「――できた!」
「どれどれ〜〜、オッいいじゃん!」
ふぅ、と額を拭ったところで両脇から二人の視線が手元に向いた。焼き上がったプティフールサレは半分チョコレートをかけ、ドライストロベリーとピスタチオで彩りを添えた。ソルトチーズ味の甘くないクッキーにビターチョコをあしらったそれはきっと理鶯でも食べれるだろう。まぁ食べてもらえなくても自分で食べれば良いか、なんて思っていると隣から視線が突き刺さった。佑だ。
「あーん」
「ふふ、練習用のでもいい?」
こくりと頷き口を開けて待っている彼女に苦笑しつつ、端によけていた練習用のを一つ拾って差し入れる。
「どうかな」
サクサクと小気味いい音を立てて飲み込まれていったそれは、たちどころに佑を笑顔にした。もっかい、と開けられる口にずるい!私も!とみきこが並んだ。まるで餌付けだ。
その後もみきこの作ったガトーショコラを味見したり、佑の作る闇鍋ロッキーロード(語弊ではない)に戦慄したり。ひと段落した頃にはとっぷりと日が暮れていた。
一等綺麗にラッピングできたサレを手に取り、仕上げにミニバラを使った小さなスワッグをリボンの合間に差し入れる。
「明日、毒島さんにちゃんと渡すんだよ」
横からかかった声を見ると、先に片付けを終えたのだろう、頬杖をついたみきこがにこにことこちらを見つめていた。勿論。コクリと頷くと二人は満足そうに笑った。さぁ、明日が決戦の日だ。理鶯さん、喜んでくれるかな。その日は期待と不安を胸に中々寝付けない夜となった。
2/14、バレンタインデー。当然のことながら花屋にとってはかき入れ時で、本来なら定休日である今日は休日返上だ。開店直後から絶え間なく押し寄せる客足に、名前達は息つく暇もなく駆け回っていた。時刻は18時半を回った頃。薔薇のストックは山ほど用意したが、それも残り僅かとなっている。後5〜6人が関の山だろう。
「杏さん、みどりくん。お店のストックもほぼないし、これ売り切っちゃったらお仕舞いにしましょう」
「そうね、よく働いたわ私たち」
「僕は平気ですけど、二人も大変でしたよね。お疲れ様です」
冬真っ盛りだというのに薄着のみどりは言葉通りけろりとしていて、基礎体力の違いを見せつけられた。頼もしいバイトくんに杏と目を見合わせて笑う。
と、カランと大きくドアベルが鳴る。来店者だ。後少しだと元気良く振り向いた。
「いらっしゃいま――、理鶯さん!」
「失礼する。まだ営業中だろうか?」
外気温のせいか鼻の頭が赤くなっているのが可愛い。解いたマフラーを受け取ろうと駆け寄るものの、杏にがっしりと肩を掴まれてしまった。
「ええ、まだ営業中ですよ。とは言ってもあと少しで閉めちゃうとこなので、店長なら連れ出しても構いません」
「杏さん!?」
「あと片付けもほぼ終わってますし、明日はお休みですしね。お疲れ様です、名前さん」
「みどりくんまで!」
二人とも上がれと言わんばかりの口振りだ。あと少しだしちゃんと最後までいます!と拳を握りしめたところで、ククと喉を鳴らした理鶯が前に出た。
「それはありがたい。薔薇は、あと何本あるだろうか?」
「薔薇ですか? 大体50本ぐらいですかねぇ」
「うん、ならそれを全て頂こう。包んで貰えるか? プレゼント用なんだ」
「え、全部ですか?」
理鶯さんが薔薇?首を傾げてる間に杏がずいと目の前に立ちはだかった。やけに機嫌のいい笑みを浮かべて。
「はい、薔薇全てですね、ありがとうございます! ラッピングは私がやるので店長は着替えてきてくださ〜い!」
「え、杏さ」
「まぁまぁいいからいいから。みどりくん、レジお願い」
「はい」
