Sabo route 05




「はい、できた。あとは朝と夜にこの塗り薬を塗っておけば大丈夫よ」
「ありがとうお姉ちゃん!」


 くるくると細い腕に包帯を巻き終え、小さな手のひらサイズの瓶を手渡せば、先程までべそをかいていた少年は一気に花を咲かせたような笑顔を浮べる。そんな眩しい笑顔に釣られ、ナマエはニッと白い歯を見せながら、嬉しそうに手を振って病室を出ていく少年の後ろ姿を見送った。


「ナマエちゃんご苦労さま。区切りのいいところでお昼休憩入ってね。もうすぐナリーが買い出しから戻ってくるはずだから」
「分かりました。ありがとうございます」


 診察室から顔をのぞかせた女医の声に、ナマエは医療道具を片付けながら答える。時計を見ればすでに正午を回っており、慌ただしい午前の診療を終えた院内はようやく落ち着きを取り戻していた。
 今日はお気に入りのカフェでシーフードのパスタでも食べようか。そんなことを考えながら、ナマエは移動用のポシェットを手に街へ繰り出していく。

 ポーラタング号を降りて約半年。ナマエは幾つか島を巡った後、新世界のとある島に身を寄せ、島の片隅にある小さな病院に籍を置いていた。女医が切り盛りする病院はアットホームで評判が良く、働く看護師たちも皆気立てのよい者ばかりなため、今のところとても居心地良く働けている。
 綺麗に並べられた石畳を五分も歩いていけば、あっという間にカフェにたどり着いた。顔なじみの店主と軽い挨拶を交わして席につくと、すでに決めていた注文をウェイターに告げて、ナマエはようやく息をつく。窓辺から差し込む光でキラキラと揺らめくグラスの水を口にしていれば、少し離れた場所に座っていた老人たちの話し声が耳に入ってきた。


「いやぁ、まさかドレスローザが陥落するとはなぁ」
「モンキー・D・ルフィの仕業なんじゃろ?」
「でも結局悪さをしていたのは国王のドンキホーテ・ドフラミンゴらしい。王下七武海といえども、やっぱり海賊は海賊だな」
「ところで、海賊と同盟を組んだトラファルガー・ローは結局王下七武海を脱退になるんか?」


 年寄りたちが思い思いに世相について語り合う言葉を耳にしながら、ナマエはくだんの事について書かれていた新聞の内容を思い出す。
 始まりは二日前だ。『"七武海"トラファルガー・ロー "麦わらの一味"と異例の同盟』──デカデカとしたタイトルとともに掲載されたローの手配書。王下七武海入りして半年も経たないうちに、よくもまあま世間を賑わせてくれるものだと驚いたのも記憶に新しい。
 しかし事態はそれだけで終わらなかった。さらにその翌日には、その二組の海賊がドレスローザを治める王下七武海のドンキホーテ・ドフラミンゴを倒したというニュースが世界中を駆け巡ったのだ。
 ローの無事を知って安心したと同時、彼の手配書の横で輝かしい笑顔を浮かべていたルフィの姿を思い出し、ふとナマエの脳裏にサボの顔が過ぎった。きっと大切な義弟の無事や活躍を知って、彼もさぞ喜んでいることだろう。
 この島にたどり着き、忙しない日々を送っていたためか、気がつけばサボのことをこうして思い出すのは少し久しぶりな気がする。
 胸元で揺れるブルーサファイアをいじりながら、ナマエがぼんやりと窓辺から外の街並みを眺めていれば、ふと背後に人の気配を感じた。ウェイターが注文の品を届けにきたのだろう。そう思い顔をあげれば、そこには予想だにしない人物の姿があった。


「お久しぶりです、ナマエさん」


 美しいブロンドの髪に桜色の小さな唇。にっこりと愛くるしい笑顔を浮べるその人物は、かつてナマエが革命軍を去る発端となった女性──カナリアであった。



Sabo route 05



「びっくりしました〜!任務の買い出しついでにお昼を食べようと思って、たまたま覗いたお店にナマエさんがいるんですもん!あっ店員さん、注文お願いします〜」


 カナリアは長い睫毛を携えた大きな目をぱちぱちと瞬かせながら、メニューを閉じてキッチン付近にいたウェイターに声をかける。ちょうどナマエの注文していたグラタンが出来上がったようで、湯気のたつ皿を持って現れた男はそのままカナリアの注文に耳を傾けた。


「サンドイッチとホットティーでお願いします。砂糖とかはなしで」
「飲み物は食後にしますか?それとも一緒に?」
「どうしよっかなぁ〜ナマエさんご飯のあとデザート食べます?」
「・・・ううん。私、食べたらすぐに仕事に戻らなくちゃだから」
「えー!今って何の仕事してるんですか?」
「えーと、ほら・・・ウェイターさん困ってるみたい」
「あっごめんなさい!食事と一緒にお願いします〜」


