05


あんなお弁当では割に合わない気がして仕方ない。既にクローズしていたお店に入れてもらって、タダであんなに美味しい珈琲を飲ませてもらって、その上車で送ってもらうなんて。
喫茶店の裏にある駐車場に並ぶ白と黒の2台の高級アメ車。壱くんが持っていた鍵を押すと黒の車が光った。

「あの車って壱くんの…?」
「ん。」

近くまで来ると電灯に照らされ、車がさっきよりもハッキリと見える。

このアメ車、知ってる。ローダウン(車高を低くしてある車)だけど、フロントがわりと長い…そう、確か…リンカーン。

「ねえ、これって結構な高級車じゃない?あたしでも知ってるもん」
「別に俺が買ったわけじゃないよ」
「え?じゃあ、」
「貰った。」

彼にはパトロン的な人がいるのだろうか。(銀座の女王とか呼ばれてそうな人が)まあ、そこは深く考えないでおこう。

「どうぞ、乗って」
「あ、ありがとう」

車のドアを開けてくれて、慣れない右側にある助手席に滑り込むように乗る。椅子とダッシュボードの間がこんなに広い車は初めて。黒革張りのベンチシートがなんだかすごく新鮮だった。

そういえば、店に入った時も思ったんだけど、壱くんってすごく紳士な男の人なんだよね。さりげなく扉開けてくれたり椅子引いてくれたり。その変の男の子がやるといかにも胡散臭いのに、それが壱くんだとすごく自然に思えた。

「…家どこ?」
「なんか近すぎて本当に申し訳ないんですが、小出町…」
「隣街だね。そっからは適当に教えて」
「はい。間違えないように気を付けます」
「…クス、わかった」

そう壱くんが頷き、大きくなったエンジン音と動き出した車体。
…なんだか私、壱くんの前だと本当に子供みたい。
壱くんが大人っていうのもあるけれど、なんていうんだろうか。いつもの私じゃなく、変な感じ。馬鹿にされるのも嫌じゃなくて、なんだろ…逆に酷く気が楽に感じた。
チラ、と運転する壱くんを横目に映すと、眼鏡を掛けててびっくり。しかも…黒フチフレーム似合いすぎ。

「壱くんって、運転する時眼鏡かけるんだ?」
「うん。普段は裸眼でも全然平気だけど。」
「ふえー…眼鏡も似合ってるなんてズルい。」
「…ズルいって、」
「神様は壱くんにプレゼントあげすぎだ…」
「そんな貰った覚えないんだけど。」

しかもまたナルシストじゃないってとこが素敵過ぎる。勉強も出来て顔も良くて声も良くて性格も良くて、オールパーフェクトな壱くんはもはや素敵君だ。

「こんなとこ社員の女の子に見られたら殺されそう…」
「…なんで?」
「今日唯子から聞いたんだけど壱くんとハルは神にも等しい存在なんだって」
「俺…人間なんだけど。」
「それくらい信仰してる人が多いって事。」
「ぷっ…なにそれ、俺ら何かの宗教なの?」
「うん、そんな感じ。」

だから壱くんの車の助手席に座るなんて、ぶっちゃけ自殺行為。こんなの見つかったら翌日には制服がボロボロに刻まれてるに違いない。

「クス、じゃあ自慢すれば?」
「やだ。あの制服自腹なんだから。」
「……?」

さっきから壱くんの顔が見れなくて、ひたすら前を見て話す私。だってなんか助手席ってすごい壱くんと距離近いんだもん。こんな壱くんの香りが充満する車の中でこれ以上近寄ったらなんか悪い魔法にかけられそう。しかもその前に眼鏡萌えー!とか叫んじゃいそう。

「あ、そこ右曲がってすぐのアパートです」
「…ん。」

指で教えれば、ハンドルを切る壱くん。普段30分も車に乗ると酔ってしまう私だけど(下手な運転だと5分でギブアップ)、壱くんの車はあまり揺れも感じないしブレーキもゆっくり。
もう夜遅く走ってる車だってそんなにないのにスピードを出す事をしない壱くんは、さすが紳士。

車がゆっくりアパートの前で止まる。

「…ここ?」
「うん!あの2階なの」

会社から車で15分くらいの所にあるアパート。会社からここが一番の近場物件だった。そしてその2階の階段側が我が家だ。

「壱くん、今日は本当にありがとう」
「…あそこまでひとりでも大丈夫?」
「私の事どんだけ子供扱いしてるの?」
「や、なまえさん階段で滑って転びそうだから。」
「そんな失敗したことありませーん」
「クス、ならいいや。」

車の扉を開けて外に出る。
壱くんに子供扱いされるのは恥ずかしいけれど、でもやっぱり嫌じゃない。

「本当に今日はありがとう」
「ん、おやすみ」

最後にそう交わしてパタンと扉を閉める。そして“ばいばい”と手を振ると、少しスモークがかった窓から壱くんが手を振る姿が見えた。
そして再び走り出した車が角を曲がって見えなくなると半回転してアパートへ歩いた。

階段を上がる度にコツンとヒールの音が響く。

「…痛!」

そして足の爪先を激しく強打した(さすが神の子壱くん、見抜いていたのね)気を取り直して階段を登りきり、アパート前へ付くと鞄の中から鍵を漁る。

「……ん?」

その時、家の中から何か音が聞こえた。

………まさか。

どきん、と心臓が音を立てる。


まさか、


ゆっくりとドアノブに手を伸ばし、下に引くと


「…あ、いてる」


カチャっと、引っ掛からないスムーズな音が聞こえさっきよりも大きく心臓が跳ねた。
だってこのアパートの合鍵を持ってるのは、ただひとり。

───悠真、だ。

彼、ひとりきりなのだから。



第二章‐カフェオレ呪縛‐
09/07/16(完)



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