ズイズイと肩を押されバックヤードに追いやられた。理鶯さんも薔薇買うんだ、とぼんやり考えながら身支度を整えていると杏の声で名前が呼ばれる。思ったより時間が経ってたようで駆け足で戻ると、見事な花束をもった理鶯が立っていた。来た時は気づかなかったが彼は私服で、なんというか、絵になりすぎていた。まるでハリウッドスターがこれからプロポーズのシーンか何かを撮影するかのようで。薔薇の花束がここまで似合う男性がいるだろうか?またしてもぼんやりと見惚れていると、唐突に視界が赤で埋まる。
「Happy Valentine.」視線を上げると薔薇の先に微笑んだ理鶯がいた。アクアマリンは細められ、わずかに頬に赤みが差している。
「え、え……!」これはもしかしなくても私に。続く言葉に一気に頬に熱が集まるのが分かってしまった。「108本には本数が足りないが、それはまたいずれ。受け取ってくれるだろうか?」
108本。花屋じゃなくったって分かる、それは……
きゃあ、と小さく聞こえた悲鳴に我に返った。杏だ。パッと振り向くと杏がニヤニヤと笑みを浮かべている隣で、みどりもまた恥ずかしそうに口元をに両手を当てこちらを見ていて。
「名前、小官だけを見てほしい」
〜〜少しだけ拗ねた甘い声音で、そんなの、ずるすぎる。再び上がる黄色い声援はそのままに、名前はわなわなと理鶯に向き直った。
「っ、ありがとう、ございます」
「うん。ふふ、愛らしいな」
一刻も早くここを立ち去りたい。思わず受け取った薔薇を抱きしめて顔を埋めてしまいそうになる。それでもきっとこの薔薇に負けず劣らず染まりきってしまった顔は隠せそうにはないけれど。
ふるふると震えているのが分かったのだろう、理鶯が隠すようにドアまでエスコートをしてくれた。
「うふ、良いもの見ちゃった」
「あ、杏さん!」
「はいお疲れ様、後は任せて下さーい♡」
「店長、理鶯さん、お疲れ様です!」
「すまない、感謝する。それでは」
あれよあれよと店外に押し出され、瞬く間にクローズの札が返された。カランコロンと鳴り響くドアベルをジトリと見上げていると、目の前に大きな手を差し出される。その手にいつものグローブははまっていない。
「プリンセス、お手を」
他の人なら笑ってしまう動きだって一々様になるのだ、この男は。暫く顔から熱が引かない予感を胸にそっと手を置く。
「はい、喜んで」
元々バレンタインの日にディナーを共にしたい、と伺いは立てられていた。流石に大きな花束を持ったわけにはいかないだろうと自宅を提案するものの、既に予約があると言う。おまけに身体に不釣り合いな大きさの花束はハンドバッグことひょいと逞しい腕に抱えられてしまい、大人しく着いて行く以外の選択肢はなく。
完璧なエスコートで辿り着いたのは閑静な住宅地にあるレストランだった。一見ただの住宅に見えるそこは門を潜ると細い小道があり、奥にはモダンな作りの離れが建っている。なるほどまさしく隠れ家といったところか。戸を開けると直ぐにウェイターが恭しく頭を下げ、お待ちしておりましたと席に通される。半個室のそこはライトアップされた見事な中庭を羨望できるソファー席だ。外装と同じく無駄なく洗練されたモダンな内装に、所々に掛けられた絵画。センスの良さにきょろりと目線を奪われてしまう。
「素敵なところですね……!」
「あぁ。銃兎が教えてくれたんだ」
「わ、銃兎さんが?」
「あぁ。貴女とディナーに行く場所を迷っている、と話したらここはどうかと」言いつつ流れるように手を取られ、指を絡められる。「喜んでもらえたようで正解だった。今日着ているのは新しいワンピースだろう?可愛い貴女を見られて小官は幸せ者だな」
とろける笑みでそう言われてしまえば敵わない。ふふ、とつい口元が緩んでしまう。アクアマリンが細められ、ゆっくりと近づいてくる。触れる、と思った瞬間恐らくウェイターであろう足音が聞こえ、碧は即座に離れていった。
