朝露に濡れた花弁。キラキラと煌めくそれにそっと手を伸ばす。つぅ、と指先を伝う濡れた感覚に頬を緩ませると、次に仕掛ける罠の場所を探りに足を向けた。
ベースから少し離れた狩場に向かう途中、新たに育てているハーブ類が萎れていることに気がついた。思っていたよりも土壌が合わなかったのだろうか。中々貴重なハーブなだけに、このまま枯らすには惜しい。ふむ、と顎に手をあて思案していると、ガサリと背後の茂みが大きく動いた。
「おー理鶯、こんなところにいやがったか」
「左馬刻か。今日はどうしたんだ?」
「銃兎の野郎が急用が入ったとかで、来週の会合に参加できねェんだとよ。んで今日の夜は空いてるみてぇだから目ェ覚めちまったついでに声かけに来た」
くぁ、とあくびを噛み殺す男の頭に梅の花弁がついていることに気づく。
「っとに三月だってのに馬鹿みてェに寒ぃなここは」
「あぁ。だがほら」
「ア? あぁ……梅か」
「春はもう訪れている」
「へーへー。さっさとあったまりゃいいけどな。……お前なんか育ててんのか?」
視線が背後の地面に落とされたのを追うと、目下の悩みの種が先程と変わらずしょんぼりと萎れている。
「あぁ。いくつかハーブ類を育てているのだが、土壌が合わないようでどうしようかと思っていたところだ」
「ほーん、土ねぇ……アイツんとこならあるかも知れねぇな」
「何かアテが?」
「おぉ。昔から面倒見てる女がやってる花屋があんだわ。こっからそんなに遠くねぇし、今から行くか?」
「それはありがたいが、まだこの時間なら店は開いていないのでは?」
「お前ほどじゃねぇけど、朝早い女だから大丈夫だろ」
「ならば是非同行させて頂こう。道案内を頼む」
「おー。んじゃ行くとすっか」
そのまま歩き出した左馬刻は、中程まで歩みを進めたところで、あ、と思い出した様にどこかに電話をかけ始めた。恐らく通話先はこれから向かう花屋の主人なのだろう、時折り肩を揺らして楽しげに会話する様を見るに、随分仲が良いらしい。
珍しいこともあるものだ、とその背中を眺めていると、オゥ、また後でな、と通話を終えた左馬刻が端末を仕舞い込んだ。
「丁度良い肥料が手に入ったとかで、是非どうぞだってよ」
「そうか。今度感謝の印に小官も何か手土産を持っていかねばな」
「オ゛ッ……理鶯、女は虫や爬虫類は苦手なもんだからよ、あれだ、フルーツとかにしとけよ」
「む? 承知した」
左馬刻の言葉通り、山を降りてから幾分もしないうちに目的のフラワースタンドにたどり着いた。駅からは離れているが、ポツポツとカフェや雑貨屋が立ち並ぶ通りは穏やかな活気に溢れており、細部までこだわって作られたその外装からは丁寧な人間が経営しているのだろうと見てとれた。
カラン、と音を立てて扉が開く。
出てきたのは、肩のあたりで髪を切りそろえた小柄な女性だった。飾り気はなく華奢な体つきだが、スッと伸びた姿勢から頼りない雰囲気は感じられない。例えるならそう、鈴蘭の様な。
ふと、彼女の瞳がこちらを捉えた。長いまつ毛に縁取られた大きなそれは、朝日を反射してまるで星屑を閉じ込めたかのように煌めいていた。
「左馬刻さん! お待ちしてました」
「オゥ。待たせたな」
「ふふ、今日は早起きさんなんですね。……そちらの方は?」
「ウチのチームメイトだ。さっき肥料が欲しいって話してたやつ。おら理鶯、挨拶しとけ」
オイ、聞いてんのか、と脇腹を小突かれるまで自分が固まっていたことに気づかなかった。あぁ、と一拍遅れて自己紹介をするこちらを訝しむように左馬刻が視線を送ってくるが、正直それに構う余裕など無く。
「毒島、メイソン理鶯さん」
「貴女さえよければ、理鶯と呼んで欲しい」
ふふ、じゃあ。と、ゆるく弧を描き細められた星屑。唄うように紡がれた己の名は、どんなモノよりも特別な意味を持って響いた。鼓動が、打ち破らんばかりに激しく胸の奥を叩いている。久しく感じた覚えのない情動に、拳を固く握り締めた。
中へどうぞと招き入れる彼女に従い、遅れてドアに手をかける。店に入る直前、軒先で麗かに囀る鶯が目に入った。