珍しく、日付指定でのお誘いだった。
理鶯は必ず店の定休日を選んでデートに誘ってくるのが常だったが、その日だけは、と念を押されて一も二もなく頷いてしまったのは先週の話だ。
「ごめんねみどりくん、午後からは杏さんも来てくれるから……!」
「いえ、気にせず楽しんできてください。ほら、早く行かないと理鶯さん待たせちゃいますよ」
朗らかに背を押され店を出る。待ち合わせ前に急遽シフトに入ってくれたのは昨年入ったばかりのバイトの子だ。最近は一人で店を回せるようにもなったし、午後からは店の立ち上げ当初から一緒に頑張ってくれているパートの杏さんも来てくれる。きっと大丈夫だろう。
振り返った時にはもう彼は接客を始めていて、名前は安心したように店に背を向けたのだった。
「名前」
「わ!びっくりした、理鶯さん」
「ふふ、隙だらけだな」
改札を出たところで急に横から抱き寄せられた。恋人の姿に歓喜するもののふと名前は気がついた。待ち合わせ場所はまだ先のはず。
「貴女のことなら何でもお見通しだ」
不思議そうな顔をしたのが分かったのだろう、聞く前に帰ってきた答えに思わず笑ってしまう。確かに、何故か先回りされてるのだっていつものことだ。
「私そんなに分かりやすいでしょうか」
「今度左馬刻に聞いてみるといい」
「分かりやすいって言われたことありますね……そういえば……」
やっぱり分かりやすいんですね……と少ししょげるものの、ふふ、と、楽しそうに笑う理鶯を見たらどうでも良くなってしまった。だって今日はデートだもの。
「さて、どうしましょうか。理鶯さんお腹減ってないですか?」
「今のところは大丈夫だ。今日は小官に任せてくれないか。貴女を連れて行きたい場所がある」
「私を?ふふ、楽しみです」
手を取られ歩き出す。
賑やかな駅前を過ぎ、閑静な住宅街を越え、ぽつりぽつりと邸宅が並ぶ小道を歩く。
麗かな春の日差しが祝うかのように降り注いでいた。
「着いたな、ここだ」
「ここは……?」
どうやらこの年季の入ったログハウスが今日の目的地らしい。勝手知ったるとばかりにドアノッカーを3度鳴らした理鶯は、小官だ、と声を掛けた。中から「入れ」と鷹揚に声が掛かり理鶯がドアを開けてくれる。エスコートされるままに中に入ると、奥の方で何やら作業をしている男性が顔を上げた。
「おお来たか、なんだ随分別嬪さん連れてるじゃねぇか……ってそう睨むなっての。別に唾つけたりしねぇよ」
「……彼女は小官の恋人だ。無駄口は叩かない方が生きていられる喜びを享受できると思うがな」
「おおこえぇ、ほらお嬢ちゃんが怯えてるじゃねぇか」
大袈裟に肩を震わせる男は作務衣がやけに似合う、髭が印象的な姿をしていた。歳の頃は40〜50歳といったところか。はっと我に返り慌てて頭を下げる。
「こんにちは、お邪魔します」
「ハッハッハ、いらっしゃい。面白いモンはねぇだろうが良ければ見てってくれ」
快活な笑い声にほっと顔をあげる。内部を見渡すとなるほど、見たところ工房のようだった。至る所に木材や金物がおいてある。奥には……竈門と金槌?まるで――
「ここは鍛刀場だ。その男はここの主で、刀工を生業としている」
「鍛刀場……?」
「はは、鍛刀場自体はもっとデケェし裏にあるけどな。ここは工房さ。作った刃物の柄を取り付けたりその細工をしてるとこだ」
「へぇ……!刀工さんなんですね、初めてお会いしました」
「そんな大層なモンでもねぇさ」
へへ、と鼻の下を擦る男はなるほど職人然としている。ちょっと待ってな、と言い残した刀工は何やら奥の方から木箱を取り出して来た。
「ほら、頼まれてたもんさ。これでどうだ」
蓋を開けるとそこには一丁の鋏と小さなナイフが収められていた。碧く輝く刃紋が美しい。しかし、この形は。
「見事なものだな。流石だ」
「綺麗……!」
「まぁな。後は装飾を加えるだけだがどうする? 鋏の方は持ち手とカバーに、ナイフの方は柄と鞘に刻めるぞ」
刀工のセリフを受けて理鶯がこちらを向いた。
「どんな柄が好きだ?」
「え?ええと……」
「急に言われても困らぁな。いくつか見本持ってくるから待っとけ」
そういい刀工は奥の勝手口の方に引っ込んでいった。きょとんとしていた名前だったが、ふと理鶯に向き直る。
「理鶯さんも花切り鋏を使うんですね、あんな綺麗なの初めて見ました」ついぞ見たことのない美しさのそれにふふ、と笑うと理鶯は悪戯っ子のように瞳を輝かせた「いや、あれは貴女のだ」
「え……私……?」
「あぁ。小官のは隣にあったサバイバルナイフだな」
さも当然のように微笑む理鶯にますます瞳を丸くしてしまう。あの美しい碧を、私に?
