04



「わあ!ハル、すっごく美味しいよ!」

そう言われたハルは嬉しそうな顔を浮かべて照れて頬を掻いた。

彼女を朝見た時の第一印象は“負けん気の強い人”だった。けど、今抱く印象は“よく笑う人”だと思う。ハルが作ったサンドを頬に頬張って満面の笑みで笑う彼女から目線を外し、次に移したのは手に持つ弁当箱。女から弁当を貰うのは初めてじゃない。高校ん時も今でも押し付けられるように渡されていた。

けど、食べるのは初めてだ。

ゆっくりと紐をほどき、弁当箱を巾着から取り出す。女の子、って感じの弁当箱。

「無理に食べさせちゃってごめんね?不味かったら残してもいいからね。」

そう俺を心配そうに覗き込む…なまえさん、に首をふるふるとふって蓋をあける。

「なまえさんって結構料理すんの?」
「確かになまえってよくお菓子とか作ってたりするよね」
「うーん…好きとかじゃなくて、なんか昔から作ることが多かったから」

そんな話に耳を傾けながら彩られた弁当箱を見る。小さなその器にはバランスのよさそうなおかずが詰められていて、ゆっくりと俺は箸を取った。

(……あ、卵焼き)

一番最初にそれを摘まんで口に放る。そして広がる味。

(………………あ、この味)

「…似てる」
「え?」
「母さんの味に」
「壱くんの…?」

卵焼きは家庭によって様々だと、聞いたことがある。だし巻き卵だったり、塩と砂糖だったり。俺の母さんはいつも醤油と砂糖だった。甘すぎず、辛すぎず、そんな母さんの卵焼きが俺ら2人は好きだった。こんな話、恥ずかしいけど。
ずっと忘れてた、味。少し嬉しかった。

「うそ!?マジで!?ちょ、俺にもあーんして!」
「…………やだ」
「壱ふざけんな馬鹿!」
「はやーく!壱あーんして!」
「…はいはい」

俺が大きく開くハルの口に卵焼きを放ると、若林さん(…だっけ?)の奇声が響いた。

「きゃー!イケメン双子の生あーんとか最高ー!」
「2人共ほんと仲いいんだね。」

俺ら2人は別に仲が良くも悪くもないと思う。俺もそんなに怒る性格じゃねえし、喧嘩したって大抵ハルは俺が何に怒ってるのか理解してないし、その前に喧嘩ということに気づかない。だからハルとは喧嘩が成立しない。そして逆にハルが俺に怒ることも一切ないから。

「うわ、マジ似てる!ってかお袋そのもの!」
「そんなに?」
「味付け方といい、焼き加減といい、マジで俺の嫁になってよなまえさん!」
「卵焼きひとつでハル君のお嫁さんになれるの!?ちょっとなまえ!この卵焼きの作り方教えなさいよ!」
「ゲホっ!ちょ、唯子首しめなっ…!」
「…………他のも、旨い」

俺が小さく呟いたその一言にキョトンとするハル。

「壱が人を誉めんの、初めて聞いた…」
「ふふ、壱くんありがとう。」

そう笑ったなまえさんの表情が何故か直視出来なくて、反らすようにまた弁当箱に目線を移した。

「ねえ、ハルってさ」
「ん?」
「卒業したらあの店継ぐんだよね?」
「おう!その為の調理師免許だし」
「じゃあ壱君は?どっか他で就職するの?」
「おお!聞いて驚け!壱はなんと帝大の経営学部だ!」
「うそ!あの偏差値バカ高の帝大経営学部!?」
「あ………うちのお兄ちゃんと一緒だ」
「なまえさんの!?」
「うん…ってか前々から気になってたんだけど、なんで唯子は唯子なのに、私はなまえさんなの?」
「だってなまえさん俺らよか年上じゃん!」

ハルがそう言った瞬間、沈黙となる場。

「あたし今年21だからね。唯子と同じ年なんだけど。」

マジ…?(てか俺も上だと思ってた…)

「はあああ!?」
「ハルって今年22でしょう?」
「は!?俺のが上!?」
「……………マジ?」
「うん。」
「マジかー…なまえさん超しっかりしてるし、めっちゃ姐さんタイプだからずっと上だと思ってた。」

確かにしっかりしてるな、とは思う。けどそこまで頼りがいがあるかと言われるとそうでもない。なんかどっか抜けてそうだし。年下と言われれば年下に見える。

「でもなまえさんは、やっぱなまえさんだな」
「別にちゃん付けでも呼び捨てでもいいよ?」
「いや!呼び捨てとかなんかすげー照れる」
「じゃあ何でアタシは唯子なのよ」
「気軽に呼べる。」
「なんかすごい今傷ついたんだけど。」
「だからやっぱなまえさん!」

てか俺、女の人を下の名前で呼ぶのも、名前覚えるのだって初めて。方程式とか覚えんの得意なのに、人の名前を覚えるのはすげー苦手で。
でも何故かなまえさんの名字だって覚えてる。

「あ、そろそろ時間ヤバいんじゃない?」
「えー!もう!?もっとハルくんと居たいのにー!」
「諸君、勤労に励みたまえ!」

ポッケから携帯を取り出して、時間を確認するともう2時に近い。弁当箱は既に空っぽでそれを丁寧に包み直し立ちると、ズボンをパンパンと払う。

「あ、壱くん食べてくれてありがとね!」
「これ…洗って返す」
「え?いいよ、そんなの!」
「や、…悪いから」

差しだされた手から弁当箱を避けるとなまえさんは呆れたよう笑った。

「じゃあ、お願いしちゃおうかな?」
「………ん。」

彼女は人を見るのが巧みだ。きっと俺が意外にも頑固な事をさっきのやり取りで少なからず読みとったんだろう。だから誰にでも分け隔てなく接して固執しないハルが酷くなまえさんになついていることも簡単に頷ける。こう話してみるとだいぶ印象が変わった気がした。

「………あ、パン屑が」

なまえさんの襟の所に大きなパン屑が乗っていることに気付き、それを払おうと指先を伸ばした
─────その時、


「…………きゃあっ!」

ビクッ、となまえさんの肩が大きく震え、身を縮める。そして瞳はぎゅ、っと強く瞑られた。

(……………な、んだ)

その姿は───まるで、



「……………なまえさん?」



何かに怯えてるような。



「…あ、ごめ、パン屑ね!」

なまえさんははっと気がついて笑うと自分の襟元を払った。

「いきなり手の伸ばすからビックリしちゃった!」
「………ごめん」
「全然大丈夫!でも壱君みたいなイケメンにこんなことされたら女の子勘違いしちゃうよ」
「壱って結構天然で女キラーだもんな!」
「あ、なんとなくわかる!」

びっくりした…、だって?
違う、あれは完全に“怯えてる”姿だった。

「ハルくーん!明日もラブランチ届けに来てねー!」
「オッケーベイビー!」
「きゃー!ハルくん素敵ー!」
「なまえさーん!アイラブユー!」
「はいはい。じゃあ壱くんもばいばーい!」

そう最後に振り返って笑う彼女に一度頷いて、去ってゆく背中を目で追った。

「………なあハル、」
「んあ?なに?」

満面の笑みで手を振るハルに言いかけて、やっぱりやめた。

あの怯えた表情の本当の意味を。


第一章‐午後の誘惑‐
09/07/15(完)

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