10. Star of Bethlehem


(引き寄せられたのは必然かの様に


「クリスマスマーケット?」
「あぁ」
 事後特有の甘さを伴う空気の中、腕の中で器用にくるりと向きをかえた恋人。淡い栗色の狭間からまろい頬が顔を出し、理鶯は堪らずその愛らしさにキスを落とした。
 くふくふと擽ったそうに笑う名前は、幸せそのものを象ったようだ。
「ふふ、まってまって。そのクリスマスマーケットに連れてってくれるんですか?」
「貴女さえ良ければ」
「うーんと。クリスマスは当店もかき入れ時でして……」
「勿論、当日でなくても良い。貴女の都合さえ良ければいつでも。だめだろうか?」
 だめなわけないじゃないですか、といいつつ考える素振りを見せる彼女に、追い討ちをかけるべくキスを落とす。シーツを剥いて首、肩と辿っていけば胸に辿り着く前に観念したように声が上がり口端がつり上がった。こちらの勝ちだ。
「もう、理鶯さんたら。一旦シフトの相談しますから待っててください」
「ふふ、幾らでも待とう。だが早い方がありがたい」
 シーツを手繰り寄せられてしまったので剥き出しの鎖骨を舐め上げる。講義の声ごと唇を塞げば、微睡から再び火がつくのにそう時間はかからなかった。
 
 
 果たしてキリストの聖誕祭から5日前に無事デートは決行されることとなる。例によって頼もしいバイトがシフトを買って出てくれたそうだ、今度何か礼をしなければな。逞しい身体付きとは相反して優しい心を持った青年を思い浮かべたところで、ふと腰を抱いていた恋人の足が止まった。
「大きい……!凄いですねあのクリスマスツリー……!」
 今日一番の彼女の歓声に理鶯は頬を緩ませる。「あぁ、できることなら貴女と見たかったんだ」
 腰を抱く手を強めれば、名前は何とも愛らしい照れ笑いを浮かべた。
「ふふ。でも赤レンガ自体も凄いですね、こんなに凄いイルミネーションだったなんて」
 ここが日本で一番クリスマスらしいところなんじゃないだろうか。華美な装飾に呆気に取られた彼女は、先程から熱心に視線を巡らせていた。ことあるごとに声を上げる姿が普段からは想像もつかない程に幼く、可愛らしい。一号館と二号館を繋ぐイルミネーションの煌めきが、彼女の魅力をより引き立たせていた。
「赤レンガ、夏ぶりですね」
「あぁ。貴女と恋人になれた日に来た以来か」
「わ、言わないでいたのに」
「む」
 隣を見れば、どこか面映そうな表情を浮かべた彼女。へへ、と誤魔化すように照れ笑いをする姿が愛らしく、唇を寄せる。――間に手を差し入れられてしまったことで目的地に到達することは出来なかったが。
「理鶯さん、ここ外です」
「むぅ」
「ふふ、可愛く唸ってもだめ」
 甘い嗜めに肩をすくめ、差し入れられた手にキスを落とす。小さな悲鳴が聞こえたが、それよりもその冷たさに理鶯は瞳を僅かに見開いた。
「理鶯さん?」
「冷えてしまっているな。少し待っていると良い」
 辺りを見回せば、すぐに目的の屋台は見つかった。己のジャケットを有無を言わさず彼女に被せ、視界に入る位置かつ比較的温かな場所に誘導する。良い子で待つように告げれば不思議そうな顔をしながらも名前はコクリと頷いた。
 ただでさえ虫のつきやすい恋人だ、周囲に牽制をしつつ用事を済ませ、直ぐにかの人の元に向かう。
 早かったですねなんて微笑む彼女に店主から受け取ったワインを差し出せば、楽しげに瞳が煌めいた。
「わぁ……!ホットワインですか?」
「あぁ、スパイスが効いたグリューワインだ。これなら飲めるだろう」
「ありがとうございます。……ふふ、美味しい」
 彼女がほぅとついた息が白く染まり、今更ながら冬であることを実感する。人混みを避けつつ進むといくつかベンチが仮設されていたので淀みなくエスコートをする。スケートリンクでの喧騒が遠くに聞こえていた。寒さを理由に身を寄せ合い、ワインを口にしながら燦然と輝くツリーを遠目に眺める。
「見事なものだな」
「本当に綺麗……お店にも出しましたけど、ツリーはやっぱりいいですね」
「あぁ。やはり今日貴女と見れてよかった。父の国では、クリスマスは家族で過ごすものなんだ。日本では大切な人と二人で過ごす日なのだろう」
 こちらを見上げきょとりと瞳を丸くした名前は、嬉しげに、どこか切なそうに目を細めた。何か気に障っただろうかと覗き込むと、珍しく自分から身体を預けてくれた。左側に感じる僅かな重みと体温が、心が震えるほどに愛おしい。
「大切な人と過ごすクリスマスは、本当に、久しぶりです……お兄ちゃんがいた頃以来かなぁ。恋人っていう括りなら理鶯さんが初めて。ふふ、ちょっとやきもち妬いちゃいそう」
 初めて聞くワードに理鶯は口元に手を当てた。やきもち?彼女が??顔に出ていたのだろう、名前は恥ずかしそうに笑う。
「だって、今まで理鶯さんは恋人と過ごしてきたんでしょう?」そういうことか。同時にきゅ、と腕に抱きつかれて理鶯は天にも昇る心地だった。緩む表情筋を抑えられず、手のひら全体で目元を覆うこととなる。この可愛い生き物、どうしてくれよう。
「遠い過去の話だ。……小官はいつも妬いている」
「そうなんですか?」
「貴女だけだ、こんなに心を乱されたのは」
「本当かなぁ」
「名前」
 信じてもらえないのなら実力行使だ。声色で伝わったのだろう、冗談です!と慌てて距離を取ろうとするのを眼差しで押し留めた。腕を離されてしまったのは残念だが、その代わりに腕を回し腰を強く抱き寄せ密着させる。再び大人しく身を預ける姿に自然と口元は笑みを象った。
「小官の生家ではクリスマスを盛大に祝い、その興奮冷めやらぬまま新年の祝いに突入するのが通例だった」
「ふふ、お祭り騒ぎですね」
「あぁ。グランマが七面鳥とジンジャークッキーを焼き上げ、母はケーキを作ってくれた。ダディとグランパは飾りつけ担当で、ツリーを持って来るところからだったな」
「へぇ!想像しただけで楽しそう。ツリーの飾り付けもしたんですか?」
「飾り付けはジンジャークッキーも使って家族全員で。最後の星を飾るのは小官の役目だった」
「あぁ、天辺の。私もお兄ちゃんに肩車されて飾ってました。ふふ、懐かしいなぁ」
 くすくすと笑いあう。名前の瞳にはキラキラとイルミネーションが反射していて、まるで恒星のようだった。常は宙を感じる星屑の瞳は今、温かな光で満ちている。
「あの星の名前を知っているだろうか」
「天辺の星の?名前があったんですね」
 星屑がツリーの天辺に向く。名前の頭に額を寄せた理鶯は同じようにツリーを向いた。
「あぁ。ベツレヘムの星、というらしい」
「ベツレヘム?」
「あぁ。クリスマスはキリストの生誕祭だろう。そのキリストの生誕の直後、西方の空に見たこともない星が輝いたそうだ。キリストの生誕を悟った占星術師がその不思議な星に導かれ、ベツレヘムへの旅を始めたという逸話があるらしい」
「だから、ベツレヘムの星なんですね。星に導かれるって素敵です」
 プラネタリウムが好きな彼女は星の逸話に楽しそうに笑う。そうだ、と弾んだ鈴の音が鼓膜を震わせた。
「じゃあ、私たちにとってのベツレヘムの星ってなんでしょう」
「そうだな……左馬刻か?」
「ふふ、ふ、本人に言ったらどんな顔するかな」
 ふと思い浮かんだリーダーを上げれば腕の中でころころとおかしそうに声を上げる。一頻り笑った名前は目尻に涙を浮かべていて。そっと指先で拭うと表情はすぐに照れ笑いに変わる。いつまで経っても初々しい反応をする恋人が可愛らしく、キスを落とそうとするものの顔を逸らされてしまった。
「そういえば私、理鶯さんと初めて会った日の朝に鶯を見たんです」
「鶯?」「えぇ」目を丸くするこちらには気づかず恋人は話を続ける。「凄くオーソドックスな鳴き声で、鶯って本当にホケキョって鳴くんだ、って。まさか理鶯さんの名前にも入ってるなんて思いもしませんでしたが……どうかしましたか?」
「小官もその日鶯を見たんだ。ベースでならさほど珍しい光景でもないが、花屋の軒先にいた」
「花屋って……」
「あぁ。勿論Le muguet en voyageでだ」
 きょとりとこちらに向けられていた瞳が大きく見開かれた。パッと花が綻ぶように笑顔が咲く。
「じゃあ私達にとってのベツレヘムの星は、鶯だったのかもしれませんね」
「流石は春告鳥と言ったところか。だが左馬刻の線も残ってるぞ」
「ふふ、やめて下さい笑っちゃう」
 くすくすと笑う恋人の隙を突き極自然に唇を掠め取る。先程とは違い避ける間もなかったそれに目を丸くするものの、抗議の声はなく。
「どうせ誰も見てはいない」
 低く囁くと静かに瞼が下ろされた。これ以上ない了承だ。ワインのせいだけではない理由で染まりきった頬にキスを落とし、再び甘い果実に狙いを定めたのだった。
 
