02. Footsteps of love


(恋の足音)


 筋肉に覆われた無駄のないしなやかで大きな体躯。溶けてしまいそうな海を思わせる蒼い瞳。
 左馬刻さんからの紹介で知り合ったその人は、元軍人だという。
 
 話に聞くと彼はこの近くの森の中でサバイバル生活をしているらしい。初めは育てているハーブに合う肥料を、とのことだったが、今では週に二度程のペースで店に足を運んで下さる様になった。
 彼が来るのは決まって早朝。まだ街が静謐で穏やかな空気に包まれている時間帯に訪れ、軒先で話をした後、その日仕入れた花々や種、肥料をじっくり見て数種買って帰る。こんな獲物が取れた、こんな花が咲いていた。不可思議な彼の日常が垣間見えるこの穏やかな時間を、何よりも楽しみにしている自分に気づくのにそう時間はかからなかった。
 
(この間来たのは3日前だったから、そろそろかな)
 4月に入り2週間が経とうとしていた。中々北上して来なかった桜前線もようやく北の大地まで上がり、まさしく今が最盛期だと言わんばかりに咲き誇っている。
 風に吹かれカタカタとなるサインプレートをオープン側に返し、大きく伸びをしたところで愛用の赤いジョウロを手に取る。時間はかかってしまうけれど、軒先を彩る一つ一つの花壇に手間をかけられることが愛しかった。
 黙々と水やりに夢中になっていると、一際強く風が吹き抜けた。舞い上がる桜吹雪に思わず見惚れると、髪を押さえた左手首を掴まれる感覚。
 
 振り返ると、眼前に広がる迷彩。視線を上げれば驚いた様な、あるいは戸惑うような、どちらともつかない感情を宿した蒼い瞳と交わった。
「……、すまない」
「理鶯さん。おはようございます」
「あぁ、おはよう」
 向かい合った状態のまま、暫し見つめ合う。こんなに至近距離で彼を見ることなんて無かったから、どうしたって照れてしまう。けれど何故か視線を外す気にはなれなくて。せめて頬は赤くなってませんようにと祈りながら彼の整った顔立ちを眺めていると、その表情がかすかに自嘲するかの様な笑みに変わる。
「攫われてしまうかと、思ったんだ」
「桜に、ですか」
「あぁ」
 そんな訳がないのにな。そう続ける彼は、依然私の手首を抑えたままで。空いた手で髪に触れられ目を見開くと、彼の指先には桜色の花弁が摘まれていた。
「あの、手……」
 恥ずかしさに耐えかねて指摘した小さな声はちゃんと届いたらしい、あぁ、という返事ともに解放された手首。消えた温かさを寂しく思う間も無くするりと自然に手を取られ。そのまま絡められた指先に、今度こそ顔に血が集まるのを感じる。
「理鶯、さん……?」
「今日は」
 このままで、いてもいいだろうか。先程とは異なり、請う様な眼差しと共に紡がれた低く優しい声に、首を縦に振るので精一杯になってしまう。
(あぁ、だめだ)
 身じろげば簡単に触れ合ってしまう程近い距離で優しく降り注ぐバリトン。彼が話す内容が何一つ入って来ない。おかしな顔をしていないだろうか、今の自分はどう見えているのだろうか。とうに顔が赤くなってしまっていることはバレているだろうに、下を向いて頷く他なく。
 
 つい、と頬に手が当たり掬い上げられる。再び交わった眼差しは、深い海を宿していて。
(どうして、そんな)
 大切だって言うような触れ方で。愛おしげな眼差しを向けてくるの。
 
 耐えきれず思わず瞳を瞑りそうになった瞬間、店の裏手から資材のお届けでーす!と朗らかに響く声。彼がそちらに気を取られた一瞬の隙をついて逃げる様に店内に滑り込んだ。
 あぁだめ、こんな顔じゃ誰の前にだって出られない。
 頬を押さえながら蹲りそうになるのをグッと堪え、どうにか配達員さんの元に向かおうとすれば、後ろから呼びかけてくる声に身体が止まり。そのままこちらに近づいてきたかと思えば、グッと屈められる大きな体躯。
「今日はこれで失礼する。……嫌でなければ、またこうして話がしたい」
 耳元で囁かれるバリトンにこくりと頷けば、嬉しげな笑い声と共に落とされるリップ音。
(何、え、今)
(耳にキスされた……!?)
 耳を押さえてパクパクと口を開閉する私を見て目を細めると、そのままドアに向かう彼。流石ハーフ、親愛表現がダイレクトだし距離が近い……なんて慄いている私を知ってか知らずか。出ていく直前、あぁそれと、と思い出したかの様に告げられた言葉に何も考えられなくなってしまった。
 
「小官は、貴女にしかこういったことはしない」




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