「以前、揃いのものが欲しいと言っていただろう。指輪は追々としても、貴女も小官もアクセサリーの類は身につけないからな。だから、揃いにするなら商売道具をと思ったんだ。刃は小官が選んでしまったから、柄は名前に選んで欲しい。……受け取ってくれるだろうか?」
「そんなの、勿論、勿論に決まってます。嬉しい……」
こんなに綺麗な鋏が商売道具に。切れ味だって申し分ないだろう、それだけでも嬉しいのに恋人とのお揃いだなんて嬉しくないはずがなかった。実感のこもった言葉に理鶯もまた眦をとろけさせる。
「おいおい、ちょっと席を外した途端にこれかい」
「!お帰りなさい」
「はいよ。ったく若いねぇ、空気が甘ったるくて胸焼けしそうだ」
「それは光栄だ」
「褒めてはねぇんだがな……はは、まぁいい。ほら、どれか気に入ったのあれば言ってくれ。なけりゃ希望に合わせて好きなように掘ってやる」
どこから引っ張り出して来たのか、カラカラと音を立てて置かれたのはそれは美しい細工が施された刃物達。一緒に渡された資料にはデザイン画が載せられていて。ペラ、と幾つかページを捲った先に目が止まった。
「ふむ、それが気に入ったか」
「はい、刃紋に合いそうな気がして」
「どれ、見せてみろ。……ははぁ、アンティーク調か。花とも相性がいいが、なんか好きなモチーフはあるか?」
刀工の言葉にパチリと瞬く。好きな花は星の数あれど、果たして揃いで刻むのなら花はない方が良いのでは……断ろうと口を開こうとするものの、声を発する前に理鶯によってそれは遮られた。
「鈴蘭は彫れるか?」
「あぁ。鈴蘭なら組み合わせとしても悪くねぇだろう。お嬢さんはそれでいいのか?」
「え、あ、はい。理鶯さんはそれでいいんでしょうか……?」
「確かにお前さんが持つにはちょいと可愛らしいすぎるんじゃねぇか?」
顎髭を撫でながら揶揄う口調の刀工に、理鶯は意に介した風もなくするりと腰に手を回して来た。ちゅ、と音を立てて髪にキスを落とされて固まってしまう。
「彼女は鈴蘭が好きなんだ。そして小官にとっても彼女は愛らしい、まるで鈴蘭のように。揃いで刻むのにこれ以上の花はないだろう」
羞恥と混乱と諸々でわなわなと震えていると、はぁーと長いため息が刀工から吐き出された。呆れ笑いでこちらを見つめ再び顎髭を撫でた刀工は、ゆっくりと立ち上がる。
「ったく、ごちそうさん。一週間後には出来上がるから、またその辺りで取りに来るといい。」
「あぁ。金額は足りているか?足らないようであれば言ってくれ」
「馬鹿野郎十分すぎるくらいだよ。さぁこれ以上いちゃつかれたらこっちの身が持たねぇ、帰った帰った」
しっしと手で払われて慌てて頭を下げると、刀工は笑いながらまたおいで、と声をかけてくれた。再度頭を下げて店を出る。未だ腰を抱いたままの理鶯をキッと睨み上げた。
「理鶯さん、人前ですよ!いつも言ってるのに!」
「上目遣いも愛らしいな、頬が林檎のようで食べてしまいたくなる」
「睨んでるんです!もう、誰のせいだと思ってるんですか、というか話聞いてますか!?」
「牽制は必要だろう?」
「牽制って」
