02



「ナマエちゃん、あとでさっき売れた薬草の補充とついでに解熱剤も作っといてくれるかい?ちょっとかーちゃんの屋台の片付け手伝ってくるよ」
「分かりました。解熱剤はキカラスウリのやつですよね?」
「そうそう、よろしくね」


 ナマエにそう告げると、店主のルックは足早に店を出ていった。それを見送ると、ナマエは手際よく薬草を棚に補充していき、解熱剤に必要な材料を作業台に集めていく。扱う薬草の数が膨大で、店に来たばかりの頃は棚の場所をいちから覚えるのに苦労したこともいい思い出だ。
 ナマエが偉大なる航路にあるこの島にやってきて、すでにもう二ヶ月が経とうとしていた。


 ドラゴンに革命軍を辞めたいと告げた時、彼が難色を示すことを覚悟していた。なんせ創始者メンバーで幹部も務めた者の娘である。
 しかし蓋を開ければ、革命軍についての情報漏洩をしないという書類にサインをしただけで、理由を問い詰められることもなく、ナマエの除隊はあっさりと認められた。


『エルマーの遺言だった。"娘が革命軍を辞めたいと言ってきた時は、認めてやってくれ"と』
『父がそんなことを・・・』
『"俺は自ら革命軍に入ったが、娘はそうせざる終えなかっただけだ"とよく言っていたからな。・・・達者でな』


 ドラゴンと交わした会話は短かったが、彼と己の父親との絆を垣間見れた気がした。

 その後のナマエの行動は早かった。サボが本部から離れて数日間不在になるタイミングも重なっていたため、ナマエはすぐさま荷物を纏め、上司であったマコモにだけ別れを告げて足早に革命軍を去ったのだ。
 当てもなくたどり着いた島で仕事を探せば、経験を活かせる薬剤を取り扱う仕事にありつける事ができたため、こうして働いている。

 解熱剤のキカラスウリの根をローラーで粉にしていくと、なんとも言えない香りがナマエの鼻を掠める。ふと、サボが頂上戦争で亡くなったポートガス・D・エースのことを思い出して倒れた時も、この材料を使って薬を作った記憶が甦った。
 革命軍を辞めてまで傍を離れたのに、何かにつけて彼のことを思い出してしまう自分がほとほと嫌になる。サボから十八の誕生日にもらった青い宝石が輝くネックレスを、捨てることができずにずっと身につけているのも、まだ彼に未練がある証拠であった。
 ぼんやりとそんなことを考えていれば、カランコロンと来客のドアベルが鳴る。その音にナマエは「いらっしゃいませ」と声をあげて入口の方へと顔をむけた。



「このリストに書いてあるものを全て用意できるか?」


 背の高い細身の身体に大きな刀。そして特徴的な白い帽子を被る男の顔に、ナマエは見覚えがあった。
 男から紙を受け取り目を通せば、薬草に関しては全て取り揃えることができるものの、薬に関しては今から精製しなければならないものがいくつかあった。


「この消炎剤と貼り薬、あと最後の化膿止めに関しては今からの精製になるので、お時間いただけますか?」
「どれくらいかかる」
「明日の朝にはお渡しできます」
「それでいい。料金は前払いしておく」
「ありがとうございます。取り置きになるので名前をお伺いしても?」
「・・・ローだ」


 ちらりと帽子の下から覗いたするどい瞳が、ようやくナマエと交わった。
名を聞いてやはりと確信する。今なにかと話題になっている海賊・最悪の世代の一人で、『死の外科医』と呼ばれているトラガルファー・ローだ。
 革命軍の時に幾度となくその手配書を見ていたし、仕事柄彼が食べたというオペオペの実の能力が一体どういったものなのかということにも興味があった。こうやって薬を購入しているところをみるに、外科の範囲は能力で治せても、外傷や薬剤投与などが必要なものに関してはもしかすると能力が使えないのかもしれない。
 そんなことを考えながらナマエは手早く注文票を記入し、ローに手渡した。


「全部でニ万ベリーになります。薬草も明日まとめての受け取りでよろしいですか?」
「あぁ、それでいい」


 受け取った注文票に目を通しながら、ローはナマエに返事を返す。しかし突然、手にしていた紙のある一点を見つめたまま彼はぴたりと動きを止めた。


「あの・・・何か間違いでも?」


 恐る恐るナマエがそう尋ねると、ローははっと我に返ったかのように「何でも無い」と首を横に振り、提示された金額を素直に渡すと颯爽と店を去っていった。
 名の知れた海賊といえども、案外一般市民に対しては横柄な態度を取ることはないらしい。革命軍の時は基本的には医療班として本部にいることが多かったナマエにとって、海賊とは少し未知な存在であった。