 興奮した様に瞳を輝かせるカナリアに助言してやれば、彼女はしまったと言わんばかりに小さく舌を出した後、すぐさまウェイターに満面の笑みを向ける。愛らしい風貌も相まって、ウェイターの男は少し鼻の下を伸ばしながらメニュー表を預かって去っていった。
 相変わらずころころと変わる表情は無邪気で可愛らしい。サボもきっと、彼女のこういう女の子らしいところが気に入ったのだろうか。そんな事を考えれば、少しだけ胸の中の古傷がずきりと音をたてて傷んだ。
 蘇ってきた苦い気持ちを誤魔化すように再びグラスを手に取って喉を潤せば、目の前のカナリアはナマエが取りやすいようカラトリーケースを差し出してくれた。


「先食べてくださいね」
「ありがとう」


 礼を述べてフォークを取り出すと、ナマエは先に食事を頂くことにした。彼女は相変わらずにこにこした笑顔を浮かべながら、ナマエが去った後の革命軍の話を次々と語り出す。
 イワンコフがダンスのしすぎて腰を痛めて、マコモにお灸を据えられていたやら。事務のはずなのに人手不足で、任務のサポートとして船に乗ることが多くなったやら。その他も色々。名前の通り、まるで小鳥が囀るように軽やかな声で様々な話が語られる。


「そういえば今回の任務、キリルさんと一緒なんですよ。ナマエさんが突然いなくなった時、キリルさんすっごく心配してたんですよ〜。『ちっこい頃はよく面倒みてやったのに、おれに相談もないだなんて水くせェ』って」


 キリルとはかつて父・エルマーの直属の部下だった男である。ちょうどナマエより一回りほど上の年齢で、父のことをとても尊敬しており、幼い頃はよく遊び相手になってもらっていた記憶があった。確か、彼も父が亡くなった時にサボと同じく任務に帯同していたはずだ。
 最後のパスタを咀嚼しながらそんなことを思い浮かべていれば、ふいにカナリアが改まったような表情を浮かべて背筋を伸ばした。


「私たち明日の朝に島から出発予定なんです。キリルさんもナマエさんに会いたいと思うし、もう一回今日の夜に会えませんか?私もその・・・きちんとご報告したいことがあるので」


 報告とは──恐らくサボとの事だろう。自分が去った後に二人がどういう関係に落ち着いたのかは定かでは無いが、口ぶりからきっと恋人関係になったのだろう。本音を言えば、彼女からそのような報告を受ける義理はないし、聞きたくもなかった。かといって無下に断ることも僅かに心苦しさが残る。
 ナプキンで口を拭いながらナマエが考えあぐねていれば、カナリアの注文を持ってきたウェイターが姿を現した。トマトとサラダ菜、そしてスモークチキンが綺麗に挟まれたサンドイッチの皿と共に、ティーカップがテーブルに並べられる。


「港近くの『レイニーブルー』っていう宿の310号室に泊まってるので、もし良ければ来てください」
「うん・・・分かった。少し、考えさせてもらうね」


 深い海のような青色のカップには、透き通った琥珀色の紅茶が並々と注がれていく。ゆらりと湯気のたつそれを眺めながら、ナマエは青色に揺らめく面影を脳裏に浮かべ、小さく頷いた。



***



「310号室に泊まってる人に会いにきたんですが」


 港のすぐ近くに佇む小さな宿のフロント。カウンターに置かれた呼び出しのベルを鳴らし、出てきた宿主の男にナマエはそう声をかけた。
 午後の仕事を終え、一度家に帰ったナマエがカナリアと再び会うために宿に向かった理由はふたつある。一つは二人の事の結末をきちんと聞けば、心のどこかにつかえたままの気持ちがすっきりするかもしれないと思ったこと。もう一つは、世話になっていたキリルに挨拶もせずに去った事が気がかりとして残っていたということであった。


「310号室・・・あぁ、ブロンドの女の子かい?」
「はい、そうです」
「あの子なら、一時間ほど前に少し出かけると鍵を預けていったがなぁ」
「えっ・・・」


 訝しげな表情で首を捻る宿主に、ナマエも目を丸める。確かに交わしたのは夜に会おうという言葉のみで、待ち合わせの時間などは詳細に決めていなかったのだ。しかしこうもタイミングよくすれ違いになるなんて誤算であった。
 買い物にでも行ったのか、はたまた任務で何か動きがあったのか。少しだけここで待たせてもらえないか頼んでみようと口を開いた時、ふいにフロント横の階段から誰かが降りてくる足音が聞こえてきた。
 音に釣られて顔を上げれば、緩いウェーブの栗色の髪をした無精髭の男が目に入る。くぁっと欠伸をしながらこちらに向けられたメラルドグリーンの瞳に、ナマエは小さく息を飲んだ。


