「おーお前ら、新入生どーだ?」

欠伸をしながらこっちに向かってきたのは、野球部顧問の月本先生。いつもと変わらずのジャージと健康スリッパ、そして酷い寝癖だ。

「なんと一人入部させることに成功しました!」
「おお!よくやった!」
「まあ、ほとんどなまえのおかげだけどな。」
「なにい?」

あ、もしかして怒られちゃうかな。マネージャーのフリしてたこと(と、いってもただ立ってただけなんだけど)。

「なるほど。みょうじを餌したのか。おまえらにしちゃあいー作戦だ」
「…え、餌?」
「なんか嫌な言い方だな」

結局、月本先生は部員が入れば何でもオールオッケーらしい。新入部員の名前を書いた紙を見て「コリン?こいつの親、ゆうこりんのファンかなんかか?」なんて部員達と和気あいあい会話する先生。仲間、って感じがして、羨ましく思った。

「そういや、みょうじ。兄貴元気か?」

いきなり月本先生が思い出したように私へ振り向いて聞いた。その言葉に私は目をぱちくり。

「…おにいちゃん?」
「最近活躍してるみてーじゃねえか。飲みにでも誘おうとしてもなかなか電話に出やしねえ。」
「先生はお兄ちゃんと、どんな関係なんですか?」
「ツレだ、ツレ。悪友みたいなもんだ」

びっくりした。まさか月本先生が、お兄ちゃんの友達だなんて。お兄ちゃんと私は10歳差の兄妹だ。現在27歳のお兄ちゃんが月本先生と友達でもなんら可笑しくはない。

「若い時お前に会ったことあんだけど、覚えてねーか?」
「いえ…全然、」
「おまえ物覚え悪いもんな。」
「う…」
「こいつのちいせえ頃、可愛かったぞ。毎回毎回「はじめまして」からはじめんだ。2日前に会ってもな。」

…全然覚えてない。月本先生なんて一度会ったらそうそう忘れることが出来ないような人なのに。

「んで、兄貴は元気してんのか?」
「え、と…お兄ちゃんが家出してから会った事なくて、」

お兄ちゃんは、私が中学2年生の時に家を出たきり1度も会っていない。
反対する両親を押し切って出て行った背中を昨日のことのように覚えてる。

「意外に破天荒なお兄さん持ってんだ…」

私と月本先生の話を興味深々に聞いていた野球部員の1人がそう小さく零すと、先生はゆっくりと頷いて言った。

「びっくりするくれー正反対だぞ。アイツはなんつうか「我が道を行く」タイプだからな。人の話なんて聞きやしねえ。唯我独尊人類至上最低の男だ。」
「ツッキーにそれ言わせるってすごくね?」
「ああ、すげーんだ。」

確かに自分勝手で破天荒で自由奔放で、やりたい放題だったお兄ちゃんは、お母さんをよく泣かせてたし、いつもは温厚のお父さんを怒らせる事も度々あった。

でも、お兄ちゃんには友達も(…恋人も)たくさんいて、なんだかんだ周りから愛される人間だと思う。

「4年前家出する時だって大変だったんだろ?聞いた話によるとお前連れて行かれそうになったらしいじゃねえか。」
「ええ…まあ、担がれて…でもお父さんが止めてくれました。」
「どういうこと?」
「シスコンだ、シスコン。ひっでーぞ。彼氏なんてもんは秒殺だ。」

お兄ちゃんが家出を強行突破したのは深夜遅く。寝ていた私はお父さんの『どうしても行くならなまえは置いてゆけ!』という大きな声で目を覚ました。そして、起きた瞬間びっくり。

なぜか私はお兄ちゃんの腕に担がれていた。

どうやら私も一緒に連れていくつもりだったらしく、あの時お父さんが止めてくれなかったら私は今頃東京の高校に通うはめになっていただろう。

確かに大好きなお兄ちゃんと離れるのは辛かったけど、優しい両親の元で暮らしてる今はすごく幸せだ。

「―――ああっ!思いだした!」

先生が話している間、ずっと黙りこんで何か考える素振りを見せていた水嶋くんがいきなり声を張り上げ言った。

「すげー怖かったもん。なまえの兄貴!なまえは気づいてなかったけど、保育園の塀からじーっとこっち睨んでんの。学生服姿で。」
「そっりゃあ俺らが16の時だな。って事はなんだ…お、おまえ“けんちゃん”か!?」
「けんちゃんって、そんな可愛いニックネームで呼ばれてたの?」
「うっせー。え、てかじゃあ俺もツッキーと会ったことあるってこと?」

疑問符を浮かべて尋ねた水嶋くん。だけど先生はその質問には答えずに彼の肩を勢いよく掴むと、ガタガタと震えた声をひねり出した。

「おおおおおまえ!殺されっぞ!けんちゃんはやべーよ!」
「はい?」

なんのことかさっぱりわからない、という表情を浮かべた私達に月本先生は深い溜息をついた。

「でもまあ、何も起っちゃねえってことはあいつは知らねえんだろうな。」
「俺がいるとなんかマズイの?」
「マズイどころの問題じゃねえ。けど、兄貴と連絡は取ってねえんだろ?」
「いえ、おにいちゃんからは毎日おやすみメールがきます」
「「「「なにそれっ!?」」」」

12時を回る前に、必ず1通『おやすみ』とメールをくれるお兄ちゃん。どんなに仕事が忙しくても送って来なかった日はなくて。

たまに困ったことがあると相談してアドバイスをもらったり(大方「お兄ちゃんがぶっとばしてやろうか?」と言われるから最近ではもっぱらたっくんにお世話になってるけど…)、優しい優しいお兄ちゃんが私は大好きだ。

3年前最後に見たお兄ちゃんの姿を思い浮かべながらぼーっとしていた私に、最後。月本先生は言った。

「アドバイスをくれてやろう。奴に“けんちゃん”という名前は禁句だ。」

それがどうしてか、私にはイマイチよくわからなくて。けれど、あまりにも月本先生の顔が真剣そのものだったから、私はその言葉に深く頷いて息を飲み込んだ。
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