08



 せっせと握ったおにぎりと熱々のおかずをそれぞれフードテナーに入れると、ナマエはそれらを配膳台に並べていく。昨日島に停泊して買い出しが終わったばかりのため、からあげや鮭、おかかこんぶと今日のおにぎりの具材はとても豪華なラインナップであった。


「ナマエ、豚汁ももうそっち持って行っていい?」
「うん。大丈夫」
「よっしゃ行くよ。ちょっとどいてて」


 キッチンから顔のぞかせるイッカクにそう返すと、彼女は銀色の大きな寸胴を軽々と持ち上げ、そのまま配膳台の上に運んだ。蓋を開ければ、湯気とともに味噌のいい香りが鼻いっぱいに広がる。
 思わずぐぅと鳴るナマエの腹の音を聞いて、イッカクはケラケラと軽やかに笑った。


「やだっすんごい音!しょうがないわねぇ・・・特別よ?ほら口開けて」


 盛大な音に恥ずかしそうに笑うナマエを見て、イッカクは肩を竦めると箸でおかずの一つを摘み上げる。そして雛鳥のように口を開くナマエの口内に、それを放り込んだ。


「今回ビネガー多めにしてみたんだけど、どう?」
「ばっちり!おいしいよ」
「よし!じゃあベル押すわね」


 得意げに笑いながらイッカクは厨房の壁に張り付いている丸いボタンを押す。それと同時、船内のスピーカーから軽快な音楽が流れ出した。
 食事の合図を知らせる船内放送であり、この音を聞けば皆が食堂に集まる仕組みになっている。放送が流れるや否や、食事を待ち望んでいた船員たちが次々と食堂になだれ込んできた。


「うまそ〜!昼飯はイッカクとナマエちゃんが当番か」
「そうよ、さぁ有難く味わいな」


 トレイを持って行儀よく並ぶ船員たちに、ナマエとイッカクはおかずや汁を皿についで渡していく。
 ナマエが船に乗ってからすでに二ヶ月。食事の用意も配膳もすでにお手の物となっており、ナマエのおにぎりと豚汁は船員たちの中でも好評のメニューとなっていた。


「おにぎり何個まで食っていいの?」
「一人四個までです」
「ナマエちゃんのおにぎり、具がデカいし米もいい硬さでうめェんだよな〜」
「なぁ〜!はぁ・・・ナマエちゃんみたいに優しくて美味しい飯作ってくれる嫁が欲しい」
「まず嫁の前に彼女じゃねェ?」
「確かにー!」
「あんたら私の可愛いナマエに手ェ出したら本気でしばくからね!取ったんならさっさと散りな!」


 イッカクにお玉で威嚇され、鼻の下を伸ばしていた船員たちは慌てて汁物を受け取るとしっぽを巻くように逃げていく。
 船でたった二人の女性と言うことで共に行動することも多く、イッカクとナマエの仲はこの二ヶ月の間でとても深いものになっていた。面倒見の良いイッカクがナマエをとても可愛がっており、その姿はまるで番犬もとい妹を守る姉のようであると揶揄されているほどだ。
 ひとしきり配り終え、自分の食事をトレイに乗せるとナマエはイッカクと共に席を探す。丁度ベポやペンギンたちの横が空いていたため、二人は彼らの近くに向かい合わせで腰を下ろした。


「あれ、キャプテンは?」
「後で食うって」
「またぁ?ほんと食事に無頓着なんだからあの人」
「いよいよ大詰めだからなァ・・・。最近あんま寝てねェみたいだし心配だよ」


