03


壱くんの後ろについてお店の扉の前に立つけれど、壱君の高い身長のお陰で私からは大きな彼の背中しか見えない。

「壱くんって背高いねー」
「…ん、そう?」
「180あるの?」
「あー…たぶん182くらい。」
「ふえー高い…」

自分よりも20センチ近く背の高い彼と近くで話すのはなんだか首が痛くなりそうだ。
お店の方に来るのも確かこれで2回目位。だからお店内がどんな風だったのかも優に忘れてる。チラ、と背中の横から中の様子を覗き込むと目には入ったのはクローズの文字。

「もしかしてお店もう閉店したんじゃ、」
「…ん。」

どうりで鍵を開ける必要があったんだ。

「…いいの?もう閉店したのに私入っちゃって」
「閉店したら家と一緒でしょ?」
「そういうものなの?」
「ん、どうぞ入って」

そう言って壱が店の扉を開くと、カランコロンといかにも喫茶店らしい音が響いた。

「じゃ…遠慮なく」

恐る恐る足を踏み入れるとふわりと香る珈琲の香り。仕事終わりの疲れた身体になんとも癒される香りだ。そして目に映るのは個性的な形をした電飾に照らされる黒と深い茶色でセンスよく彩られた店内。

「わー…すごい素敵な店」

私がぼけー…っと店の中を見回している間に壱くんの足はカウンターへ。

「…ここ、座って」
「あ、ありがとう」

壱くんが引いてくれた椅子に座り、隣の椅子には鞄を置かせてもらう。
足場を挟んだ棚を見ると、綺麗に磨かれ並べられたグラスに、種類の豊富な珈琲豆。そして私じゃ到底使い方の分からなさそうな機械がズラリと。ふえー…本格的…。

「なんか見たことのない国に来た、って顔してるね」

クス、と笑う壱くんにまたも恥ずかしい私。

「だ…だって、こんなに本格的な珈琲屋さんだもの。あんなメーカー見たことないよ。」
「…ふーん」

基本あまり珈琲の味には拘らない私。珈琲は好きだけれど苦いのは苦手でいつも砂糖は必ず3杯入れる。「だったら飲まなきゃいいのに」なんてよく言われるけど、そうじゃない。砂糖を3杯入れた珈琲が旨いんだ。

「壱くんは珈琲飲めるの?」
「…ん、じゃなきゃ淹れられないし」
「そうだよね。ハルはここ継ぐつもりなのに、珈琲飲めないでどうするつもりなんだろう…」
「…しかもアイツ馬鹿だからね」
「ふふ、でも…壱くんもいるし」
「や、俺は…」
「その為の経営学部じゃないの?」
「そのつもり、だったんだけど…きっとこの店2人もいらない」
「でも2人いなくなったら配達困るね。ランチにエビタマサンドが食べられないなんて嫌だなぁ…」

会社から外に出ず、あんなおいしいものが食べれる唯一の方法なのに。

「なまえさんって入社して何年?」
「3年目だよ。やぁーっと最近慣れてきたなって。」
「あんまり見たことなかったから最近かな、って思ってたけど」
「最近まで外回りがメインだったからね、あんまり会社にいることなかったからだよ」
「へえ、外回りね」

そんな会話をしながら珈琲を淹れる為に黒のサロンをする壱くん。男の人のエプロンってのもいいな、なんて思うのは相手が壱くんだからだろう。これこそ唯子がよく、言う《ただしイケメンにかぎる》ってやつか。

「…珈琲は何がいい?」
「えーっと、じゃあカフェオレで!」
「好きなの?カフェオレ?」
「好き、ってゆうか…」

飲む珈琲はいつからか決まってカフェオレだった。喫茶店でも、コンビニでも。

「彼がね、いつも買ってくれた珈琲だったから」

学校帰り必ず立ち寄るコンビニでいつも彼のスポーツドリンクといつもセットで買ってくれた私のカフェオレ。
その思い出は、いつだって私を束縛するもの。

「彼氏、いるんだ?」
「ん、…まあ彼氏と言えるのかよくわかんない関係の彼氏だけどね」
「なに?…その関係って」

そう聞き返されて慌てて口を紡ぐ。バカ、あたし…壱くんに何言ってるの。

「ああ、ごめん、なんでもないの」

壱くんの持つ独特の雰囲気のせいだろうか。癒されるような和むような、そんな彼の空気を吸ったら何でも話してしまいそうになる。こんな感覚は初めてで、少し戸惑った。

「…ん、じゃカフェオレ淹れるわ」
「壱くん、ありがとう」
「……どういたしまして」

きっと頭のいい彼だから分かったんだろう。
“追求しないでくれて、ありがとう”そんな言葉の意味を。

「壱くんこそ、彼女は?」
「……いない」
「えー!そんなカッコイイのに!?」
「…や、俺そんなかっこよくねーし。てかハルのがモテる」
「なにいってんの!リアルプリンスが!」
「…だからプリンスって俺王子なの?」
「うん!そう!だってハルは王子様っていうより…子犬?」
「ぷ…ハルが犬ね」
「あ、今の内緒だよ?」
「…頑張る」
「あっ!絶対話すつもりでしょ!?」
「…さあ?」

唯子は壱くんの事、無口でクールだって言ってたけど、喋ってみると冗談だって言うし笑いだってする。
(そして…なによりも、)
壱くんが持つ空気が心地よくて。考えてみると私の周りにはお喋りな人ばかりだし、ましてや自分だってよく喋る。だから話を聞いてくれる壱くんみたいな人はすごく新鮮。
…だから、か。
だから、余計なことばかり喋ってしまいそうになるのかもしれない。
コポコポと珈琲の音が聞こえ、香りが一層強くなる。

「なまえさんは甘いの好き?」
「うん、大好きだよー。チョコレートないと死んじゃうくらい。」
「…ふーん」
「壱くんは苦手そうだね、煙草とブラックコーヒー大好きです顔だもん」
「…あれ、俺吸う事言ったっけ?」
「ううん、聞いてない」

けど、お店入る前に壱くんからほんのり甘い香水と煙草の匂いがしたから。うん、すごい好きな匂いだった…。こんな変態チックな事言わないけど。

「全然吸ってどーぞ」
「…ん。でも普通嫌とかいうでしょ?服に匂いがつくーとか。」
「唯子も吸うし、それに…なんか落ち着くの」
「…やっぱ変わってんね」
「そう?」
「うん」

カチャカチャと食器の音が聞こえ、またふわりと香る珈琲の匂い。手元を見るために壱くんの伏せた瞼で長い睫毛揺れるのが遠くからでも見えた。(どんな角度からみても、やっぱイケメンはイケメンなんだな。)(さすが神にも等しいイケメン)

「ゴッドハルイチ…」
「…ん?」
「…や、なんでもないです」

爪の先から頭の天辺、髪一本までもが綺麗で、男の人なのにズルいと思ってしまうくらい。

「はい、どうぞ。」
「わー!スペシャル壱カフェオレだー!」

ス、と差し出された真っ白の珈琲カップからはもうもうと湯気が立ち上り、香りが私の喉を誘う。

すっごくおいしそー…

「じゃあ、遠慮なく頂きます!」

息を吹きかけ少し冷まして口に入れた瞬間、甘くまろやかなカフェオレの味が広がった。

それは今まで飲んだどのカフェオレよりも、私好みの味だった。

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