07. Lily of the valley


(鈴蘭)


 台風一過とはよく言ったもので、梅雨真っ盛りだというのにここ数日は澄み切った青空が続いていた。嵐によって濁っていた河川も今は元の清涼さを取り戻し、穏やかな水音を奏でている。
 キャンプに招待した彼女と共に、今は散策を兼ねて昼食の具材の採集に来ていた。嬉しそうに先を急ぐ彼女が転ばぬよう注意を払いつつ、ゆったりと後を追う。
 この辺一帯は夏になると蛍の群生地となり、それは美しい光景が見られるのだ。数少ないとっておきの場所だ、必ず彼女を誘おう。夜のデートに誘う算段を立てていた所で、りおうさーん!と意中のかの人が呼ぶ声が聞こえた。楽しげな声に手を上げて応答し、少し足を早める。
 
「わ!」
 歓声を上げた彼女についていくと、丁度山の合間で渓谷の様になった場所に辿り着いた様だった。切り立った山肌が目立つが、こんな場所にも花は咲く。彼女が好みそうなポイントを見つけられたことに浮き足立つ心地だった。
 あ、と駆け出し少し先で屈み込んだ彼女に合わせて隣に腰を下ろす。何か気になるものでもあっただろうかと彼女の手元に視線をやれば、そこには鈴蘭が咲いていた。
「Lily of the valley」
 流暢に紡がれた英語に瞬くと、鈴蘭の英名です、といらえる声。
「…渓谷に咲くユリか」
 可憐な見た目に反し険しい山間にしっかりと根を張るその小さなユリは、どこか彼女を思わせた。
 
「名前はどんな花が好きなんだ?」
「お花?」
「あぁ。貴女が愛するものを、一つでも多く知っておきたい」
 照れてしまったのだろう、顔を伏せ花を静かに見つめる彼女。
「ふふ、こんな仕事をしてますし、お花ならなんでも好きです」
 けれどそうですね、と言いながら見つけたばかりの鈴蘭に手を伸ばす。それはそれは愛しそうに柔らかな花弁の輪郭をなぞる指先。「私、鈴蘭が好きなんです。一等好き」ぷっくりと綻んだ雪の様に白い鈴達が、風に吹かれ笑う様に揺れる。
「そうか。愛らしい鈴蘭は貴女にぴったりだな」
「……理鶯さんは、鈴蘭の花言葉を知っていますか?」
 いや、と頭をふれば首を傾げたままこちらを向いてくれる彼女。ようやっと交わった眼差しは、早朝の水面のように穏やかに凪いでいた。その奥でひそやかに灯る思慕に一拍、息が止まるのを感じる。
「再び幸せが訪れる」
 一音一音確かめるように、願うような響きを伴って零された言葉。泣きだす一歩手前の眼差しに、引き絞られた様に心の臓に苦しみが襲いかかる。がそれは同時に溶けてしまうような甘さも伴っていて。情動に突き動かされ、気がつけば鈴蘭をなぞる彼女の手に己のそれを重ねていた。そのままゆっくりと押し頂くように手前に引き、両手で彼女の手を包み込む。
「名前、愛している」
 殆ど無意識に転がり落ちた本心だった。再び、幸せが訪れる。彼女にとっての幸せは兄とずっと過ごすことで、けれどそれは生涯奪われて。ならば、自分がもう一度。尽きることのない愛を贈ろう。二度と彼女が悲しむことのないよう、困ってしまうくらいの愛を。
「どうか、貴女を愛する許可を頂きたい。小官を、貴女の恋人にしてほしい」
 真っ直ぐに見据え愛を紡げば、静かに潤い満ちていく瞳。キラキラと朝日を反射するそれは、出会った日と同じく星屑を宿していて。はくり、と乞うように開けられた口元は、逡巡の後直ぐに閉じられ痛々しいほど噛み締められる。同時に外された眼差しは、地面を見つめ。ぽたり、ぽたりと決壊した雫が真下で咲く鈴蘭を濡らした。
「ごめん、なさい……」
 ごめんなさい、理鶯さん。震えながら謝罪の言葉を紡ぐ唇は、強く噛み締めたせいか赤く血が滲んでいる。許されるならば、その言葉ごと塞いでしまいたかった。尚も涙をこぼしながらこちらを気遣う彼女に、大丈夫だと伝わるようゆっくりと頬に手を当て、親指で涙を拭う。
(謝るのはこちらの方だろう)
 縋るように向けられた濡れた眼差しに、腹の底から湧き上がる愛おしさ。許しを得られずとも、もう、愛さずにいられる方法など残されてはいないのだから。




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