食い気に勝ることもある



情事の後の気怠げな空気が失せた頃。
空調はしっかりと効いているはずなのに静かに温度を下げていく室内。回された腕の中から抜け出した名前はスンと鼻を鳴らした。
(この匂い)
手探りでベッドから腕を這わす。煩わしくて早々に脱ぎ捨てた下着ーーとはいってもショーツだけだーーを拾った名前は、片足を突っ込みつつ薄く光が漏れるカーテンに向かった。よいしょと一旦繊細なレースが施されたそれを履き直し、鈍色の光の合間に指を差し込む。
年上の恋人はまだ寝てるから、と僅かに覗き込むも、その気遣いは瞬時に無駄に終わることとなった。思い切り引き開けたカーテンの先、視界いっぱいにチラチラと舞い散る結晶。
「ーっ雪!!」
窓ガラスに添えた指先からシンシンと温度が奪われて行くが、そんなことは気にならない程に名前は目の前の光景に見とれていた。
鼻先と額もぴたりとつけて眼下を見下ろせば、ほのかに薄く化粧を施された街が一望できた。このまま行けばきっと積もってくれるだろう。
と、窓ガラスに置いた両手にそれぞれ手が重なる。
「冷て。……何してる」
低く掠れた声が耳朶を震わせた。そのままぐずるように頬を擦り寄せられ、ふわふわと鼻先を擽るシルバーヘアーに名前は思わずくしゃみをした。
「くしゃみしてんじゃねぇか、戻るぞ」
「今のはセンセのせいだよ」
「そうか」
頬に落ちる髪を摘んで見せれば理解したらしい、ククッと獄は喉を鳴らす。それより見て、と名前は階下を指差した。
「雪だよ」
「おぉ。……食うなよ」
「かき氷シロップ買ってこよ」
「話聞いてたか」
ベッドに戻ろうとする力に抗って回された腕を抱え込めば、諦めた様に獄は嘆息した。窓に張り付いたまま外を眺める名前に獄は不思議そうに口を開く。
「お前、そんなに雪好きだったか」
そう呟けば、くるりと首を獄に向けた名前は仄かに色づく唇で弧を描いた。
「初めてセンセと見る雪でしょ」上がるよそんなん。そう続ける屈託の無い瞳は煌めいていて、普段見せることのない無邪気な一面に獄は僅かに瞳を見開く。
「仕方ねぇ、付き合ってやるよ」
柄にもなく優しい声音に名前は一層笑みを深める。背後から伝わる体温を感じたまま眺める雪は、煌めきが増したようにも感じられて。
(気のせいなんだろうけど)
そうしてもう一度名前がくしゃみをするまでの間。シーツに包まれた幸せなかたまりは、飽きもせず外を眺めていた。





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