「お待たせ致しました、こちら、食前酒です」
「ありがとう」
ごく自然に受け取った理鶯はウェイターには分からぬ様ウインクをしてみせた。「キスはお預けだ」「!?」
目を見張る私にふっと笑ってみせた彼は、スパークリングワインを差し出してきた。慌てて受け取ると、小気味のいい音が鳴らされる。
「乾杯」
シュワ、と並々注がれた琥珀色が揺れた。
贅沢なコース料理を楽しんだ後、目の前に小さな紙袋が置かれた。中を覗くとラッピングされた小箱が入っていて。首を傾げても理鶯は笑みを浮かべるばかりで、視線で開けろと促してくる。
「わぁ……!」
リボンを丁寧に解いて包装紙を開けると、中から顔を出したのはチョコレートだ。細やかな装飾で見事に彩られた六粒が行儀良く収まっていた。
「食べてみてくれないか」
「綺麗……良いんですか?」
「勿論」
オレンジピールが散りばめられている一粒を手に取り、口に運ぶ。豊かなカカオが口いっぱいに広がり、ついで爽やかな果実が鼻を抜ける。パッションフルーツだろうか?中から溢れてくるソースがチョコレートの甘ったるさを綺麗に包んでいた。
「どうだろうか」
「すっごく、すっごく美味しいです……!」
さぞ名のあるショコラティエが作ったのだろう。次はピスタチオが印象的な一粒。かじると中は三層構造になっていて、口触りの良いガナッシュが甘酸っぱいカシスクリームと調和している。
「〜〜!これ好きです、全部食べるの勿体無いって思っちゃう。どこで買ったんですか?」
「口にあった様で何より。そうだな、流石にカカオは栽培できなかったので輸入品だが、材料はできるだけ自前で準備をした」
ぱちり。ゆっくりと瞬くのを理鶯はにこにこと見つめていた。
「これもしかして……」
「流石にチョコレートを作るのは初めてだったが、喜んでもらえてとても嬉しい。日本では好意を持つ相手にチョコレートを渡すのだろう?」
「凄いです!私てっきりショコラティエが作ったのかと……本当に理鶯さんが?」
「ふふ、小官の国では薔薇を渡すのが一般的でな。チョコレートと迷ったがどちらも貴女に捧げたかった」
きゅう、と胸が締め付けられる。幾ら料理の腕がプロ級と言えど、並大抵の苦労ではなかったはずだ。だというのにこの完璧な恋人は、私に渡せたことをこんなに幸せそうな顔で喜んでくれるのだ。受け取った、ただそれだけで。
「嬉しい……余計に食べるのが勿体なくなっちゃった。ありがとうございます」
「貴女が望むなら幾らでも作ろう。――その、貴女からのバレンタインは期待してもいいだろうか?」
喜びから急転直下、控えめに告げられたセリフに名前は表情が固まるのを感じた。
まってこれは、渡せない。こんなプロ顔負けの……というより、一流パティシエが作ったようなチョコレートを渡されて、いったいどんな顔でこの素人が作ったモノを渡せるというのだ。
上手くいったとはいえただ手作りのプティフールサレにビターチョコを掛けただけのものだ、チョコはメインではないし――それは甘いものが苦手な理鶯のためでもあるが――見た目も味もこのパーフェクトな恋人が作ってくれたものには到底及ばないだろう。とにかく、だめだ、渡せない。
期待に満ちた表情を裏切るのは忍びないが、自分用に買ったブランド物のチョコレートがまだあるはずだった。そうだ、それを渡そう。今日は忘れたフリをして。
「り、理鶯さん。その、私からのチョコレートなんですが」
「あぁ、銃兎と左馬刻に数度指摘されるぐらいには顔に出ていたらしい。とても楽しみだ」
「いや、えっとですね、そうだごめんなさい忘れてしまって……!」
慌てたのが仇になってしまったのだろう、ハンドバッグに肘があたる。コロン、と転がり落ちたそれは如何にも本命です、と言った出立ちで。理鶯はいつになく感情の読めない顔でそれを拾い見つめた。