相手お幾つだと。むくれてジトリと眼差しを送るとそれですらも可愛いと言わんばかりに理鶯は頬を寄せてくる。
「出来上がった頃にまた取りに来よう、貴女の喜ぶ顔が見れてとても嬉しい」
「むむ……でも花切り鋏は嬉しいです、ありがとうございました」
念願のお揃いだ。改めて考えると頬が緩んでしまいそうになる。
「そういえば、どうしてこのタイミングで? 私も理鶯さんも誕生日はまだ先だと思うのですが……」
「ふふ、秘密だ」
投げかけた疑問に甘く微笑んだ理鶯はいちいち格好良くて、ついつい流されてしまう。
腰を抱かれたままあてどなく歩き始めたかと思っていたが、どうも来た道を戻っているらしい理鶯に名前は首を傾げた。
「理鶯さん?お店に戻るんですか?」
「あぁ、貴女の店の近くで新しくオープンしたカフェがあるだろう?」
「オープンサンドの!そこですか?」
「ウン。左馬刻が悪くないと言っていてな、どうだろうか?」
「行きたいです!杏さん達とも話してて、ずっと気になってて!ふふ、左馬刻さんお墨付きなら安心だ」
「それは良かった。テラス席を予約してあるから、そこで頂こうか」
「お天気も良いし最高ですね」
昼時も後半に差し掛かっている。程よくお腹も空いて来たし、看板に描かれたメニュー表を思い出して名前はうきうきと歩みを早めた。電車を乗り継ぎ気がつけば自身の持つ店の前まで辿り着く。折角ならみどりと杏の分もお土産で買っていこうと考えていると、ふと理鶯の足が止まった。
「……感慨深いな」
「理鶯さん……?」
「ちょうど一年前、此処で貴女と出会った」
ザァ、と風が吹き抜ける。そう、あの日もこんな穏やかな一日だった。そして同時にはたりと気づく。もしかして、揃いのものを用意してくれたのは。
「理鶯さん、お揃いのって……」
「あぁ。今日は小官にとって忘れられない、大切な日なんだ。左馬刻に導かれ、鶯に告げられた。貴女という星に出逢えた、一年前の今日に感謝を」
店の脇、花が咲く小道。当たり前の日常がそうでなくなったのはこちらも同じで。碧い瞳を持つこの恋人がどれほどの愛情を掛けてくれているか、今更ながらに思い知る。胸がいっぱいで苦しいくらいだ。
「なら私にとってだって、大切な日です」
チラリと視線で辺りを伺う。幸いにも小道に人の影はない。手で招き理鶯が屈んだところで、掠めるように柔らかく頬にキスを落とした。……唇は、また今度。
「、っ、名前……!」
「ふふ。わ!」
「貴女という人は……!!」
ぎゅうぎゅうと抱き竦められ、思わず笑みが溢れてしまう。そうか、自分からキスをしたのは今のが初めてだったかもしれない。理鶯の体温に、息遣いに、じわりじわりと何かが心を満たして行く。温かなそれはきっと、幸福に似た色をしているのだろう。
「理鶯さん、お腹減っちゃいました。いきましょう?」
「む」
「サンドイッチ食べたいな」
「……あぁ。行こうか」
――この感情が帰結する先を、まだ知らない。けれどそれを知るのは、そう遠くない未来なのだろう。
予感は漣を立てて波紋を広げていく。ただ、今だけは出会えたことに感謝を。名前はそっと理鶯を見上げる。碧く穏やかなアクアマリンの先、澄んだ春の空が二人を優しく包んでいた。