 周りの会話を耳に入れながら、ナマエは今この場にいないローのことを思い浮かべる。
 先日の一件から一ヶ月。あのレポートについてローは何も話してこなかったし、ナマエからも彼に話を振ることはしなかった。本来であればレポートについて何か問い詰めることが正解だったのかもしれない。けれどただ単純に、ナマエは己の空白の過去に関わるかもしれないものについて深く触れることが怖かったのだ。
 今ここには昔のサボのように自分を支えてくれる人がいない。一人で全てを受け止める自信が、今のナマエにはまだなかった。彼を解放するために、一人で生きていくために革命軍を出たはずなのに、なんと自分は弱いままなのだろうか。
 そんな苦い思いを飲み込むように汁を啜っていれば、ふいにベポのつぶらな瞳がこちらを見つめていることに気づく。ナマエが首を傾けながら「どうしたの?」と尋ねれば、ベポは少し眉を八の字にしながら口を開いた。


「ナマエはどうすんの?」
「え?」
「心臓キューブ、あと二つで百個集まるだろ?海軍本部に行ったら、そのまま前にいた島に帰っちまうの?」


 ローの作戦のことは、概要だけではあるがナマエも話を聞かされていた。
 彼は悪名高い海賊の心臓を百個集め、それを手土産に王下七武海に入れるよう海軍に直談判するつもりらしい。海軍本部に到着すれば己の身が解放されるということは、出会った当初から聞かされていた事だ。
 目標の数まであとたった二つ。ナマエがハートの海賊団と別れることになるのもそう遠くない未来であろう。
 しかしナマエはすでに以前にいたあの島に戻る気はなかった。世話になった者はいるが、あれだけの騒動が起きた後だ。戻っても要らぬ噂をたてられて色々と厄介だろう。


「多分もう戻らないかな」
「他に当てはあるの?」
「ううん。でも元からあの島にもまだ二ヶ月くらいしかいなかったから・・・。しばらくは色んな島に行ってみて、仕事と住む場所を探してみるつもり」


 しんみりとした空気を変えようと、ナマエはあえて明るい声色でそう答えた。
 せっかく打ち解けてきたハートの海賊団の船員たちと別れることは名残惜しいが、こればかりは仕方がない。みんな何かしら目的があってこの船に乗っているのだ。目的も志も何もないナマエが、このままこの船に帯同する意味はどこにも無い。


「あーあ・・・。あたし的にはナマエにこのまま船に残って欲しいんだけどね」
「ありがとう、イッカク。でも私なんか残っても何も役にたたないから・・・」
「なーに言ってんだよ!薬の知識が豊富で怪我人の手当もできるし、料理の腕もピカイチなんて言うことなしじゃねェか」
「そうそう!もしナマエちゃんが残りたいんなら、おれらは大歓迎だからな!」
「おれもだよ、ナマエ!!」



 深くため息をつきながら寂しそうに呟くイッカク、励ますようにポンポンと背中を叩いてくれるシャチとペンギン、そして呼応するように大きな声で体を揺らすベポ。彼らの優しさを噛み締めるようにナマエは小さく笑った。
 サボの元を−・・・革命軍を去ってからすっかり失ってしまった自信が、このハートの海賊団にいるうちに少しずつ戻ってきたような気がする。お世辞だとしても、誰かに必要とされることはやはり心が温まり、嬉しいものであった。



***


 食事を終えて、イッカクと皿洗いを済ました後も食堂にローが現れることはなかった。別の仕事に向かうイッカクの後ろ姿を見送り、小さな鍋で温めなおした豚汁を他の食事とともにトレイに並べると、ナマエはそれを持ってローの部屋に向かう。
 木製の扉をこんこんとノックをすれば、一拍置いて「なんだ」と不機嫌そうな声が部屋の中から飛んできた。


「昼食を持ってきました。ドアの前に置いておくので、食べ終わったら外にトレイごと出して置いてください。後で回収しにきます」


 ここ最近のローは何か思い詰めた表情をしていることが多く、常にピリついた雰囲気を纏っていた。声色からして今も下手に対面しない方が良いだろうと判断し、ナマエはローの反応を待たずにトレイをドアの前に置こうと腰を下ろす。それと同時、ガチャリと目の前の扉が開く音がした。
 現れた長い足を追っていけば、目の下に深い隈をこさえたローの顔がナマエの真上にある。眉間のシワがいつもより多いのは気の所為ではないだろう。