「そうか、ならば――これは一体誰に?」
そう尋ねる理鶯の声色は普段と変わらないはずなのに、空気が痛いほどに張り詰めるのを名前は感じ取った。いつかの――そう、内緒で左馬刻と銃兎とプールに行こうとした時のような。
恐々と視線を上げると理鶯は静かにこちらを見つめていた。眼差しから穏やかな温度は毛程も感じられない。と、悲しげに眉が下がった。
「り、理鶯さんへのチョコです……」
得体の知れない圧力と悲しませてしまったという事実にあっさりと良心は白旗を上げる。瞳を丸くした理鶯は直ぐにまた口元を緩ませた。
「それは良かった、この世に貴女からチョコレートを貰える幸福な男は小官だけなのだな」
それは嬉しそうに呟く姿にホッと胸を撫で下ろした。
万が一複数いるなら減らさねばならぬところだった、と空恐ろしい言葉が聞こえるけれど今のは聞かなかったことにしたい。
開けても?という言葉にコクリと頷く。ガラス細工でも扱っているかの様に丁寧に包装を解いた理鶯は、蓋を開けたまま固まってしまった。見た目は悪くない筈だ……理鶯ほどは凝ってはいないが。急に不安が襲いかかる。
「理鶯さん、甘いもの苦手ですよね?食べてもらえないことも想定していたので、全然無理しなくて大丈夫ですから……!」
もしかして飾り付けに使ったドライストロベリーが苦手だったとか?手元のチョコレートに比べると確かに見劣りするそれに急に恥ずかしくなり、隠そうと手を伸ばす。が、手首を掴みそのまま指先一つ一つにキスを落とされ、今度はこちらが固まってしまった。
「え、なん、!」
「だめだ、これは渡さない」
最後の指にキスを落とされた後解放された手首をすぐさま引っ込めると、理鶯はサレを摘み一頻り眺めた後口に入れる。一瞬浮かんだのは驚きの表情。
「これは、甘くない……?」
「プティフールサレです。塩味のビスコッティみたいなもので、生地には栽培したスパイスを効かせてあります」
「掛かっているのはクーベルチュールのビターチョコだな、塩気と相まって絶妙だ」
どうやら口には合ったらしい。黙々と口に運ぶ理鶯をこわごわと見つめていると、半分ほど食したところで視線に気づいたらしい彼は珍しく照れ笑いを浮かべた。
「これは、その……言い訳はよそう。とても嬉しくて今舞い上がっている」
予想もしてなかった言葉にきょとりと目を丸くする。舞い上がる?
「きっと貴女は小官に合わせてビターチョコを作ってきてくれると思ってたんだ。まさかビスコッティとは思わなかった、……小官のためだけに作ってくれたのだろう」
とろける笑みを浮かべた理鶯に胸が高鳴る。食べてもらえなくてもいいと思っていたのは本当だけど、甘いものが苦手な貴方のために出来ることはしたかった。
「お味の方は」
「美味いに決まっている。左馬刻や銃兎にだって渡すことは出来ないな」
「ふふ、残念。お二人用にワインに合わせて作ったチーズとブラックペッパーを使った試作品もあるんですが」
「ダメだ、全部小官のものだ」
断固として言いきる姿は至って大真面目で、噛み殺しきれなかった笑いがころころと転がり出る。「じゃあ家にある分は理鶯さん用に包まなきゃ」
「それには及ばない。明日家宅捜索といこう」
「今日は来ないんですか?」
他意は無い純粋な疑問だった。この頃は理鶯も週に二度は泊まりに来ていたし、一度ベースに帰るのも手間だろうと思ったからだ。
「近くの一室を押さえてある」
するりと指を絡められ、体温が混じり合った。テーブルの下で悪戯に足を差し入れられる。ゆっくりと近づいてくるアクアマリンに逃げ場なんてどこにもない。
「……はい」
薔薇を活けるのは明日でも大丈夫。食べかけのチョコレートを横目に静かに瞼を下ろす。頬の染まりを隠せぬままここを出るまで、後少し。