03



 鬱蒼とした林の中を進んでいく三つの影。ナマエを先頭に、シャチとペンギンはできるだけ音をたてないように注意を払いながら獣道を下っていく。
 時たま海兵の姿を見かけたが、ナマエが機転を利かしてすぐさまルートを変更をして進んで行ったため、ついには入江まであと少しというところに差し掛かっていた。


「キャプテンたち無事かなァ・・・」
「船、見つかってねぇといいんだけど」


 不安そうに呟く二人の声を後ろに、ナマエは草むらの陰からひょこっと顔を覗かせあたりを見回した。入江近くの釣り小屋の入口には海兵が二名。何やら中にいる人に話を聞いているようで、ちょうどこちらに背をむけている状態であった。
 今が絶好のチャンス、と思ったその時。ふいに背後からがさがさと草をかき分けてくる音が耳に飛び込んでくる。視界に入った白い服、そして銃。
 それを捉えた瞬間、ナマエは息を大きく吸い込むと勢いよく立ち上がった。


「船まで走ってください!!」


 ナマエの声に、ペンギンとシャチは弾かれるようにして船のある入江まで全速力で駆け出した。
その姿を見送りながらナマエは、現れた海兵の意識を逸らすために、わざと地面に落ちていた缶を空へと思い切り蹴飛ばす。カラン!!と大きな音に釣られて、海兵の視線が上に向くと同時に、ナマエは街の方へと全速力で駆け出した。
 帽子のおかげもあって恐らく顔は見られていない。このまま街に逃げ込んでしまえば、きっと上手く追っ手を撒くことができるだろう。

 そう思って茂みに飛び込んだ矢先、自分の身体の何処かが木の枝先に引っかかり、ナマエは一瞬身動きが取れなくなった。そのまま無理矢理身体を動かした反動によって、己の首元で何かが外れた感覚を感じる。
 チェーンがひきちぎれたネックレスが、地面に吸い込まれるように、ナマエの首からこぼれ落ちていった。



『十八歳の誕生日おめでとうナマエ。これ、プレゼント』


 そう言って少し照れくさそうに小さな箱を渡してくれたサボの顔が、ナマエの頭の中を走馬灯のようにゆっくりと流れていく。


『・・・もらっていいの?』
『もちろん。気に入ってくれたら嬉しいんだけど』


 ベルベット調の小箱をサボから受け取りながら、ナマエは嬉しさのあまり、破顔せずには居られなかった。成人をむかえる大切な節目の誕生日に、幼い頃から思いを寄せていた相手からプレゼントをもらえるなんて思ってもみなかったからだ。
 夢ではないかと目を瞬かせていると、サボは早く開けて欲しいのか、んんっと咳払いをしながら、ちらちらとこちらに視線をよこしてくる。
 ナマエが慌てて箱を開ければ、そこには青色の宝石が一粒ついたネックレスがキラキラと輝きを放っていた。


『きれい・・・』
『・・・気に入ったか?』
『うん、もちろん!』


 サボの問いにナマエが飛びきりの笑顔で答えれば、彼も安心したように微笑んだ。
そのままサボは革の手袋を外してポケットにしまうと、ナマエの手のひらにある箱からネックレスを掬いあげる。そして『つけてやる』と言いながら、ナマエの後ろに周り、自分の手を彼女の首に添わせた。
 器用に付けられたネックレスは、ナマエの胸元でさらなる眩い光を煌めかせる。


『サボ、本当にありがとう。とっても嬉しい。忘れられない誕生日になったよ』


 頬を緩ませたままナマエがネックレスを弄りながらそう感謝を述べれば、ふいにサボの手がナマエの髪に伸びる。さらりと揺れるナマエの髪を一束掴むと、サボはそこにそっと口付けをした。
 その時ぼそりとサボが何かを呟いた気がしたが、ナマエは突然の行為にそれを聞き取れるほど余裕がなかった。