「おいおいおいおい〜っ!ナマエじゃねェか!!」
「・・・キリルさん」
「お前なぁっ心配かけさせやがって〜!カナリアから話は聞いてんぞ!!元気でやってんのか?」

 
 ダンダンと大きく音を鳴らしながら残りの階段を飛び降りてくると、現れた男──キリルはとびっきりの笑顔向けながら、ぐしゃぐしゃとナマエの頭を撫で回す。革命軍を去った後も、こうして優しい声をかけてくれるのは彼の人となりがあってのことだろう。


「ご心配おかけしてすみません。今はこの島の病院で働きながら何とかやってます」
「そーかそーか!元気なら良かった!まぁもろもろ積もる話は酒の席でじっくりと聞くとして・・・。カナリアだけど、用事ができちまったから直接店で落ち合うことになってよ。そんでもっておれが、ナマエをここで待つ役目を仰せつかった訳だ」
「そうだったんですね」
「よっし!無事に合流できたし、店に向かうか!」


 大きな口をあけてガハハと豪快に笑う彼は、昔とちっとも変わっていない。懐かしい気持ち包まれながら、ナマエはキリルに促されるようにしてそのまま宿を後にした。
 すっかり夜に染まった空には星々が瞬いており、宿から道を一本入ればすぐに海が見えてくる。港の船着場では、船乗りたちが篝火をたいて荷降ろしの作業を行っていた。古びた石畳の上を歩みながら何気ない会話を交わしていれば、ふと飲食店街が並ぶ方角とは違う方にキリルが進んでいることにナマエは気がついた。


「あの、こっちにお店ってありましたっけ?」
「ん?あぁ、ちょっと借りてる倉庫に忘れもんしてさ。ついでに取りに行こうと思って。悪りぃが付き合ってくれ」


 いつの間にやら船着場を通り越し、二人は港の倉庫街に足を踏み入れていた。不思議に思ったナマエが尋ねてみたものの、キリルは飄々とした様子でそう答える。
 今回彼らが行っている任務は、倉庫を借りなければならないほどの大仕事なのか。そうなると、大規模任務で革命軍の専用船でこの島まで来たことになる。しかしカナリアとキリル以外の見知った革命軍メンバーを誰一人見かけなかったし、専用船であれば船内に部屋があり、宿を取る必要もないはずだ。なのに、なぜ。
 ふと湧き上がってきた疑問を頭の中で反芻していれば、奥まった場所にあるレンガ屋根の倉庫の前にたどり着き、そこでキリルが足を止める。ナマエも続いて停止すると、目の前の鈍色に光る大きな鉄扉を見上げた。


「銃の玉の予備を忘れちまってよ。ここの扉、たてつけがよくねェんだ。おれはドアハンドルを引っ張るから、悪りぃがナマエは開いた隙間に手を引っ掛けて一緒に押してくれるか?」
「はい、分かりました」


 キリルが鉄扉のドアハンドルを掴み力強く引くと、ギィィと鈍い音を立てて引き戸がゆっくりと動き出す。ほんの少し開いた隙間に手を入れると、ナマエは言われるがままに鉄扉を押していく。たてつけが悪いからなのか、年季が入っている古いものだからなのか、確かに二人がかりでやっと開くような重い扉であった。
 ようやく一人が通れるほどの隙間が開いたところで、ドアハンドルから手を離したキリルがナマエの方に回ってくる。あとは彼が中に入って玉の予備を取るだけだ。そう思いナマエはその場から退こうとする。しかし、目の前に立ちはだかったキリルがそれを許さなかった。


「・・・キリルさん?」


 背の高い彼を見上げながら、ナマエは問う。革命軍にいた頃、キラキラと輝いていた男の目は闇を飲んだように深い色に染まっていた。



「ナマエ・・・頼むから、次こそは役に立ってくれよ」



 降ってきた声と共に伸びてきたキリルの大きな手が、そのままナマエを後ろへ突き飛ばした。勢いよく倉庫の中に尻もちをついたナマエが慌てて起き上がるもすでに時遅く、無情にも鉄扉を閉められてしまい、あたりは深い闇に包まれる。
 まさか、どうして、なんのために。バクバクと高鳴る心音を飲み込みながら、扉を開けようとドアハンドルに手をかけたと同時。何かで殴りつけられたように後頭部に大きな打撃を受け、ナマエは地面に倒れ込んだ。
 ぐわんぐんと脳が揺さぶられるような感覚。暗闇の中のはずなのに、何かが弾けたように目の前でちかちかと光が乱反射する。遠のいていく意識を何とか保とうと浅い呼吸を整えていれば、ナマエの首元にふいに誰かの指先が触れた。
 するすると皮膚を伝う金属のチェーンの感触。サボから貰ったネックレスを奪い去ろうとする細い指を阻止するために、ナマエは必死に手を伸ばす。

 しかし、意識が続いたのはそこまでであった──。