06.5 Until now I have been looking for you.


(例え出会ったのが今でなくとも)


 路地裏を駆け抜ける。溢れそうになる涙を唇を噛み締めることでなんとか抑え、人混みを避けながらただ只管に。
 幾つか角を曲がったのか、どこまで離れたのか。気がつけば、見知らぬ路地に迷い込んでいた。歓楽街からそう離れてはいないはずだが、怪しい雰囲気の店がぽつりぽつりと立ち並び、スモークが施されたバンが幾つかあるホテルの前に止まっている。かなり異様な雰囲気に名前は漸く足を止めた。
 弾む息をなんとか整え、何か場所が分かるものはないかと辺りを見回す。と、後ろから突如声が掛かった。
「あれ〜?さっきのおねーさんじゃん」
 振り向くと、声の主は数時間前に声をかけて来た男だった。ジャラリ、と耳障りな音を立てるピアス。呆然と見上げていると、男が一歩此方に近づいて来る。
「一人?つーか泣いてるじゃん」
「泣いてない、です」
「泣きそうなのも変わんねーって。あぁさっきの男と喧嘩でもした?丁度良いや、遊ぼうよ」
 言いつつガシリと腕を掴まれる。先程とは違いしっかりと拘束された腕に漸く焦りと恐怖が追いついた。
「嫌です、離して下さい……!」
「いやいや、こんなところに一人でいる時点で誘ってる様なモンでしょ。……逃さねーよ」
 低く付け足された獰猛な言葉にひっと息を呑む。視界の端に捕らえた電柱にはドウゲンザカと表示されていた。
(痛い、怖い、誰か、)
 必死で振り解こうとするのを男はものともせず、それどころかギリ、と掴まれた腕に力を込められ身体を引き寄せられた。喫煙者なのだろう、キツめの香水と混ざり合った煙たい臭いに噎せ返りそうになる。
 ――どうして。どうして、いつも。
 混乱と恐怖で萎縮しきった心が抵抗を諦めそうになったその時。
「rrrrrah!!」
 背後から聞こえた声と共に男の身体が突然眼前から消えた。次いで聞こえる軽やかな着地音、何かに激しくぶつかる衝撃音。
「名前、怪我ない?」
 血のように紅いメッシュが入った艶やかな黒髪を掻き上げたその人物は、珍しく焦った様に此方を振り返った。
「佑ちゃん……!」
 名前を一瞥して異常がないことを確認した佑は、ちょっと待ってね、と自分の背後に名前を隠す。そのまま男に向かって歩き出した。
 綺麗に顔面にドロップキックを決められた男は優に五mは飛ばされたらしく、呻きながら片手で顔を抑えている。
「グ、ゥ……テメェ何しや」
「私の服がなんで黒いか教えてやろうか?」
 倒れ込みながらも凄む男。未だ自由の効かない身体を佑はまるでおもちゃでも扱うかの様に片手で胸ぐらを掴んで引き上げる。眼前に迫る表情の読めないかんばせ。ここで初めてニタリと口角を上げた佑に男は言葉を失った。
「……返り血が目立たないからだよ」
 静かな死刑宣告は、離れている名前にもその圧がどれほどなのかを鮮明に伝えてくる。その一言で戦意喪失したのだろう、胸ぐらを離された男はロクに体制を立て直すことなく、踏鞴を踏みながら逃げる様に立ち去っていった。
 その様子を見届けた佑はツカツカと名前に駆け寄る。
「佑ちゃん、あの、ありが」
 パシリ、と両手で頬を包まれたことで御礼の言葉は途切れてしまった。ぽかんとする間も無く佑は大きく息を吸い込む。
「一人で!行動!しない!!」
 単語ずつ区切られ浴びせられた言葉。佑は真剣な顔で此方を覗き込んでいて。包まれた頬から伝わる暖かさ、仄かに香るのは以前愛用していると話していた香水なのだろう。白檀とムスクに混じって漂ってくる佑本来の香りに、安心も相俟ってほろりと涙腺が解けるのが分かった。
 そのままゆっくりと泣き出した名前に、佑は少しだけ屈み込む。コツリと合わされた額。
「名前はさ、どうしたいの?」
「……?」
 質問の意図が汲み取れず、しゃくりあげる合間に視線を合わせれば、どこまでも深い呂色の瞳が真っ直ぐに此方を見つめていた。
「元カレとか元カノは置いといて。名前が今一番傍にいたいのは、一番好きなのは、誰?」
 耳朶に染み渡るのは先程までとは打って変わって、幼子に聞かせるような優しい声音。
 今一番会いたくて、隣にいたい人。
「りおうさん……」
 零れ落ちるようにその名がまろびでた。ニカ、と歯を見せ笑った佑はよし、と片手を離して何処かへ電話をかけ始めた。すん、とまだ鼻を啜っている名前を宥める様に頬に添えられたままの手を外し、代わりにその華奢な肩を抱き寄せる。
「まだ泣いてて良いよ」
 身長差故に佑の胸に顔を埋める形となった名前は、コクリと頷いた後、また静かに涙をこぼし始めたのだった。
 

