15. You are my new dream.


(星に囚われたあの日のこと/海に囚われたあの日のこと)


 軒先のネモフィラに水をやる。売り物ではないこの花々は完全に趣味で始めたものだったが、常連客からの評判は上々だった。
「あれ?……わぁ」
 ジョウロを手に取り次の鉢植えを見ると、ネモフィラに薄桃色の花弁が幾つか乗っていた。ドレスアップしたかのような姿に顔を上げると、街路樹の桜が誇らしげに咲き誇っている。時節は春、どうりで暖かいはずだ。
 ぼんやりと桜を見上げていると、突如身体が中に浮く。びっくりしすぎて声もでなかったが、抱き上げた本人は楽しげに笑みを浮かべていた。
「おはよう名前」
「……、っ……!!理鶯さん!?」
「あぁ、今日は良い天気だな」
「びっく、びっくりした、下ろしてください」
「すまない、貴女が桜に攫われそうで。先に捕まえておこうと思った」
 悪びれもなくそう告げる理鶯に名前はため息をついた。本心からの言葉だからこそタチが悪いのだ。
「いきなりはびっくりするから嫌です」
「ふふ、すまない、少し浮かれてしまった。許してくれるだろうか?my lily」
 抱かれたまま、ちゅ、ちゅ、と髪にキスを落とされながら店内に連れ込まれる。まだ水やりが、と声を上げると小官がやっておこうとジョウロも取り上げられてしまった。
「むむ、何だか今日の理鶯さん強引です」
「ダメだろうか?」
「……可愛いから許します」
 ぱちり。アクアマリンが瞬く。それは僥倖とバリトンが嬉しげに空気を震わせた。何だかご機嫌のようだ。
「何かいいことあったんですか?」
「ふふ、なんでもお見通しだな。先日銃兎達と花見をしたんだ」
「わ!良いですね」
「その時は左馬刻の組の敷地だったが、小官のベースの近くも今日見たら満開でな。デートの誘いに来たんだ。幸い今日の午後は空いているのだろう?」
「何で知って……むむ、その顔は聞いても無駄ですね」
「利口で助かる」
「ふふ、もう」
 額を合わせくすくすと笑い合う。最近はこうして抱き上げられたまま話すことが増えたが、今は仕事中だ。そろそろパートさんが来るからと胸板を押せば、あっさりと理鶯は解放してくれた。
「そういえば、新しいバイトさんが増えるんです」
「そうか、ここも賑やかになるな」
「はい。配達員としてですけど、頼もしいです。お昼まで時間がありますけど、理鶯さんどうしますか?」
「スパイス類を切らしているのでな、少し街まで出てこよう。また終わる頃に迎えに来る」
「ふふ、了解です。気をつけて下さいね」
「あぁ。行ってくる」
 キスを落とされ、そのまま理鶯は出掛けていった。店内で開店の支度をしていると、パートの女性が到着する。
「おはようございまーす。……あら?」
「杏さん、おはようございます。どうしました?」
「ふふ、さっき毒島さんが来たんでしょう」
 どきり。二人は鉢合わせてはいないはずだ、何故。どぎまぎと視線を迷わせていると、杏はカラカラと笑い声を上げる。
「やっぱりね。凄く幸せそうな顔してるもの」
「え、え」
「ふふ、店長お昼まででしょう? 楽しんでくると良いわ」
 手際良くエプロンをつけて包装紙をまとめる彼女はにこにこと微笑んでいて、名前は小さく返事をするので精一杯だった。
 