『あ、あのっ・・・サボッ!なにか言った?』
『・・・いや、なんでもねェよ』


 触れられていた髪がサボの手元から名残惜しそうにナマエの元に返ってくる。頬を赤く染めたナマエの顔を見て、サボはまた優しい笑みを浮かべた。

 あの時サボは何を言っていたのだろう。 もしかして、あの頃はサボも自分と同じ気持ちだったのだろうか。
 それなのに、どこでボタンをかけ違えてしまったのだろうか。


 幸福と後悔が入り交じる記憶を思い出しながら、ナマエは地面に落ちたネックレスを掴もうと、咄嗟に急ブレーキをかけて踵を返した。
 その刹那、ナマエを追いかけてきていた海兵と目線が交わる。男の手に握られていた銃口は、既にこちらを向いていた。
 発砲音が鳴り響く中、ナマエはネックレスを拾い上げながら、体を貫くであろう痛みに備えた。


「"ROOM"ー "シャンブルズ"」


 降り注ぐ透き通った声。
 それと同時、ナマエの身体が宙を浮いたかと思えば、次の瞬間には誰かに抱き抱えられていた。


「トラガルファー・ローだ!!」


 海兵の声にナマエははっと視線を上げる。昨日店で見た時と同じ帽子を目深くかぶった男、トラガルファー・ローはナマエをしっかりと脇に抱えたまま、空いている方の手をかざし、また同じ言葉を唱える。
 青いドーム型の膜が周りを覆ったかと思えば、次の瞬間にはまたどこかに移動しており、気がつけば目の前には先程まで共に逃げていたシャチとペンギンの姿があった。


「うわーん!!ナマエちゃーん!!無事でよかったー!!!」
「なんで一緒に逃げなかったんだよー!!囮になるなんて聞いてねェぞバカー!!」


 ナマエの姿を見るや否や、二人はローの腕にいたナマエに抱きつくと、忙しなく鼻水と涙を流して大声をあげる。二人にナマエを投げるように渡すと、ローは後ろに振り返って声を張り上げた。


「ベポ!船を出せ!!」
「アイアイ!キャプテーーン!!」


 その声に、ナマエはようやく己が船の上にいることに気がついた。
 呼応するようにすぐさま船が動き出し、発砲しながら追いかけてきていた海兵たちの姿がどんどん見えなくなっていく。幸い海軍の船は港側に集中していたようで、沖に出るまで出くわさずに逃げ果せることができた。
 おいおいと泣き続ける二人に加えて先程聞こえたベボの声、そして目の前のロー。彼らが同じ船の仲間だったとは微塵にも思っていなかったナマエは、この状況を上手く飲み込めないまま、ただ床に座り込んでいた。


「いつまで泣いてんだお前ら」
「いだっ!」
「キャプテンひどい!」
「そろそろ潜るぞ。ベポを手伝ってこい」


 ローに蹴飛ばされ、シャチとペンギンは慌てて立ち上がると、「またあとでな!」とナマエの背中を叩き、いそいそと船内に入っていく。
取り残されたナマエに降り注ぐローの視線。事故とはいえ、悪名高い最悪の世代の船に乗り込むことになるなんてとナマエが視線をさ迷わせていると、意外にも彼はこちらに手を差し伸べてきた。


「・・・うちの船員が世話になった」


 その言葉に、ナマエは差し出されたローの手を遠慮がちに取った。引っ張られようにしてようやく立ち上がると、彼はナマエからすぐに手を離し、「付いてこい」と顎で船内の方を示す。今更、はいさようならと海に放り投げられても困るし、大人しく従う他に道は無い。
 ナマエは小さく頷くと、握っていたネックレスをポケットにしまいながら、ローの後をついて船内に続く階段を降りた。

 ナマエたちが船内に入ってきたことを確認すると、階段下に控えていた船員が天井のハッチを閉じて開閉用ハンドルを回した。先程のローの発言と分厚いハッチの構造を見るに、もしかしてこの船は潜水艦なのかもしれない。
 海賊にしてはなんとも珍しいとナマエがきょろきょろ視線を泳がせていれば、ローはまたさらに階段を降りていき、一番角にある部屋の扉を開けた。


「入れ」
「・・・失礼します」


 言われるがままにローの後に続いて部屋の中に入る。そこにはところ狭しと分厚い本が並んだ本棚が部屋を占領しており、あとはシンプルなベッドやデスクなど必要最低限の家具が並ぶだけであった。恐らく船長であるローの部屋なのであろう。
 十分な広さのある部屋の中央に置かれた深いグリーンのソファーにローは腰掛けると、そのままナマエに視線を寄越した。


