17. There will never be another you.


(誰であろうとも)


 踊るようにゆったりと、楽しげな足取り。コツコツと華奢な7センチヒールが石畳を打ち鳴らしている。
 昨晩まで梅雨らしくしとしと降り続いていた雨は今日の朝になって漸く止んだ。晴れの日に相応しい陽光が降り注いだのはつい数時間前のこと。彼女の友人である喫茶店の店員と、そのパートナーである夢野の結婚式に参列した二人は手を繋いだまま帰路を歩んでいた。
「良い式だったな」
「はい。みきこちゃん、とっても素敵でした」
 半年前に入籍した件のカップルは、紆余曲折あって漸く式を挙げられたらしく、感動もひとしおなのだろう。花嫁に依頼されブーケを見繕っていた名前が、時折涙ぐみながら嬉しそうに作業をしていたのが記憶に新しい。
 ゆるく髪を編み込み、身に纏うのは花を象るレースが印象的な桜色のシルクのワンピースドレス。プロの手によってヘアメイクを施された恋人は理鶯にとって誰よりも可憐だった。互いに初めて見るフォーマルな装いに、わかりやすく鼓動は跳ねる。……白状しよう。美しさに拍車をかけた様を目の当たりにして、理鶯は確かに浮かれていたのだ。
「名前は、ジューンブライドに興味はあるか?」
 浮かれついでに質問を投げかける。このぐらいの詮索は許されるだろう。
「ジューンブライド、ですか?6月に憧れはありませんけど、あ、あれならあります。サムシングフォー」
「マザーグースか」
「ふふ、はい。最後の部分がとっても好きなんです……そして靴の中に、6ペンス銀貨を」
 何だか幸せになれそうでしょう?と名前は優しく微笑んだ。その目元はまだ赤らんでいて、幸福の残滓が色濃く残っていた。心優しくたおやかなこの人を、どうしようもなく愛おしく思う。
「……生家に小官のグランマが使った、6ペンス銀貨があるんだ」
「わ、素敵ですね」
「あぁ、ドレッサーに飾ってあってな。幼い頃勝手にスクラッチに使ってそれはそれは怒られた」
「ふふ、結構わんぱくだったんですね……小さな理鶯さん、きっと可愛かっただろうなぁ」
「今は可愛くないだろうか」
「ふふ、ふ、可愛いですよ、とっても」
 冗談におかしそうに笑う姿に理鶯も笑みを浮かべた。二人で会話をしているとあっという間に名前の自宅前に辿り着く。
「寄らせてもらっても?」「どうしようかな」「籠城させてもらおう」クスクスと睦み合いながらマンションのオートロックを抜ける。
 3階に到着した所で、人気がないことを素早く確認した理鶯は名前の腰を強く抱き寄せ口付けた。唐突なそれに丸く目を見開くのが分かり、内心で笑みを深める。
「ヒールはいいな、キスがしやすい」
「ふ、もう、理鶯さ、」
 唇を奪う合間に低く囁けば、吐息と共に嗜められる。けれど胸に添えられた手に抵抗の意思は無いようだ。名前も浮かれているのだろう、そう判断した理鶯は遠慮なく唇に噛みついた。
 手元から落ちそうな鍵を取り玄関を開ける。蒸し暑さに急かされるよう性急に恋人を抱き上げ寝室に赴けば、後は理鶯の独壇場だ。スーツ姿を乱しこちらを見下ろしてくる美しい獣に、観念したように名前は瞼を下ろしたのだった。
 
 
「折角綺麗にしてたのに」
 シーツに包まりぷくりと頬を膨らませる彼女はやはり小動物か何かの様で愛らしい。とはいえここで笑うとさらに機嫌を損ねることになってしまうので、理鶯は賢く口を噤んだ。
「すまない、我慢が利かなかった」「my lily.いつだって貴女は美しい」
 愛を囁きつつ幾度となくキスを降らせば、漸くシーツ大福から人間に戻った名前が顔を出す。まだ怒ってるんだから、と言わんばかりに膨らんだままの頬と頸に見える鬱血が倒錯的で、そのアンバランスさに少し兆しかけてしまった。
「名前」優しく呼び掛ければ、感動とは別の理由で潤んだ瞳がこちらを向く。星屑はゆらゆらと煌めき、泳ぐ光を閉じ込めていた。
「いつか、家族に会わせたい」
 ぱちり、と星屑が煌めいた。膨らみを失った頬に手を当てる。
「グランマは海の側に暮らしているんだ。小官の生まれ育った砂浜を、貴女と一緒に歩きたい。……国境を越えてもらうことにはなるが」
 一瞬戦慄いた唇が、美しく笑みを象る。潤み切った瞳はそれでも決壊することはなく、静かに微笑みを湛えていた。
「……はい。たくさんたくさん教えてください、今までの理鶯さんのこと」
 そう愛おしげに溢す姿に堪らなくなった。「あぁ。嫌というほど教えよう」
 ふふ、と嬉しそうにはにかむ愛しい人を腕の中に閉じ込める。滑らかな素肌同士が合わさり、体温が馴染み。文字通り一つになる錯覚を覚えた。
 
 
 夢と覚醒の間を彷徨う。腕の中の少し高い体温が、愛しい人が傍にいることを教えてくれていた。家族はきっと、彼女を受け入れ盛大に喜んでくれるだろう。近い将来を想像し口元を緩ませた理鶯は手探りで恋人にキス落とす。――第一声は決まっていた。
 
 小官の家族になる人だ、と。




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