絶対に口外をしないと心に固く誓った。

 ベポの口から語られたそんな思いがけない裏話に、ナマエは小さく息を飲んだ。船に乗った当初から、ローの自分に対する言動にどこかしら甘く柔らかいものを感じていた。それはきっと初恋というフィルターがそうさせていたのだろう。嬉しいようなこそばゆいような、どこかむず痒い感情にナマエが包まれていれば、「ところで」と目の前のペンギンが恭しく咳払いをした。



「本題だけど、なんでキャプテン怒ってんの?その様子だとなんか身に覚えあるんでしょ?」
「あはは・・・えーっと」
「えー!そうなの!おれらもちゃんと話したんだから教えてよ!」


 お互いの弱みを握り合う運命共同体だと言わんばかりに息巻く三人の姿に、今度はナマエが降参する番であった。

 事の発端はドレスローザから出航してすぐのこと。バトルロメオの船でゾウに向かうことになり、尊敬する麦わらの一味のおまけとしてローとナマエも乗船を許可されていた。客人用の部屋を与えられ、ロビンとナマエは一部屋を女部屋として使用することになり、ローとは食事時や明るい時間帯にしか会わない生活を送っていた矢先だった。
 満点の星々が輝きを増す夜遅く。ついついロビンとお喋りが盛り上がってしまい、いつもより遅い時間帯に風呂に入ったナマエは、フランキーに用があると男部屋に向かっていったロビンと別れて一人で船内を歩いていた。火照る身体を冷まそうと甲板に出たところ、一人で海を眺めているローの姿に気がつき、ナマエはいそいそと彼の元に歩み寄る。


『ロー、どうしたの一人で』
『・・・お前こそ。ニコ屋はどうした?』
『フランキーさんに用があるんだって。壊れた時計を修理してもらうって言ってた』


 あと少しすれば日を跨ぐ時間帯のためか、周りに人の気配はない。さざめく波と風の音が月明かりとともに静かな闇夜に溶けていく。船のハンドレールに腕を乗せて立つローの横に並んで立てば、ふいに彼の手が伸びてきてナマエの腰を抱き寄せた。
 弾けるようにローを見上げれば、すでに時遅し。端正な顔がすぐ目の前にあり、あっという間に彼の薄い唇がナマエのものにかぶりついていた。荒々しさと優しさを兼ね備えたキスは、角度を変えて次々と降り注ぐ。とめどない熱に呼吸を乱したナマエが小さく口を開けば、その隙間を割ってローの舌がゆっくりと侵入してきた。ざらりとした痺れるような刺激と混じり合う甘い味に、脳内がクラクラと揺れ動く。
 しかし服の隙間にローの太い指が滑り込み、ナマエの胸にやわりと触れた次の瞬間。ふわふわとまるで綿菓子に包まれたような感覚から一転して、ナマエははっと我に返り、彼の腕を勢いよく掴み上げた。


『・・・っろ、ロー!』
『・・・我慢できねェ』
『っぁ、ちょっと・・・!だめ!』
『・・・何でだよ』
『人の船!それに、こんなとこで・・・っ』


 色を帯びたローの視線がじわじわとナマエの身体を蝕んでいく。せっかく両思いになったのだから、彼に抱かれたくない訳では決してなかった。けれど今の状況下から、おいそれとこのまま行為を受け入れる事もできない。
 頬を真っ赤に染め上げたナマエの葛藤などおかまいなしに、ローはちゅっと音をたてて首筋に唇を這わせてくる。理性と本能の狭間でナマエの頭がパンクしかけたその時だった。「トラ男ー!!」という叫び声とともに、勢いよく何かが二人の間に飛び込んできた。


『キンえもんのやつが酔っ払ったまま風呂に入ったら滑って頭打っちまってよ!こいつが手当てしてくれたとこから、またピューって血が出ちまったんだ!治してやってくれ!』


 突然のルフィの登場に驚きつつも、ナマエはその隙をついてローから距離をとった。甘い雰囲気がぶち壊されたことによって、ローの眉間の皺がいつも以上にぎゅっと深く刻まれたのが見てとれる。


『・・・おい麦わら屋』
『あっでもやっぱトラ男より最初に手当てしてくれたお前に頼んだほうがいいのか?』
『聞いてんのか?んなもん、この悪趣味な船の船医にでも頼・・・』
『よし!お前来てくれ!』


 ローの苦言など一切耳に入っていない様子でルフィはナマエの腕を取ると、そのまま仲間のいる部屋へと連れ去ってしまったのだ。
 ルフィによって難を逃れたナマエはその日以来、極力ローと二人きりになることを避けるようになった。いかんせん、隙あらば甘い空気を醸し出して事に及ぼうとしてくる彼の押しに抗う自信がなかったのである。 付き合う前といえども、以前添い寝した時に手を出されなかった経験から、どちらかといえば彼は淡白な方だと勝手に思っていたのだが、全くの勘違いだったらしい。
 ゾウにたどり着くまでの間、そそくさと逃げ回るナマエを見て、ローの不機嫌さがどんどんと強まっていったのは言うまでもない。そんなこんなで、恋人になったばかりだというのに二人の間には何とも微妙な空気が流れていたのである。