「お前、昨日薬屋にいた女だな。俺らが何者かはだいたい分かっているな?」
「・・・はい」
「それなら話は早い。うちのクルーを助けてくれたことには感謝する。だが海軍に追われている以上、すぐにあの島に戻ることはできない」
「そう、ですか・・・」
「目的があってしばらくはいくつかの島を巡るつもりだ。だが最終的には海軍本部に行く。その時に解放してやるから、海軍に助けを求めるなりなんなり後は自由にしろ。・・・何か質問は?」


 淡々とローの口から述べられた現状。元から逃げるように革命軍を去った身のため、大切なものは背負っていたリュックに全て入れてあるし、住まいも後腐れないドミトリーだ。世話になったルックたちには悪いが、海賊に連れ去られたやら海賊の仲間だったやらと好き勝手に飛び交うであろう噂でも聞けば、恐らく彼らも諦めてくれるだろう。
 情報を処理するようにナマエは深く息を吸い込むと、ただ素直に「分かりました」と同意を示す。するとその反応が気に食わなかったのか、ローは怪訝そうな表情を浮かべながら眉をひそめた。


「お前、あの島の人間じゃないのか?」
「二ヶ月前に島にきたばかりで・・・」
「・・・前はどこにいた?」
「・・・新世界にある小さな島で、リシャール島というところです」
「なぜあの島に?」
「十年ほど父と共に暮らしていたんですが、父が亡くなり、心機一転別の場所に住もうと定住できる島を探していたらあそこにたどり着きました」


 革命軍本部のあるバルティゴの名を告げる訳にはいかず、ナマエは咄嗟に以前父と共に訪れたことのある島の名を告げた。まるで値踏みするような威圧的なローの視線に、嘘をついているのも相まって、己の心臓の鼓動がバクバクと早くなるのを感じる。
 素性の分からない者をしばらく船に置いておくのだ。船長としてローの言動はけして間違ったものではないことを、ナマエも十分理解していた。


「・・・まぁいい。船にいる間は雑用と、俺の手伝いをしてもらう」
「分かりました」
「最後に・・・薬屋、お前の出身はどこだ?」
「・・・えっと、北の海です」


 薬屋とは恐らく自分のことだろう。独特な呼び方に、目をぱちくりさせながらナマエは思わず素直に答えてしまった。その答えを聞いて一瞬、ローの眉間のシワが緩んだような気がしたが、またすぐに難しそうな表情に戻る。
 それと同時にコンコンと部屋をノックする音が聞こえ、ローの「入れ」という声と共にドアが開いたかと思えば、ひょっこりとベポが顔をのぞかせた。


「ベポ!」
「ナマエ〜!!無事でよかったなァー!」


 そう言いながら大きな白い身体がナマエを軽々と抱き上げる。ベポの登場により、息苦しかった空間が一気に柔らかいものにかわり、ナマエはようやくほっと息をつけたような気がした。


「・・・しばらくそいつを船に乗せることにした。部屋はとりあえず医務室の隣のところを使わせてやれ。あと船内の案内もだ」
「アイアイ!キャプテン!!」
「俺は医務室にいる。案内が終わったら後でペンギンとシャチと一緒に来い。どういう経緯でお前らが知り合ったのか話を聞かせろ」


 おもむろにソファーから立ち上がると、ローはナマエとベポの横を颯爽と横切り、あっという間に部屋を出ていってしまう。それを見送った後、すぐさまベポはナマエの胸元を凝視するような視線を寄越した。


「取られた?」
「・・・何を?」
「心臓」
「し、心臓?」


 突然のベポの言葉にナマエはとんでもないといわんばかり慌てて首を横に振る。するとベポはつぶらな瞳を大きく見開きながら、驚きの声をあげた。


「珍しいなぁ!キャプテンが心臓取らないなんて!まぁいいや、船の中案内するよ」


 己の発言が取るに足らないことのように、ベポはナマエの返答を聞くや否や、すぐに切り替えて部屋の扉を開けた。
 革命軍を去ってから早二ヶ月。まさかこんなことになろうとは、本当に運命とは不思議なものだ。このような非日常的な出来事を体験していくうちに、サボのことをいつか忘れられる日が来るのだろうか。
 そんなことを思いながら、ナマエはベポに続いて部屋を後にした。