ーーーーーーーーーーーーーーー

 
 一時騒然とした店内だったが、座ってコーヒーを出せば幾分か落ち着いた様だった。カップを傾けつつ名前について話す面々にほっとみきこは胸を撫で下ろす。
 と、そこに鳴り響く着信音。ゴジラのテーマは一人しかいない、佑からだ。
「はい、もしもし」
『任務完了〜』
 電話口の向こうから間延びした声が聞こえてくる。いつもの調子で告げられた報告に思わず頬が緩んだ。
「良かった……!名前見つかったんだね。かわれる?」
『いや……ちょっと一悶着あってね。今は無理そう』
「え、怪我でもした!?」
 言い淀む佑に声を上げれば、固唾を飲んでこちらの様子を伺っていた面々が殺気立つのが分かった。ガタリ、とヨコハマのメンバーが椅子から立ち上がるのを制して誰よりも早く側に来たのは、意外にも離れた席で俯瞰していた幻太郎だった。
 そのままみきこの隣を陣取った幻太郎は、メモを片手にぴたりとみきこの持つスマホに耳を当て堂々と聞き耳を立ててくる。
「ははぁ〜……なるほどぉ」
 態とらしく唸りながらメモを取る幻太郎は、煩わしくなったのかするりとみきこからスマホを奪い取り勝手に受け答えをし始めた。
「どうやら泣いていらっしゃるようですなぁ〜」
「おやまぁ!ナンパ男に捕まった、ですと〜?」
「はぁはぁ、今どちらに?」
「ドウゲンザカ?例のホテル街?まぁそんな路地裏に……心配でありんす〜」
 煽りに煽った口調で応対していれば、最後まで聞く前にライフルを背負いなおした理鶯が勢い良く店を出て行く。引き留める暇もなく嵐の様に過ぎ去った理鶯を横目でチラリと見送った幻太郎は、やれやれといった表情でみきこにスマホを手渡した。
「手間が掛かりますねぇ、どちらも」
 シュボ、と愛用のタバコに火をつけた幻太郎はもう事の顛末を追う気はないのだろう。代わりにメモにすらすらとペンを走らせている。
 呆気に取られていた他の面々は、ややあって顔を見合わせた。
「お兄ちゃん……」
「ねーむ。大丈夫だ、今の理鶯見てたろ?」
「あの調子なら問題ないでしょう。きっと名前さんも無事です、我々はこの辺で退散しましょう」
 不安そうにする合歓に左馬刻と銃兎が声を掛ける。その言葉に安心した様に笑った合歓は、みきこに向かって恭しく頭を下げた。
「私達、これで失礼します。今日は本当にありがとうございました」
「いえいえ!こちらこそ巻き込んだ形になってしまったので……よければ今度は普通に遊びに来てください」
 顔を上げた合歓は、是非!と再びにこやかに笑った後、左馬刻に連れられ店を出て行く。遅れて会計を済ませた銃兎が二人に追いつくのを見届けたみきこは、ホッと息を吐いた。
「全く、茶番でしたねぇ」
「幻太郎」
 いつの間にか隣に立っていた恋人。これ、回収しておきましたよ、と差し出された手には理鶯が仕掛けた小型の盗聴器が乗っていて、みきこは思わず苦笑した。
「二人、上手くいくかな」
 ぽつりとこぼれた言葉に、おや、と視線が向けられるのが分かった。
「どう見たって結果は明らかでしょう」
 御伽噺とおんなじです、と決まりきったかの様に告げた幻太郎は、今度こそ興味を無くした素振りで席に戻っていった。
 ……そうよね。そうだといいな。
 曇り空から切れ間が覗く。幾筋も落ちるレンブラント光線がこの先の二人の未来を示しているようで。
 注文を告げるベル音にハッと意識を戻したみきこの顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。
 