「入れ。ちょうど取りに行こうと思ってたところだ」


 そう言われてしまえば、入るという選択肢以外なくなってしまう。有無を言わさない雰囲気に気圧され、ナマエはそのままローの部屋に足を踏み入れた。
 ローテーブルに広げられていた地図や羽根ペンを乱雑に端に寄せると、ローはどかりと深いグリーンのソファーに腰を下ろす。皆の前で会話をかわすことはあっても、密室で二人きりになることはあの日以来であった。

 少し緊張した面持ちでナマエは空いたスペースにトレイを置くと「食べ終わったら外にトレイごと出して置いてください。後で回収しにきます」と先程と一言一句同じ台詞を吐く。そしてそのまま軽く会釈をして部屋を後にしようとした瞬間、ふいにローの手がナマエの右腕を掴んだ。


「・・・ローさん?」
「ここにいろ」
「え、っと」
「・・・今度立ち寄る島で仕入れる薬品の相談がしてェ」
「・・・分かりました」


 ローの言葉に従い、ナマエはそのまま彼の隣に腰を下ろす。手はすでに解かれていたが、まだ少し、掴まれていた部分に熱が帯びているような気がした。
 食事を摂りながら色々な薬品の名前を口に出すローに、ナマエは一つ一つ言葉を返していく。
 ちょうど一ヶ月ほど前から、ナマエは医務室で保管している薬剤や医療品の管理をローから一任されていた。船員でもない自分に命に関わるものを任せて大丈夫なのかと問うた時、「何か企んでいる奴はわざわざそんなことを聞いてこない」と一刀両断されてしまったことも記憶に新しい。
 借りた羽根ペンで紙に購入するもの書き連ねていけば、あっという間に白い紙は文字で埋め尽くされてしまった。


「じゃあ、次の島でこのリストのものを購入しておきますね」


 少し量が多いため誰かに買い出しを手伝ってもらわなければとテーブルに羽根ペンを置けば、ローの食事がほとんど終わっていることに気がついた。残すは小皿にのったデザートの苺二粒のみである。


「ナマエ」


 ふいに名を呼ばれ、思わず反射的にローの方へ顔を上げれば、彼はその小皿をナマエの手の上に押しやった。


「やる。好物だろこれ」
「えっ?あ・・・はい。でも」
「遠慮するな、おれはもう腹がいっぱいだ」


 これまた食べるという選択肢以外選びようがないだろう。確かに苺はナマエの好物のため、それを貰えるなんて棚からぼたもちなことである。以前ベポが上陸した島で人助けをしたお礼にと、大量の苺をもらって帰ってきた時に、心ゆくまで楽しませてもらっていたのを見られていたのか。
 じっとこちらを見てくるローの視線に目を瞬かせながらも苺を頬ばれば、一気に口内に芳醇な甘みが広がり、ナマエの頬は途端にへにゃりと緩んだ。そんなナマエの姿を見てか、真横からくつくつとしたローの小さい笑い声がこぼれ落ちる。


「・・・美味しいです。ありがとうございます」


 ローの反応に困惑しながらもナマエがそう礼を述べれば、彼は満足気ににやりと口角をあげると、そのまま「ごちそうさん」と言って部屋を後にしていった。
 取り残されたナマエは残っていたもう一粒を口に放り込む。そしてはぁと深いため息をつきながら部屋の天井を仰いだ。

 あの日から、ローのナマエに対する態度が少しばかり変化した。
 一つは"薬屋"ではなくナマエと名前で呼ぶようになったこと。もう一つは接する態度が明らかに柔らかくなったことだ。少し前までは探るような威圧感を感じることが多々あったのだが、それが一気に取り払われたような気がする。
 きっとローは、あのレポートしかりナマエの過去に関する何かを知っているのだろう。けれど彼は何も語ってこない。話してくれるまで待つべきなのか、それとも勇気を出して聞き出すべきなのか。

 今のナマエにはまだ、答えを出すことが出来なかった。