「新入生の見学者もいるんだから、ちょっと気を引き締めてね」

10分の遅刻。美術部顧問のフジコ先生に座って好きなところに座ってデッサンするように指示を受けて、すでに描き始めている部員達の邪魔にならないよう後ろに座った。

この高校では必ず部活に所属しなければならない決まりがあり、なるべく活動日数が少ない部活を、と選んだ美術部。バスケ部で活躍しまくる咲子に比べて、私の青春なんてこんなものだ、なんて小さくため息。

「今日は冬休み前にやっていたキャンパスの仕上げをして提出よ。」

フジコちゃんの色気のあるソプラノの声が美術室に響くと、皆それぞれ棚にある自分のキャンパスを探し始める。
確かワインボトルと林檎を書いていたような…そういえば色塗り最後まで終わってなかったな、なんて思い出しながら絵の具を準備する。
そして棚の辺りが空いてきたのを見て、自分のキャンパスを探しに席を立った。

***

色を足し始めて数分。
どうしてこうも私って絵の才能がないんだろう。ボトルはボトルで曲がってるし、林檎は変な形。こんなラフランスみたいな林檎、私見たことないもの。

「…はあ、」

自分の才能のなさに呆れて溜息をついた、その時。


バリーンッ!


「「「きゃーっ!?」」」

美術室の窓ガラスが酷い音を立てて割れた。先生は目を丸くして割れた窓ガラスを見て、その後生徒に視線を戻すと「怪我は!?大丈夫!?」と捲し立てるように聞いた。
その姿を見て、立派な先生だと思ってしまう辺り、自分の担任の先生に影響されてるんだろう(月本先生だったら怪我の確認よりガラス割った犯人を捕まえる事を先決しそうだから)
幸い怪我人はおらず、先生はほっと胸を撫で下ろすとある一点を見つめ「はあ…」とため息をついた。

「…また、あの子たちね。」

そこに転がっていたのは薄汚れた野球ボール。

「やべえって!」
「ミノルが魔球なんて投げっからだぞ」
「だって水嶋がぼーっとよそ見してんだもん!」
「…やべーな、フジコちゃんぶち切れっかな」

急に騒がしくなった廊下、そして扉を開けて入ってきたのは野球部であろう4人の部員達。

「「「「すいませんしたー!」」」」

帽子を取って頭を下げる。見慣れたハ二―ブラウンと金色を見て、水嶋くんと風間くんがいることがわかった。

「また貴方達なのね!先日は職員室の窓ガラス!今日は美術室!いったいいくつ割るつもりなの!?」
「まあ、まあ、そんなに怒んないでよ!フジコちゃん」

先生の肩をぽんぽんと叩いて言った風間くんに美術部員も声を抑え気味に笑う。反省の色が全く見えない野球部員達に先生はまた深くため息をついた。

「今回は怪我人が出なかったからよかったけど、もし怪我をさせてしまったら」

毎度のことなのか、はたまた怒られ慣れているのか野球部員は耳にタコといわんばかりの表情を浮かべている。もちろんその中に水嶋くんもいた。
白に黒字で「水嶋」と書かれた練習用ユニフォームに、高校の名前の頭文字が刺繍された黒の野球帽をかぶっている。
その姿が妙に新鮮で目を奪われていると、急に水嶋くんが振り向いて目が合った。

「なまえ!」

そして叫ばれた、私の名前。
ざわっと部室がどよめき、唖然とする美術部員。そんな部員達の間を掻き分けるように私の元へ駆けた。

「…え?」
「え、じゃねえだろ!手!手首!」

びっくりして、わけがわからなくて。酷く焦った表情の水嶋くんは、唖然とする私の腕を掴んだ。

「ガラスで切っ……絵の具?」
「え、あ、うん」

今度は水嶋くんが唖然とした表情で。私の手首には作業中についたらしい赤色の絵具がべったりとついていた。

た、確かに遠くから見たら血に見えるかもしれない。だけど私が座っている位置は割れた窓ガラスから一番遠い場所で、破片が飛んでくる可能性はきっと0%だ。

「───かったあ〜。またなまえに怪我させるとこだった」

安心した、とばかりに彼はその場にへたりと座り込んだ。

すこし、嬉しかった。
こんな遠いところに座っていた私まで心配してくれて。

(あれ…?でも今“また”って言わなかった?)

聞き間違いか、そうじゃないのか、屋上の時のように聞き返そうとする、が。

「水嶋くん。」

また屋上の時と同じように先生に邪魔をされる。怒り顔の先生に対し、水嶋くんは顔を上げてにっこりと笑うとその場から立ちあがった。

「ハイハイ先生。邪魔者は退散し、そして先生の恋人であり我ら野球部顧問であるツッキーに怒られてくるとします」
「月本先生でしょう!それに月本先生と私はこれっつぽっちも関係ありません!」

冗談っぽく笑って言った水嶋くんに、先生はまだまだ怒り顔。そんな水嶋くんに便乗するように野球部員が口々を開く。

「じゃあ、何?ツッキー片思いなの?」
「不憫月本。」
「憐れ月本。」

賑やかな野球部員のおかげで、いつもは寡黙な美術室に笑いが零れた。

「はやく行きなさい!」

先生が煽るように野球部員を教室から追い出す。最後に水嶋くんがこちらに手を振っているのが見えたけど、私に振ったのかそれとも他の子になのかわからず、振り返すことはしなかった。

「…もう、野球部は問題児だらけね。」

また深い溜息をついた先生だけど、その顔はちっとも疲れてるようには見えず「手のかかる子は可愛い」というものなのかな、なんて思う。さっき起こった出来事を美術部員同士が話してるのを耳にして、それは全て悪いようには聞こえず私の中で野球部は「好かれている人達」になった。

でも、気になるのは水島くんの事。私の聞き間違えじゃないのなら、私を知っているような口振りをする。

名前を知っていたり、また、と言ったり。

「ねえねえ、なまえちゃん」

ざわつきも収まり始めた時、隣に座っていた同学年の女の子が小さな声で私に聞いた。

「なまえちゃんって水島くんと、どんな関係なの?」

そんなの、そんなの、

「…わかんないや」

私が教えて欲しいくらいだ。
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