***


 ふわふわの白い毛玉の塊が、今日もにっこりと笑顔を浮かべてやってくる。


「ナマエ〜!今日も買いに来たぞ!!」
「いらっしゃい、いつもありがとう」


 街の中心にある高台の大広場。海が見渡せ至る所にベンチが設置されたこの場所では、いくつもの屋台が出店しており、昼になると飲食物が飛ぶように売れていく。
 ナマエの目の前に立つオレンジ色のツナギを着た白熊・ベポも、それを目当てにきたうちの一人である。


「昨日もシャチとペンギンとお昼に覗いたんだけど、ナマエいなかったよな?」
「うん、昨日は薬屋の方のお仕事だったんだ。あ、明後日もまたこっちだよ」
「やったー!俺らあと数日は島にいる予定だから、まだナマエのおにぎり食べれるな!」


 ナマエの言葉に、ベポは嬉しそうに身体をゆさゆさと動かした。彼とナマエが知り合ったのはほんの五日前のことである。
 ナマエが働いている薬屋の店主・ルックの母親がこの大広場の屋台で軽食の販売を行っており、週の半分はこちらの仕事も手伝って欲しいとお願いされているのだ。
 その屋台に五日前から客として訪れているのが、ベポと今日は不在の男たち・シャチとペンギンの三人であった。どうやら彼らは海賊のようで、少しの間この島に滞在しているらしい。


「今日はシャチさんとペンギンさんは一緒じゃないんだね」
「うん、あいつらは別の買い出し。だから今日は俺とキャプテンの昼飯を買いに来たんだ」
「そっか。今日はどれにする?」
「えーっと俺はしゃけとおかかチーズとたらこで全部二つずつね!キャプテンはね、ツナとひじきのやつがお気に入りだからそれ二つと・・・あとからあげとこんぶのやつ!」
「はーい、ちょっと待っててね」


 ベポの注文を受けて、ナマエは手際よくおにぎりを握っていく。
 普段ルックの母親はサンドイッチの販売しか行っていない。ナマエが彼らに世話になり始めた際、様々な具材を挟んだおにぎりを振舞ったところいたく気に入ってもらえ、ナマエが店番をする日はおにぎり屋として営業するように勧められたのだ。

 あっという間に出来上がった握りたてのおにぎりをパックに詰めて、ナマエはベポに手渡す。その食欲をかきたてる香りに、ベポの腹の虫が呼応するように鳴り響いた。


「温かいうちに食べてね」
「うん!すぐ船に戻るよ!キャプテンがおにぎり楽しみにしてるから!それじゃあな!」


 ドスドスと足音をたてて去っていくベボを見送ると、次の客に声をかけられナマエは注文を聞いて再びおにぎりを握る。
 常連の漁師たちで、朝早くから海に出て漁を終えた彼らは少し疲れた様子で煙草を吹かしていた。


「なんだかお疲れですね。何かあったんですか?」
「それがよぉ〜なんか朝から海軍の船が島の近くを彷徨いてて、魚が沖に追いやられちまってたんだよ」
「帰ってきたら港でも海軍の姿を見かけたし・・・島に賞金首の海賊でも来てんのかねぇ」
「ナマエちゃんも今日は早く店じまいしなよ。もしかしたら一悶着あるかもだし、海賊なんて何するか分かんねぇからな!」


 賞金首と聞いて、ナマエの脳裏には昨日会ったトラガルファー・ローの顔が浮かんだ。
 この島は比較的小規模な島なうえに、海軍本部からそう遠くない場所というのもあって、島内には支部や駐在所がない。そのため海軍を見かけることはあまりなく、逆に言えばその海軍が港を彷徨いてるとなるとそれは大捕り物が行われる合図だ。もしかして今日のターゲットは彼なのかもしれない。

 漁師たちの言葉に「気をつけますね」と笑って答えながらも、ナマエはローが無事に海軍に見つからずに昨日注文していた薬を受け取れたのかが気がかりであった。
 たとえ海賊といえども、きっとあの薬は彼が自分自身がもちろん、仲間を治療するために使うものなのであろう。医療は常に中立で平等でなければならない。無事に彼の手元に届いていますようにと、願わずにはいられなかった。


