06



 ナマエがこの一ヶ月でローについて理解したことは二つある。
 一つ目は仲間と認識した者以外には容赦がないということ。

 海上で狙っていた海賊を見つけ戦闘になった際、ローは迫り来る敵を一掃し、あっという間に船を沈めた。オペオペの実の能力を使って身体を切り刻み、心臓を奪い去る姿は敵からすればまさに悪魔の所業で、自分がもし彼らを裏切るような行為をすれば同じ目に合うのだろうということをナマエは理解した。

 そして二つ目は、自分のことを蔑ろにしがちであるということだ。
 ある日、ローが一人でどこかに消えたかと思えば、翌日血がついた服のままふらりと帰ってきたことがあった。


「うげぇ、結構な血じゃないっすか」
「キャプテンどこ行ってたんだよー!」
「野暮用だ。シャチ、これ閉まっとけ」


 船員たちが囲む中、そう言ってローの手から投げられた誰かの心臓キューブをシャチが慌ててキャッチする。心配したベポがローに怪我はないかと身体をぺたぺた触り出したが、彼は「なんともねェ」とそれを払い除けた。
 そのまま一人部屋に戻ろうとするローを追いかけ、人目に付かないところでナマエは彼を呼び止める。


「ローさん」
「なんだ?」
「肩、怪我してますよね」


 ナマエの言葉に、ローは一瞬目を見開いたが、すぐにバツが悪そうに視線をナマエから外した。


「・・・なんともねェって言ってんだろ」
「・・・左肩をあげる度に、少し動きが止まってますよ」
「・・・」
「自分で手当しにくい場所でしょう?すぐ済ませますから」


 ローもこの一ヶ月でナマエが意外と頑固な性格で、どれだけ言っても引かない部分があるということを理解したのだろう。「部屋にこい」と小さく呟くと、そのまま自室に続く階段を降りていった。
 ナマエはほっと安堵のため息をつくと、医務室に包帯や薬などを取りに行き、すぐにローの部屋へと向かった。


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「少し染みますけど我慢してくださいね」


 消毒液を染み込ませたガーゼを手に、ナマエはローの背後に回って恐る恐る彼の肩に触れる。大きな青痣と共に、拳一つ分ほどの大きな切り傷がそこにはあった。
 ガーゼが傷に触れるとローはぴくりと肩を動かしたものの、痛みに耐えているような仕草はなく、ただ平然とナマエの処置を受けていく。


「痛くないですか?」
「・・・別に、これくらい慣れてる」


 確かに幾度となく死線を越えてきた彼からすればたかがこんな傷なのだろう。かつて在籍していた革命軍でもこれくらいの傷の手当ては日常茶飯事に行っていたため、ナマエとしてもこのような処置は朝飯前だった。
 傷口に新しいガーゼを当てながら、ナマエは周りに付着している血を湿らせておいたタオルで綺麗に拭うと、包帯を丁寧に巻いていく。


「お前も慣れてるな」
「え?」
「町の薬屋で働くような女が、瞬時に怪我に気づいて的確に処置してるじゃねェか」
「・・・そうですか?」


 探るようなローの声色にナマエは一瞬言葉に詰まった。かつて革命軍に在籍していたと告げてもいいくらいにはローたちのことを信頼し始めてはいたが、かと言ってそう易々と公表していいものでもない。


「母が医者だったので、どういう処置をしていたかはよく見ていたからですかね」


 咄嗟にそのように返せば、ローは背を向けたままちらりとこちらへ視線を寄越した。


「・・・北の海で医者をしていたのか?」
「はい、片田舎の町医者ですけど。この部屋みたいに母の部屋も医学書だらけでしたよ」


 そう言いながらナマエはローの部屋に並ぶたくさんの本に目を向けた。天井までの高さのある背の高い本棚には、分厚い背表紙の医学書が所狭しと並ぶ。
 シャチやペンギンたちの話によれば、幼い頃からローは本の虫で、暇さえあれば医学書とにらめっこをして勉学に励んでいたらしい。自分自身も母のようになりたいと、幼い頃から医学書を読んでいたことから、そういう点では少なからずナマエはローに親近感を覚えていた。


「興味があるなら好きにしていい」


 包帯を結び終わり、「終わりました」と声をかければ、ローは徐に立ち上がり、ナマエを見下ろしたまま口を開いた。突然の発言にナマエが頭にクエスチョンマークを浮かべれば、ローは本棚の方を顎で指し示す。