 しどろもどろながら事の顛末を話し終え、ナマエが面を上げれば、目の前で黙って聞いていた三人の表情はとても渋いものになっていた。


「キャプテン可哀想・・・」
「うんうん。確かに他人の船でするのが嫌だっていうナマエちゃんの気持ちも分かるけど、そこは上手く『ゾウまでお楽しみはとっときましょ♡』とか言って可愛くかわしてあげたら良かったかも」
「え、嘘・・・!まさか、みんなローの味方ですか・・・?」
「いやぁ〜だって初恋でずっと探してた相手だって話を聞かされてたしさぁ。そんでもって紆余曲折あってようやく手に入れた子よ?男はみんなキャプテンの味方しちゃうよ」


 なぁと尋ねるペンギンの声にシャチとベポはうんうんと力強く頷く。こうも全面的にローの味方をされたうえに、先程語られた事情を聞いたことによって、ナマエの中でもローに可哀想なことをしたのではという気持ちが少し芽生え始めていた。
 もちろん永遠にお預けをするつもりなど毛頭ない。全てはタイミングの問題なのだ。どうすれば後腐れなくスムーズに仲直りができるだろうか。
 サボのこともあって、元から恋愛下手であるナマエに名案はそう簡単に浮かばない。「どうしたらいいですか?」とアドバイスを乞うナマエの言葉に、ペンギンとシャチはにやりと楽しそうな笑みを浮かべながら顔を見合わせた。


「「お兄さんたちにまかせな!!」」



***


 開かれた胸元にビジューがふんだんにあしらわれた鮮やかなイエローのドレス。スカート部分に深くはいったスリットの隙間からは、脚がちらりとのぞき出る。ワンダが張り切って選んできてくれた煌びやかなドレスに身を包んだナマエは、普段とは違う自分の様相にそわそわとした気分で鏡の前で立っていた。
 いささかセクシーさが際立つデザインではあるが、ローにもらったピアスがよく映え、そしてポーラータング号を彷彿とさせるはっきりとしたイエローカラーのドレスをナマエもすぐに気に入った。
 麦わらの一味とハートの海賊団が対面を済ませたあと、ネコマムシの元で宴会が行われることとなり、これはチャンスだとペンギンとシャチが色々と手配してくれたらしい。『酒の席で全て水に流そう大作戦』と名された作戦は、綺麗な格好をしてローの機嫌を取り、可愛く謝って仲直りをしようというものであった。


「わ〜!ナマエ、すっげぇ綺麗!」
「うんうん!これならキャプテンもご機嫌になるはず!」
「・・・そう簡単にいきますかね?」
「大丈夫だって!よし、じゃあさっそく行こうぜ!」


 果たしてこんな素敵なドレスが自分に似合っているのかと不安なうえに、着慣れないものでどうしても恥ずかしさが先行してしまう。怖気付いてローのところへなかなか行こうとしないナマエを、三人は半ば強引に引っ張っていく。
 すでに宴会が始まって三十分余り。ドンチャンドンチャンと鳴り響く軽快な音楽に身を委ながら人々は美味しい食事と酒に舌鼓をしており、場内は熱気に包まれていた。上座には一際存在を放つ大きなネコマムシの姿があり、その近くにはローとルフィが腰を下ろしている。ありったけの肉をかき集めて腹に収めているルフィとは相反して、ローはつまみと共にちびちびと酒を嗜んでいるようであった。


「よし、じゃあほらおにぎり持って!行ってらっしゃい!」
「ふぁいとー!」
「おれらも飲んでくるなー!」
「えっあ、ちょっと・・・!」


 そう言っておにぎりののった盆をナマエに手渡すと、三人は酒を取りに足早に去って行ってしまった。最後まで見守ってくれないのか!と絶望に駆られる反面、ここまでお膳立てしてもらったのだからと腹を括ったナマエは、大きく深呼吸をして歩み出す。
 まるで戦場に赴く戦士の気分だ。高鳴る胸の鼓動を噛み締めながら、ナマエはローの斜め後ろに回ると人一人分の間をあけて腰を下ろした。気配を感じたのか、ゆっくりとこちらに視線を向けるローとばちりと目が合う。彼は呆気に取られたように目を丸め、動きを止めた。絶妙に空いた間にいたたまれなくなったナマエは、ローが何か言葉を発する前に、手に持っていたおにぎりの盆をずいっと彼の手元に押し当てる。