 その後一時間もしないうちに飯台の中の米が空っぽになったため、ナマエはいつもより早く店じまいすることになった。
 片付けを済ませ売上金を渡しに薬局のほうに顔を覗かせれば、店はあまり忙しくはないようで、今日はもう上がっていいとルックに告げられる。備品の片付けをしながら注文リストを見れば、ローの名前の欄には受け取りサインが記入されていたため、ナマエは安心して店を後にし、貴重品の入ったリュックを片手に市場に向かうことにした。

 この島にきて早二ヶ月。近道や裏道をほとんど網羅したため、大通りを使うルートであれば十分ほどかかる市場への道のりも、ものの五分で着くようになった。
 家々の隙間にある入り組んだ細道を歩きながら今日の夕飯はどうしようかなどと考えていれば、ふいにナマエの目の前を見覚えのある黒い影が二つ駆け抜ける。路地の隙間に消えていくそれらを慌てて追いかけたが、その姿はもうすでに見えなくなっていた。


「いたぞ!あっちだ!」
「追いかけろ!!」


 続いて慌ただしい声とともに、息をきらして姿を現したのは海兵たちであった。正義のマントを翻し、銃を持った彼らは先程逃げていった影を探しているようで、慌てたように走り抜けていく。
 それを見たナマエは、急いで今来た道を全速力で引き返した。二つの影が入っていったところは一本道で、最後にはナマエがこの島で使っているドミトリー付近に出てくるはずだ。
 息を切らしながらも先回りしてドミトリー横の薄暗い路地裏を覗き込めば、ちょうど飛び出してきた黒い二つの影は、突然現れたナマエの姿を見て「ぎゃー!!」と大きな悲鳴をあげた。


「いやーっ!!キャンプテーーン!!」
「しー!静かにしてください!」
「って・・・あれ、ナマエちゃん!?」
「そうです!とりあえず早く中に入って!」


 逃げていた黒い影−・・・今朝会ったばかりのベポの仲間であるシャチとペンギンは、現れたのが海兵ではなくナマエだということに気がつくと、慌てて己の口を両手で抑え、そのまま導かれるようにドミトリーの玄関に飛び込んだ。
 急いでドアを閉め、ナマエはしゃがんだまま窓から外の様子を伺う。すぐさま海兵たちが同じように路地裏から飛び出してきたが、忽然といなくなった二人の姿を探して港の方へと走り去っていくのが見えた。


「・・・とりあえず、難は逃れたみたいですね」
「うう〜・・・まじで助かったァ」
「ナマエちゃん、ほんとありがとな」


 涙目になりながら感謝を述べる二人に、ナマエは息を整えながら小さく首を振る。
 革命軍に所属していた際、たまに救護メンバーとして船に乗船して初めて訪れる島に上陸する事があったが、その時に生きる術として街の地図や裏道を頭に叩き込むようナマエに教えてくれたのは亡き父である。それが役に立って良かったと、ナマエは手首につけていたヘアゴムで髪を一つにまとめながら、ペンギンたちの方へ視線を向けた。


「朝から沖に海軍がいたと漁師の方たちが言っていたので、残念ながらすでに街の中はあらかた抑えられてると思います」
「やっぱりか・・・なんか市場から後付けられてんなぁとは思ってたんだよなァ」
「船はどちらに?」
「港の反対側にある入江に停泊してる。大きな大木と寂れた釣り小屋があるとこなんだけどよ・・・」


 その言葉に、ナマエは頭の中で島の地図を思い浮かべる。人に見つかりにくい林を通り抜けるルートでなんとかたどり着けそうな場所だ。
 本来であれば助ける義理などない間柄ではあるし、海軍がわざわざ追い回すような海賊団だ。もしかしたらベポたちが所属する海賊団は、トラガルファー・ローが率いる海賊団のように、とんでもない大悪党なのかもしれない。
 けれど、何度かおにぎりを買いに来てくれている時にペンギンたちが見せた人柄はいくら海賊といえども憎めないもので、困っている彼らをナマエは見捨てることができなかった。


「あの・・・私が入江まで案内します。多分見つからずにいけるルートがあるので」
「えっ!?いやいや!いくらなんでも危なすぎる!!」
「そうそう!これ以上迷惑かけれねぇよ!」
「乗りかかった船です。私、こうみえても結構逃げ足には自信があるんですよ」


 にっこりと笑みを浮かべながら、ナマエはリュックから取り出したキャスケットを目深くかぶる。
 突拍子もない発言に、必死に断ろうとするシャチたちであったが、有無を言わさない笑顔と絶望的な状況を鑑みて、彼らはナマエの提案を受け入れることしかできなかった。