 
「そろそろだな。名前、疲れてはないだろうか?」
「それこっちのセリフですよ理鶯さん。そろそろ降ろしてくださいな」
「む」
 小さな唸りが直に伝わって笑ってしまう。名前を丁寧に抱えたままズンズンと森を進んでいた理鶯は、しばし視線を巡らすと歩みを止めた。漸く目当ての場所を見つけたのだろう、ふかふかとした芝生の上に丁寧に降ろされる。
「わぁ……!!」
 理鶯の影になっていて見えなかったが、それは見事な桜林が目の前に広がっていた。ソメイヨシノにヤマザクラ、奥に見えるのはオオシマザクラだろうか。店の軒先で見た薄紅とは比べ物にならないスケールにただただ圧倒されてしまった。
「凄い凄い!こんなに大きくてたくさん…しかも種類も豊富だなんて!」
 理鶯を振り向くとにこやかに微笑みながらシートを敷いてくれていて。軽やかに駆け寄った名前からサンドイッチが入ったバケットを受け取り昼食の準備の真っ最中だ。確かにそろそろお腹が減る頃合いだ。
「わ、ごめんなさい私も準備しますね」
「いや、小官が好きでやっていることだから気にしなくて良い。それより、桜はいいのか?」
「ふふ、お昼食べながら一緒に見ましょう?」
 水筒を手に取りながら告げれば理鶯は嬉しそうに頷いた。サンドイッチは近所にできたカフェの新作で、バジルソースがパストラミビーフによく絡んでいる。理鶯のは大振りのサーモンにグリルした春野菜がサンドされたものだ。半分ほど食べたところで、つい、と手元のサンドイッチを差し出すと大きな一口で持ってかれて笑ってしまう。どうせサイズ的に食べ切れなかったからと付け合わせのポテトを齧った。
 春の光は尚も穏やかに降り注いでいて、桜もまたはらはらと舞い落ちる様は絶景だった。
「本当に綺麗……こんなところがあったなんて知りませんでした」
「ここは小官しか知らないところだからな。貴女しか連れてきてはいない」
「ふふ、じゃあ本当に穴場ですね」
 お腹も満たされて、うっとりと桜を眺める。鶯の囀りが少し遠くから響いていた。なんて麗かなんだろう。しばし惚けていると、バサリと横から音が聞こえた。音の方を見やれば理鶯がシートに横になっていて、此方に向かって腕を広げている。ふふ、と笑みをこぼして腕の間にお邪魔することにした。
「わぁ……」
 横になったことで視界一面に蒼と薄紅が広がった。春の空は何処までも透き通っていて、穏やかで。理鶯を盗み見ると彼はまたしてもこちらを見つめていた。太陽がアクアマリンを優しく照らし、光を宿している。海だ。ただの水晶体だと言えばそれまでだが、まるで春の海の様に輝く二つの碧に、不思議なほど心が満たされて行くのを感じた。そっと胸に擦り寄ると、しっかりと腕を回される。少し早い鼓動が固い軍服の下から響いていた。
「名前」呼び声に顔をあげると、大きな手のひらに頬を包まれそのまま優しく固定された。可愛らしい音を立てたバードキスから、徐々に口付けは湿度と深度を増していく。
「っ、理鶯さん、お外じゃ嫌です」
 このまま此処で致してしまいそうな雰囲気に危うく飲み込まれるところだった。現に指先は悩ましげにボディラインを辿っていて、はだけた裾から潜り込んでくるのも時間の問題だろう。
「っきゃあ!」
 ガバリと抱き上げられ、思わず悲鳴が溢れ出る。しがみついたのも束の間、鼻、耳、頸、つむじとあらゆる箇所にキスを落とされながらズンズンと理鶯は歩みを進めて行く。理鶯らしからぬ性急さに湧き上がるのは戸惑いとほんの少しの期待。
「すまない、桜にあてられたのかも知れんな」
 キスの合間に零された呟きに聞き返す暇はなかった。辿り着いたテントの入り口は下げられ、一気に視界が暗くなったからだ。とさり、と場違いに思えるほどふかふかなマットレスの上に寝かされる。
「りお、さん……」
 ランタンの頼りない光が、ギラギラと目を光らせる美しい獣を映し出す。触れたら最後、満足するまで離されないことを知りながら、また手を伸ばしてしまうのだ。
 
 
 ゆったりとしたリズムで身体が揺れる。ゆりかごのような心地良さに、深い水底から立ち上るように意識が浮上して行くのを感じた。
「んぅ、ん……?」
「む、すまない。起こしてしまったか」
 足先が外気に触れるのがこそばゆい。ふわふわのブランケットに包まれ、どうやら理鶯に抱き上げられているようだった。辺りはすっかり暗くなっているものの、夜空にぎっしりと詰め込まれた星達のお陰で存外周囲の輪郭ははっきりとしている。
「そろそろだな」
「ここは……?」
「昼間に来た場所だ。……その、先程は満足に見切れないまま、事に及んでしまっただろう」
 バツが悪そうにそう溢す理鶯にクスクスと笑みが零れる。「そう思ってるならもう少し手加減してくれるとありがたいです」掠れたこちらの声にむぅと小さく唸る理鶯。下がる眉尻が愛しくて、また口元が緩んでしまうのだ。
 果たして星灯に照らされる桜は見事なものだった。
「夜桜も、良いものですね」
 ザァ、と音を立てて花弁が舞い上がる。ゆらゆらと薄紅が揺蕩う空間はこの世のものとは思えない蠱惑的な美しさだった。ふと理鶯を見上げると、彼は慈愛に満ちた表情でこちらを見つめていて。とくり、と胸が高鳴る。
「桜見ないんですか?」
「桜もいいが、小官は貴女を見ていたい」
「ふふ、折角連れてきてくれたのに」
「名前の喜ぶ顔と、貴女の瞳に映る桜を眺めたかったんだ」
「私の瞳?」
 あぁ、とそれはそれは愛おしそうに理鶯は瞳を細めた。グローブをはめていない大きな親指が眦を優しく撫でる。
「星屑が閉じ込められたその瞳に、桜がどう映るのかを知りたかった。思った通り、いや、思った以上に綺麗だ」
「お好きなのは瞳だけですか?」
「そんなわけがない、全てが愛おしい。ただ、貴女の瞳を見るたびに思い出すんだ。貴女に囚われた日のことを」ちゅ、と瞼に柔らかな口付けを落とされた。「生涯囚われていたい。小官を離さないでくれ」
 大袈裟な言い回しに、ふふ、とまた笑みが溢れてしまった。本人は至って大真面目で、気にした風もなく触れた眦にキスを落とす。
 瞳のことを言うのならば、貴方だって。
「――理鶯さんの瞳はね、横になって太陽を浴びると、春の海みたいにキラキラって光るんです。それが私、嬉しくて。理鶯さんの中に海があることが、不思議なくらい嬉しいんです」
「……そうか。貴女の帰る海である事を嬉しく思う」
 眦が染まっている気がしてふと手を伸ばす。ほんのりと伝わる温かさでは判別はできなかったけれど、それはじわじわと指先を伝わって名前の口元を緩ませた。
「私の?ふふ、そう……そっか……じゃあ私はきっと、ずっと海にいれるんですね」
「あぁ。この先ずっとだ」
 理鶯の体温に包まれて、風の音にあやされて。ぼんやりと意識が遠のいて行く。瞼が落ち切る瞬間、優しい海が眼裏に煌めいた。ずっと。ずっと傍にいれたら良いと、身の丈に合わない夢でも今だけは願っても良いでしょう。どうせ桜ともに散って行く儚い願い。けれど、もし本当なら。
 私だけの海でいてくれたなら、きっと。




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