「・・・お腹すいてるかなって、思って」
「・・・」
「・・・いらない?」
「・・・いや、食う」


 ぼそりと返ってきた返事とともに、大きな手がおにぎりをさらっていく。ほっと胸を撫で下ろしたものの、どう会話を続けるべきか、はたまたどう本題に切り込むべきか。空になった盆を凝視しながら考えていれば、ふいにローがずいっとナマエの方へと距離を詰めてきた。
 触れ合った肩にどきりと心臓が跳ねれば、伸びてきたローの手がナマエの顎をすくい取る。おにぎりは一瞬にして彼の腹の中に収まってしまったらしい。熱を帯びた視線がナマエを射抜いていた。


「ミンク族の衣装か?」
「うん・・・ワンダさんが選んでくれたの」
「似合ってる」
「・・・ほんと?」
「ああ。雰囲気がいつもと全然違うから、すぐにお前だって気がつかなかったがな」


 からかうようなくつくつとした笑い声の中に、不機嫌さの色はない。最初の関門であるご機嫌取り作戦は成功といえるだろう。
 思わず心の中でガッツポーズを決めながら、さてどう謝ろうかと灰色の瞳をじっと見上げれば、近づいてきたローの唇がナマエの唇を食む。一瞬ひるんだものの、ネコマムシの大きな背中に隠れているためか、周りは誰も二人の様子に気づいていない。そのまま深いキスが始まるのかと思いきや、彼の唇はすぐに離れていってしまった。


「安心しろ。もうがっついたりしねェ」
「え・・・?」
「抱けないことより、避けられてお前が隣にいないことの方が辛いからな」


 さらりと髪をかき分けてナマエの耳元を撫ぜるローの指先が、金色のピアスを弄ぶ。思わず漏らされた本音に、ナマエの心臓はぎゅうと音を立てて悲鳴をあげた。
 こちらが考えているよりもずっとずっと、彼は自分のことを大切に思ってくれているらしい。その事実が、ナマエの中の熱に火を灯すのは簡単だった。経験のない生娘でもないのに、こんなにも緊張しているのだなんて笑えてしまう。
 今度はナマエからローの方へと近づき、彼の首筋にすりよるようにして抱きつけば、「どうした?」と優しい声が降ってきた。


「ごめんね、ロー。あの場では事情を知らない人もたくさんいたし、他の人の船だったからそういうことをするのが恥ずかしくて・・・」
「あぁ・・・おれも少し性急すぎた」
「うん・・・。だからね、避けてたのはローに抱かれたくないからじゃないってことは分かってて欲しくて・・・。それでその・・・、どうせなら最初はちゃんとしたところがいいなって思ってて・・・」


 ゆっくりと言葉を紡ぎながら、ナマエはここに来る前にベポから渡されていたものを懐から取り出した。ネコマムシの邸宅の中で、客室として用意されている部屋の鍵。最上階の一番奥まった場所にあり、あまり人が寄り付かないという打って付けの場所をわざわざ用意してもらったらしい。
 松明の揺らめく炎を浴びて鈍く光を放つ真鍮の鍵を握りしめながら、ナマエは赤く染った頬を隠すようにしてローの胸に顔を埋めた。


「ローがいいなら・・・今夜、抱いて欲しいの」


 ええいままよと吐き出した想い。頭上でローの息を飲む声が聞こえたものの、数秒たっても何も返答がない。『もしナマエちゃんがいいと思うなら、ナマエちゃんから誘ったらキャプテン絶対嬉しいと思うよ』なんて言うペンギンたちの言葉を信じてはみたが、失敗だったかもしれない。
 慌てて面をあげると、はぐらかすようにナマエはわざと大きな声をあげた。


「って、・・・都合良すぎるよね!逃げてたのはこっちなのに。ごめんなさい、今の忘れ・・・」


 「て欲しい」と全てを言い切らないうちに、気がつけばナマエの身体は宙に浮いていた。言葉を受けて即座に立ち上がったローは、ナマエを横抱きにしたまま真っ直ぐにネコマムシの邸宅に向かっていく。
 緊張を紛らわせるためにも、宴会終わりにほろ酔い気分で事に及ぼうと思っていたナマエにとっては計算外の出来事だ。口をぽかんとあけたままローを見つめれば、彼はにやりと口の端をあげていた。



「ろ、ロー・・・」
「なんだ」
「もしかして、今から?」
「当たり前だろ。逆に足りねェくらいだ」


 月が顔をのぞかせ、空に星が瞬き出してからはまだ一時間も経っていないはずだ。一体どれほど時間をかけるつもりなのだろうか。
 一瞬身体を強ばらせたナマエの様子に気づいたのか、ローの唇が降りてきて、優しくナマエの額に口付けた。


「我慢させた分、覚悟しとけよ」


 宣言通り、ローに存分に愛を注がれたナマエはいつの間にやら意識を彼方に飛ばしており、翌朝身体中についた印を目の前にして、叫び声をあげることになった。

〔END〕