「――――てる?聞いてる?」
「…え?あ、なあに?」

ハッと気がつけばそこは教室で。呆れたように私を見つめる咲子の背後に大きく「自習」と書かれた黒板が見えた。どうやら私は思いっきり瞑想にふけていたらしい。

「だーから!今度服買いに行かない?って聞いたの。」
「え、ああ!服ね。」

先生がいない事をいいことに席を立って好き勝手してる生徒達。もちろん咲子もその一人らしく、私の前の席に深く腰をおろしていた。

「そろそろ夏服買おうかなーって思ってさ、」
「ちょっと早くない?」
「そう?今のうちに買っとかなきゃいいの売り切れちゃう。」
「そっかあ、じゃあついてくよ」
「なにいってんの。あんたも買うのよ。なまえってばそんなに可愛いのに、自分に無頓着すぎるわ。」
「可愛くなんか、」
「化粧もしないし、服も平凡すぎる。センス悪くないんだから、もっと挑戦するべきよ」

褒められてるんだか、貶されてるんだか。確かに化粧はしないし、服だっていっつも無難なものばかり。いつもパンツスタイルで、スカートなんて制服でしか滅多に着ない。

自分を可愛くみせたいだとか、そういう気持ちを持った覚えがなかった。言うと決まって咲子は言う。「それは恋をしたことがないからよ」と。恋とお洒落にどんな関係性があるかなんて、いくら考えてみてもさっぱりだ。

「そうそう。昨日買った雑誌にねアンタに似合いそうなワンピースが載ってたのよ。ちょっと取ってくるわ」

そう言って席を立った咲子の姿をぼーっと目で追う。そして何気なく視界に入ってきたものは、隣の席の水嶋くんの寝顔だった。

「…寝てる」

瞼を固く閉じて、背中は規則正しい呼吸で微かに上下している。
長い睫に、綺麗な肌、通った鼻筋。そして陽をあびてキラキラと輝いて見える天然の蜂蜜色の髪。
咲子が言っていた「学年1のモテ男」というのは間違いなんかじゃないんだろう。

少し、けんちゃんの寝顔に似てるような気がした。

(…ああ、それもそうか。)

だって本人なんだもの…なんて思っていたら、昨日お母さんが言っていたことが頭をよぎった。

「信じられないのなら、確かめてみるといいわ」

こめかみの横の縫い傷―――
ハッとしてもう一度彼の寝顔を覗きこむ。

さらさらと流れた前髪はいつもより肌を見せていたけれど、縫い傷のあるであろう場所は隠れたままだった。

(もう少しで見えそうなのに…)

寝がえりを打つ気配は全くなく、どうやら熟睡のよう。そうだよね、1時間かけて学校来てるんだもん。暇があったら寝たいにきまってる。

諦めて咲子の姿を探したら、クラスの女子と会話に花を咲かせている咲子の姿が目に映る。戻ってくるまでもう少し時間がかかりそうだ。

(…そうだ。)

こんなチャンスは二度とない。水嶋くんは熟睡みたいだし、前髪を少し上げるくらい気づかないだろう。ほんのすこし。ほんのすこしだけ勇気を出すだけでいいんだ。

(…うん、)

そう。だって水嶋くんはけんちゃんなんだから。絶対。そうお母さんが言ってた。だから絶対。うん、たぶん、絶対。

どきどきと鼓動が高鳴る。指先もすこし震えた。


「…」


さらっとした前髪に指先が触れる。たぶん、きっとこの辺り。左側に流れる前髪をささ、と指先で撫でた。

すごいな、わたし。

こんな勇気あったんだ。きっと自分がわかってるよりもっと“けんちゃん”に会いたかったのかもしれない。

確信が欲しかった。
彼が彼だっていう、確信が。

するすると右側に流れてゆく髪を見て、起きていないか確認するために水嶋くんの瞼を見て、


「…わ!」


び、びっくりした。

だってだって寝てると思ってた彼とバッチリ目が合ったんだから。

「くすくす、そんなに驚かなくたっていいじゃん。今の結構傷ついたよ」
「ご…ごめんなさい」

さっきよりももっともっと、心臓がドキドキと音を立てる。ドキドキ、というよりはどくどくと流れる血液の音。頬を紅く染めて謝る私を水嶋くんは至極楽しそうに笑った。

「い、いつから…起きてたの?」
「でこにちょんって指が触ったあたりから。何するんだろーって寝たふりしてた」
「ひどい…」

なんで起きてる事言ってくれなかったんだ。今さらだけどすごく恥ずかしいじゃないか(というか、勝手に触ってごめんなさい…)

「ごめんごめん。なまえが知りたかったのって、これの事でしょ?」

なんの悪びれもなくそう笑って水嶋くんは前髪を掻き上げる。そこに現れたのは、ぷっくりとした小さな縫い傷。

(…ほんもの、だ)

思ってたとおりの場所に、思ってた通りの傷が、そこにあった。

「俺の事…思い出した?」

すこし不安そうな、寂しそうな表情で私の顔を覗きこむ。その表情の意味はよくわからなかったけど、紅くなった頬を隠そうと彼の視線から逃げるように俯く。

けんちゃんを忘れたことなんてなかった。何か不安なことがあるたび、頼りにしてるたっくんよりもけんちゃんを心の中で唱えてたんだから。

「あ、あのね、け…けんちゃんの事はずっと覚えてたの。でもけんちゃんが水嶋くんだって信じられなくて…」

そこまで言って顔を上げれば、ほんのりと頬を紅く染めて嬉しそうに笑う水嶋くんの姿が私の瞳に映った。

(…けんちゃんだ。)

すごく似てる、ううん、けんちゃんだ。けんちゃんがここにいるんだ。

「俺、そんな変わったかな?」
「けんちゃんはもっと可愛いかったもん。」

お互い少し照れたような表情に、自然に笑みが零れて。

こんな話を17歳の“けんちゃん”とするとは夢にも思わなった。嬉しい、すごく嬉しい。

「可愛いって。じゃあ、今の俺は?」
「かっこいい…あっ、」

浮かれすぎたせいか、とんでもなく恥ずかしいことを口走った自分に気づいて慌てて口を押さえた。

ちら、っと水嶋くんを盗み見るように顔を上げる。瞳に映った彼はやっぱり悪戯っ子の様な笑みで笑っていて。



「なまえ、真っ赤。」



わたしの頬を指さすと、また笑った。

いじわるだ。水嶋くん、すっごくいじわるだ。けんちゃんはこんなこと言わなかったもん。なんて心の中で悪態をついてみても、やっぱりなんだか嬉しかった。

「俺はね、結構前からなまえだって気づいてたよ。」
「え…?」

頬の熱を抑えることに集中していたわたしに、にっこりと笑う水嶋くん。

そして、ひとこと。



「昔と一緒。可愛いまんま。」



唖然とする、わたし。笑う、彼。そして彼を呼ぶ声に、席を立つ彼。


「遅くなってごめんー!んで、この雑誌のさあ…あれ?」


どうしよう、わたし。


「なまえ、顔紅くない?」


どきどき、どきどき、死んじゃいそうだ。




第1章‐君らしき、キミ‐
2010/02/01〜2010/02/06
ALICE+