03. If you call it love


(これを恋と呼ぶのなら)


 今までに、恋人と呼べる人間ならいた。人として愛していたし、手放す時には悲しみもあった。
 しかし、今抱いているこんな情動は終ぞ持ち合わせたことがなかった。
 
 ヨコハマの地にあるフラワースタンドを営む、華奢で小柄な女性。軍の再興を信じ辺境の地で日々を過ごす己と彼女の人生が交わることなど、想像もしていなかった。実際、新たな肥料の補充先が出来たぐらい位の認識で、さして興味もなかったのだ。その瞳に捉われるまでは。
 その唇から紡がれる話、白く繊細な指が触れる先まで全てが愛おしい。その星屑を閉じ込めた大きな煌めく瞳に、己以外を写さないでほしい。髪の一房、爪の一片に至るまで誰にも渡したくはない。
 彼女に笑いかけられる度抱き締めたくなる衝動に駆られ、その瞳が己を写す度永遠にこのまま時が止まればいいと馬鹿げたことを半ば本気で思い。
 花を見かければ胸が温かくなり、夜毎星空を見上げる度彼女を想った。
 会っていない時でさえこの始末なのだ。どれだけ心を囚われているか何て火を見るよりも明らかだろう。けれどこれらは全て彼女が自分に与えたモノだ。
 
 用もないのに熱心に通い詰めている時点で、左馬刻には気付かれていたのだろう。
「オゥ、アイツとの仲はどうよ。そろそろヤったんか」なんてアルコールで顔を赤らめながら下世話な事を尋ねてくるこの男に、つい大きなため息をついてしまったのも致し方ないことだろう。
「左馬刻、飲み過ぎだ」
「アン?どうってことねぇよ、俺様の酒量がこんなもんじゃねェの知ってんだろ」
 つか、話逸らすんじゃねーよ。りぃお? と、態とらしい猫撫で声を出しながら肩を組んでくる男に思わず眉根を寄せると、向かいに座っていた細身のスーツの男が物珍しそうに眼鏡を抑える姿が目に入る。
「理鶯、もしかして貴方に恋人が?」
「オラウサちゃんも気になってるってよ、とっとと吐けや」
 銃兎、と眉を顰めたまま嗜めるように男の名を呼ぶも、まるで面白いものを見つけたかのような笑みの前には効果はなく。渋々、腹を括った。
「……小官はとある一人の女性に懸想をしている」
「おや、まさか本当に……」目を丸くする銃兎にジトリと視線を寄越せば、態とらしい咳払いとニコリと音が出そうな笑みと共に失礼、どうぞと続きを促される。
「まだ告白はしていないが、近いうちにするつもりだ」
「んだよまだヤってねーのかよ」
「おい左馬刻、お前はもうちょっとオブラートってモンを覚えろ」
「うるせェぞ銃兎」
 まー仕方ねぇか。あいつ多分男出来たことねぇだろうしな。危なっかしい手付きでウイスキーを傾ける左馬刻の言葉に暫し目を丸くしてしまった。「……それは本当か? 彼女は贔屓目なしに見ても愛らしいと思うが」
「アーまぁ見た目は良いんじゃねェの。って理鶯、別に取って食おうなんざ思ってねぇからんな瞳孔開くんじゃねぇよ」
「む、そうか」
「そこまで貴方達が言うなら、どんな女性か気になりますね。理鶯、写真はないんですか?」
 銃兎にそう話しかけられはたと気づく。彼女の写真を1枚も持っていないことに。
「むぅ……小官とした事が、会うのに夢中ですっかり失念していた。次は忘れずに撮ってこよう」
「ふふっ、貴方でもそんなことがあるんですね」
 やれやれと苦笑する銃兎はこうも続ける。どうやら思ったよりお熱みたいだな、と。答えの代わりに一気にグラスを煽る。鳩尾がカッと熱くなる感覚に酔いしれていた所で、左馬刻があ、と空に向けて呆けた声を上げた。
「今呼んじまえばいいんじゃねーか」
 そうか、そうだなと鷹揚に返す銃兎は思ったより酔っているみたいだった。呆気に取られている間に左馬刻は携帯端末を操作し、耳に当てる。どうやら繋がったらしいそれは、酔っ払いの声の合間に微かな鈴の音を伝えてきた。
「もう店閉めたから来るってよ、舎弟迎えに寄越すわ」
「女一人に天下のヤクザ様が随分過保護だな」
「るっせ。しゃーねーんだよ、アイツ昔っから危ない目に合いがちだからよ。こうしねぇと合歓がうるせぇんだわ」
「貴殿の妹君か。良いことを聞いた、ベースキャンプに招待する時は迎えに行ったほうが良さそうだな」
「おぉ。……分かってると思うけどよ、嫌われたくなきゃ虫と爬虫類は出すんじゃねぇぞ、理鶯」
「女性は皆一様にその手の類は苦手なものですからね、理鶯、絶対ですよ」
「む……承知した」折角なら腕によりをかけて上質な獲物を振る舞いたかったが。小官とて、彼女に嫌われてしまうような事態は何としてでも避けたい。何故か急に青ざめた顔で忠告してくる2人にそう続けて了承の意を示せば、ほっと表情が和らいだ。
 