 
 深夜、渡された合鍵を使ってドアを開け、真っ直ぐ寝室に向かう。物音を立てぬようごくごく慎重に動いたおかげか、恋人は深く眠りについたまま起きる様子はなかった。
 そっと手を取り絡ませる。常よりも低い体温は、それでも外気温で冷やされた理鶯の指先をじわりじわりと温めていく。
 ふと視線を上がると窓枠にある小さなツリーに気がついた。可愛らしいサイズのそれは彼女が誂えたものだろうか。せっかくだからと持参したプレゼントをツリーの隣に並べる。明日の朝みれるだろう驚き喜ぶ顔が浮かぶようで、ふと頬を緩ませた。
 と、もぞりと彼女が寝返りをうつ。ちょうど一人分空いた隙間に逡巡した後、理鶯は静かに隣に潜り込んだ。腕を回すと無意識か擦り寄る恋人に鼓動は早鐘を打つ。寝ていてもこんなに可愛いなんて反則だろう。つむじにキスを落とすとむずがるように唸った彼女に笑みが溢れた。
 小官と貴女を繋ぐモノは数多くある。そのどれもがベツレヘムの星となりえるのだろう。
 幸せそうに夢の世界を漂う彼女に倣い、理鶯もまた瞼を下ろす。狭く温かなベッドの中で穏やかな寝息が増えるのにそう時間は掛からない。指を絡ませたまま勝手に約束をする。――来年は共に星を飾ろうと。
 
 シャンと、どこかで鈴の音が聞こえた気がした。




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