「本の話だ。読みたいものがあるなら持っていけ」
「・・・いいんですか?」
「あぁ。この船では俺以外、誰もこんなもん読まねぇからな」


 思いがけないローの言葉に、ナマエは目を瞬かせた。
 ポーラータング号は潜水艦のため、一度潜ってしまうと数日間は浮上せず海の中で暮らすことになる。外の空気を吸ってリフレッシュをするという当たり前のことができない生活に息詰まりを感じ、何か別の息抜き方法はないかと探していたため、ナマエはローの提案を喜んで受け入れた。


「ありがとうございます」
「ああ。上のものを取る時はそこの椅子を使え」


 ナマエが礼を言えば、ローは満足そうに少しだけ口角を上げる。そしてそのまま新しい上着をはおると、汚れた服とタオルを手に部屋を出ていってしまった。
 今日の洗濯担当はウニたちだったはずで、あの血を綺麗に取るのはなかなかに大変そうだ。そんなことを思いながらも、ナマエはローの背中を見送るとそのまま本棚に目を移した。薬剤に関するものから外科の分野のものまで、様々なものが並ぶその背表紙たちを眺めながら吟味する。

 その中でふと目に止まった赤い背表紙の薬草の本。朧気ながら幼い頃に読んだ記憶があると、ナマエは運んできた椅子の上に立ってその本に手を伸ばす。少し背伸びして取ったそれはしばらく動かされていなかったのか、少し埃を被っていた。


「あ、やっぱり。昔読んだのと同じやつだ」


 懐かしさからページを捲りながら中身を眺めていれば、不意に頭上からなにかがばさりと落ちてくる。ナマエは椅子の上で慌ててそれを受け止めた。
 手にしたものは五十枚ほどの手書きの紙が麻紐で束ねられた冊子であった。紙が黄ばみ、ところどころ虫食いがあることから十年以上は前に書かれたものであろう。本と本の間にでも挟まれていたのか、ナマエが一冊を抜いたことで隙間ができ、落下してしまったようだった。


「珀鉛・・・病」


 一番上のタイトル欄に書かれていた病名を指先でなぞりながら、ナマエはその文字をゆっくりと読み上げた。
 確か白い町と呼ばれるフレバンスで蔓延した病の名前である。名称や簡単な概要だけは聞いた事があるが、この病気に関して専門的に書かれた文献をナマエは未だかつて目にしたことがなかった。
 珀鉛病の症例について色々と纏めたレポートのようであるが、途中で書くのをやめてしまったのか、最後のページは書きかけのグラフで終わっている。著者の欄に名前は無い。しかしその癖のない美しい筆跡に、ナマエはなぜだが見覚えがあった。

 ナマエがそう認識したと同時、突然頭に強い痛みが走り出し、キーンと高い耳鳴りが耳奥で鳴り響く。久方ぶりに味わうこの現象が、なぜ今起きるのか。そんなことを思案するいとまなど、ナマエにはなかった。
 目の前がチカチカと点滅し始めたかと思えば一気に意識を持っていかれそうになり、バランスを崩して椅子から足を踏み外す。このまま床に落ちてしまうと、ナマエが痛みを覚悟した次の瞬間。


「ナマエ!!」


 ローが己の名を呼ぶするどい声が、耳に飛び込んできた。痛みの代わりに感じる温もり。彼の能力によって、ナマエの身体は間一髪のところでローに抱き止められていた。


「っ・・・!なにしてんだ!大丈夫か!?」


 あまり目にしたことがないローの必死な表情が目の前にある。大丈夫です、とすぐにでも伝えたかったが、痛みが治まらない頭では咄嗟に言葉の処理が追いつかなかった。
 青白い顔と額に浮かぶ汗を見て、ローはすぐさまナマエの手首を掴み脈をとる。


「脈が早いな・・・貧血か。悪いがベッドに運ぶぞ」


 そういうと、ローはナマエを抱えてそのまま自身のベッドにナマエを横たえた。的確に処置をしていくローの姿が、遠い記憶の母の姿と重なる。思わず縋るように手を伸ばせば、やんわりとナマエの手を温もりが覆った。

 ナマエの意識が続いたのはそこまでだった。