 そうして下らない話をしながら暫く飲んでいると、お待たせしました!と可愛らしい弾んだ声が耳に届く。弾かれたように顔を上げれば、仕事を終えてすぐに来てくれたのだろう、いつもはキチンと整えられている前髪が乱れまろい額がのぞいている。わ、皆さんもう出来上がってますね?なんて言いながら上着を脱ぐ彼女と目が合うと、照れたように笑みを返してくるのがたまらない。
「オラ、俺様はウサちゃんの隣に座るからお前がここ座れや」左馬刻にそう促されて失礼しますと右隣に移動してくる彼女。先程より随分小さく隣が沈む感覚。高揚を気取られぬ様メニューを取って開き見せる。
「何なら飲めるだろうか」
「実はビールがまだ飲めないんです……あ、これ美味しそう」
 身を乗り出し覗き込んでくる彼女からふわりと甘やかな香りが漂う。触れ合う肩が火傷しそうなくらいの熱を持つのを感じる。意識を持ってかれそうになる寸前でご紹介して頂いても?と問いかけてくる銃兎の声でハッと我に返った。取り急ぎ店員を呼び止め注文をし、改めて向き直る。
「あぁ。彼女はヨコハマで花屋を営んでいる。笹原名前という」
「ご挨拶が遅れてすみません、笹原と申します。いつも左馬刻さんと理鶯さんからお話は伺っております」
「これはどうもご丁寧に。ヨコハマ署組織犯罪対策部の入間銃兎です。名前さんとお呼びしても?」
「ふふ、勿論です。入間さんはお巡りさんなんですよね」
「ええ。それと、銃兎で結構ですよ。……貴女とは付き合いが長くなりそうな気がしますからね」
 仲良さそうに話している2人を見て突然カカっと笑いだした左馬刻は、ついとこちらに視線を寄越し「2人で話してねぇで俺らも混ぜろよ。っふ、隣のやつ子犬みたいな顔してんぞ」などと曰った。
 次いで向けられる2つの眼差しにむぅ、と唸れば揃って吹き出す2人。思わず眉間に皺が寄る。
「クク、すみません理鶯、」
「ウン。……独り占めは良くないぞ、銃兎」
 乗せられたのならと不満をこぼせば、存外拗ねた声音が出てしまったらしい。向かいの2人がダハハと笑い出す様に釣られて笑みが溢れる。りおうさん、と小さく呼ばれ振り向けば、少し顔を赤くした彼女が袖を掴みながら拗ねちゃいましたか?なんて可愛らしく小首を傾げていて。
 ……余り可愛い真似をしないでほしい。つい零れた本音が届いてしまったのだろう、えっと狼狽える彼女を見て更に口角が上がる。
 そのタイミングで届いた柑橘サワーを彼女に受け渡せば、待ってましたとばかりに左馬刻がグラスを持ち直すのが見えた。
「んじゃまぁ、乾杯すっか」
 
 これを恋と呼ぶのなら、自分には生涯彼女だけでいい。楽しそうに笑う隣の温もりを感じながら、そんなことを本気で思った夜だった。




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