日直の仕事いうのは簡単に思えて実に大変なものだった。授業が終わって日誌を開こうとすれば先生に呼ばれ、やれ教材だの、提出物を集めろだの、結局帰りのHRまで日誌を開く事が出来ず終わった。

「じゃ、今日はこれでお終いな。」

そう先生が一言いうと途端に解放されたかのようにざわめく教室。部活に向かう生徒、友達同士楽しそうに教室を後にする生徒。そしてこの私は日直の仕事で居残りだ。帰って用事があるわけでもなく、居残りも嫌いじゃない。

同じく日直の水嶋くんの姿は教室に見えなかった。それもそのはず。さっき授業が終わるや否や先生に連行されるように連れ去られたのだから。本当に月本先生は水嶋くんが大好きなんだなあ、なんて。

「掃除からはじめようかな。」

帰りにたっくんのところに寄っておいしい紅茶を頂くのも悪くない。副会長である咲子がいたら最高だ。
そんな事を頭に浮かべながら、残りの生徒もほんの僅かになったところで箒を手に取った。


***


「あとは…黒板消しと、日誌か。」

普段から行動が遅いとかトロイとか言われる私にしては早く掃除が終わった。
だけど、すでに教室には私ひとり。窓からは夕陽が差し込んで教室を紅く染める。いまだ6限目が終わったままの状態の黒板を見て、よしやるかと意気込んだ。

「黒板消しは…あった。」

それを手に持つと、消しにかかる…が、なかなか上手いこと消えてくれない。どうやら6限目の社会の先生は熱心に授業をしてくれているらしく、消しても消しても痕が残る。その上、黒板にぎっしりとかかれたこれらを消すにはかなり時間を費やしそうだ。

「う゛…届かない。」

ぴょんぴょん跳ねてみてもなかなかてっぺんに届きそうにない。
そんなチビでもないのに、どちらかといえば高い…いやそれはいいすぎかもしれないけど…なんかすごい凹む。仕方ない。椅子持ってくるか、
なんて諦めかけた、その時───

「これは俺の仕事だって言ったじゃん。」

私の頑張っていた手のひらに、重なったおおきな手。また、どきん、と心臓が音を立てたのがわかった。

「ごめんな。ツッキーがなかなか解放してくれなくってさ。」

その手は私の手から黒板消しを奪うのと同時に離れる。ただ少しふれ合っただけなのに、熱い。触れた手のひらも、心臓も、頬も、熱い。

「ぜ、全然いいよ」

にこ、っと笑った水嶋くんの顔が見ていられなくて慌てて顔を背けた。

「あ、やっぱ怒ってる…?」
「え!ううん!全然!」

慌てて顔を上げると、覗きこむようにして私を見つめていた水嶋くんと目が合う。

びっくりして、焦る心臓。どうしよう、ほっぺ紅いのばれちゃう。


「なら、よかった」


そう言って黒板を消しにかかった水嶋くんの姿にほっと胸を撫で下ろした。きっと紅いほっぺたは夕陽が隠してくれたに違いない。どうしてこんなにも熱いのかなんて、自分でもよくわからないけど。

「…私、日誌書くね」

自分の席に戻って日誌を開く。そこはまだ真っ白な状態で、日付、時間割とその授業の感想などをいつもより早いペースで書き込んでいった。


「字、すげー綺麗。」


集中の糸がぷつりと切れたのは、近くから聞こえた水嶋くんのそんな声。

日誌に向けていた視線を上げれば前の席に座ってにこにこと笑う彼の姿があった。

いつからこんな近くにいたんだろう。もしかしてずっと見られてたのかもしれない、そう思うと恥ずかしくてたまらなく思う。

「そ、そんなことないよ?」
「すげー綺麗だよ。俺なんてたまに気づくと字がノートからフィールドアウトしてるもん。だからテストの点数悪いと思うんだよね、俺。」
「それって…字のせいなの?」
「ひでー。俺のことバカだって思ってるでしょ?」

まあその通りなんだけどさ。なんて水嶋くんが笑う。それにつられて私も笑った。
静かな教室には私と水嶋くんの声だけが響いて、なんだか不思議な気分。

「ねえ、」
「あ、え、はい」

もう一度日誌に落としていた視線を水嶋くんに向ける。
瞳に映った彼の表情はいつもの笑顔じゃなく真剣な表情に見えて、心臓が小さな音をたてた。


「…拓巳と付き合ってんの?」


月本先生にも聞かれた、それ。なんで、なんで、水嶋くんもそんな事聞くんだろう。

「付き合ってないよ。」
「じゃあさ…拓巳の事好き?」
「ううん。たっくんは私にとってお兄ちゃんみたいな人だから。」

どうして皆、私とたっくんを恋人に見るんだろう。
どう見たって私にたっくんは勿体なさすぎるし、第一ただの幼馴染みだ。

「そっか。なら良かった」
「良かった…?」

安心したとばかり微笑む彼。

「あんまりアイツに近付くなよ。また泣かされるよ」
「え?泣かされ」

聞き返した、その時。教室の扉が荒々しく開いた。

「おー、まだ残ってたのか、お前ら」

また月本先生だ。本当にどんだけ水島くんが好きなんだろ。

「ほら、さっさと帰りやがれ。」

何故かニヤニヤとした笑みを浮かべる先生を疑問に思いながらも書き終えた日誌を渡して鞄を持った。
その間、先生は何か水嶋くんに耳打ちをしていて。
でも、そう、とにかく。しばらく生徒会室に行くのを控えよう。私がこれだけたっくんとの関係を誤解されてるんだ。彼にだって迷惑がかかってるはず。

「じゃあ気ぃつけてな」

ふりふりと手を振り、上機嫌で教室を後にする先生の背中を見送り、私も帰ろうかと足を進めた、ら。

「送ってくよ」
「え?でも、」
「もう外暗いし、危ないよ」

そう言われて窓の外を見れば夕焼け空が少し薄暗く藍色に変化していた。

「でも、家まで歩いて15分くらいだから」
「この辺、変出者多いんだって」
「そんなの大丈夫だよ」
「壁に頭ぶつけちゃうなまえに拒否権はありません。」

水嶋くんはそうキッパリと言い切ると、「ほら、帰ろ」と笑って教室の扉を潜った。
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