ーーーーーーーーーーーーーーー

 
 どれくらいそうしていただろう。
 あやす様に一定のリズムで叩かれていた後頭部。喉のひくつきも治まり、止め処なく溢れていた涙も漸くおちついた頃合いで、静かに頭を撫でられた。
「そろそろ、大丈夫そう?」
「ん……佑ちゃんごめんね」
「謝んないの」
「ふふ、ありがとう」
 クスリと息だけで笑った佑は、目を閉じて、と囁く。大人しく従い瞼を下ろせば、佑が離れていくのが分かった。
「佑ちゃん……?」
 不安に駆られ手を前に出すと、温かな何かに手を取られる。そのままふわりと全身を抱きとめられた。
(この香り、)
 ゆっくりと、瞼を開ける。そこには今日何度も焦がれたアクアマリンが、愛しげに細められ此方を向いていた。名前、とバリトンが待ち侘びた様に鼓膜を震わす。落ち着いたはずの涙腺が再び緩む予感に、くしゃりと名前は顔を歪ませた。
 ――あぁ、この人がいい。過去も未来も、今の前では敵わない。
 留まることを知らない愛しさが、首元を伝いせり上がる。そのままぽろぽろと目元から零れ落ちるのを、困ったように、けれど愛おしそうに理鶯が優しく指で拭ってくれた。
(もうこれ以上、私のエゴで大切な人を傷つけてはいけない)
 視線を下に外し、一度だけ深く深呼吸を。再び視線を上げ、アクアマリンを真っ直ぐに見据えたまま、万感の思いを込めて声を押し出した。
「理鶯さん、大好きです。もう一度、私を選んでくださいますか?」
「……元より、貴女以外など見えてはいない」
 ひゅっと理鶯が息を呑むのが分かった。大きく見開かれた目がゆっくりと細まる。そうして少しの間を置いた後、じわりと回された腕に力が込められた。
「例え出会ったのが今でなくとも、小官は間違いなく貴女を選ぶだろう。……その時恋人が、いたとしてもだ。言っただろう。小官の初恋は、貴女なのだと」
 一つ残らず噛んで含める様に、ゆっくりと言葉が紡がれる。
「もう、小官には……俺には、貴女以外、考えられないんだ」
 薄い唇から紡がれる最後の言葉は、掠れていた様に思う。断定できないのは、聞き終わると同時に強く唇を塞がれてしまったから。後頭部に差し込まれた手が、腰に巻き付くように回された腕が。離すものかと全身で愛を注がれる。舌を差し込まれかけた所で慌てて胸板を叩けば、不承不承といった体でゆっくりと解放された。しかし身体は依然抱き締められたまま。息を整えたと勘違いしたのだろう、再び唇が近づく気配に慌ててストップをかける。
「理鶯さん、まって、待って下さい」
 ここは人気が少ないとはいえ公道で、いつ誰が通るかも分からないのに。
「名前」
「、だめです」
「嫌だ」
 懇願する様な声音に流されぬようぴしゃりと言い放つも、投げられた拒否の言葉に思わず瞳を丸くする。すると理鶯は眉毛を八の字に曲げてじっと此方を見つめてきた。
「待っている間に、また逃げられては敵わない」
 苦しそうに告げられた言葉に、うっと名前は口籠もる。
「それに、いい加減貴女不足なんだ。頼むから抵抗しないでくれ」
 重ねられては堪らない。足りなかったのは此方も同じで、欲しいのだって。
 Please,とトドメを指す様に耳元で低く囁かれては観念する他なく。静かに瞳を閉じたのを合図に貪る様に唇を奪われた。
 
 止め処なく降り注ぐキスの合間に、ぽたり、と頬におちる雫。薄く瞳を開けると、いつの間にか晴れた空から、落ちるはずのない雨粒がポツポツと降ってきていた。
(狐の嫁入り、)
 西日を反射したそれはキラキラと輝いていて、光がそのまま降り注いでくる様な錯覚を覚える。
 が、直ぐにそれも眼前に広がった燃える様なレッドジンジャーに覆われ見えなくなった。
 どこかの狐が、惹かれた男を想って流した涙なのだろうか。意識の端でぼんやりとそんな考えが思い浮かぶ。
 キスに応えるように名前もまた、理鶯の後頭部に手を差し入れた。
 
 もう大丈夫。貴方と一緒なら、何があったって怖くない。




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