2017/03/02 Thu
何も大切ではない


ひとつ歳を重ねて、これまでを振り返ってみて、随分楽しい人生を過ごしてきたなと思う。

親に進む道を決めつけられることもなく、女の子なんだからやめなさいと言われることもなく、好きなように好きなことをした。

何度もひとりで舞台に立って拍手喝采を浴びた。数百の観客が私だけを見て、達者に演ずると褒めてくれた。

学校はそんなに好きでもなかっなけれど、学校以外の居場所は沢山あった。

父親しかいないなんて可哀想と抜かす奴が、両親が喧嘩して云々とか父親が面倒で云々とか相談してきたときは、両親が揃ってるのってすごく可哀想だねと皮肉を言い返してやれた。

祖母が認知症になって家で何度もボヤ騒ぎを起こされて、家にいたくないときもあったけど、介護の知識もご飯を作るスキルも小学生のときに身についたし、幸運なことに家が全焼することもなかった。

本を沢山読んだ。大学に入って、小学生の頃わけもわからず手にとって読んだ本をようやく少し理解できて嬉しかった。大学で哲学を勉強して、ふわふわとしていた感覚的な部分が具体的なことばで理解できた。

女の子二人と付き合って、男とも付き合って、別に性別がどうであれ何かが変わるわけでもないと知った。女の子と付き合うと男らしく在るように強いられ、男と付き合うと女らしく在るように強いられ、何にせよどちらかを強いられる状況は同じだ。同性愛者の女の子だから、ジェンダーフリーな考え方なのかと言われたらそういうわけでもなく、性別を大切にしているのは同じだ。人によって異なるのだろうけれど、世界の大半は、性別に対して重いウェイトを置いている。疲労困憊なのにマグロが許されずに甘やかしてあげるのは疲れる。女々しく振る舞うよう強いられるのも疲れる。

学生時代にひとりで生きていくためにいろいろなことを経験した。悪い仕事をしてみたり、夜勤に明け暮れてみた。夜通し働いて夜明けの肌寒い澄んだ空気の中で吸い込む煙草の美味しさを知った。刺激的だけど、心身ともに酷く疲れてしまっていて、大学を卒業して就職するまでの辛抱だからと唱えることも多かった。


いまの仕事はとても楽しい。ひとりだけどうしようもない先輩がいて、自分の仕事を回しながら先輩の尻拭いをし続けているけど、これだけお給料貰ってるんだし仕方のないことだと思う。キャパシティはひとそれぞれ、これまで心に掛けられたことのある圧力が違えば、できる範囲も違う。私が苦しんだぶん、そのひとより少しだけできることが多いだけだ。先輩が私と同じ苦しみを味わって生きてきていたとしたら、きっと何かが違っていた。

人生なんて筋トレと一緒で、痛めつければ痛めつけただけ強くなって痛みを感じなくなる。どれだけハードな仕事だって、かつての悪いお仕事に比べたら、衛生的にも精神的にもつらくない。比較すれば楽しいことしかない。あの頃には戻りたくない、あの頃に比べたら余裕じゃん、と思うから頑張れる。知ることは分岐を拡げる。選択肢だけではなくて、キャパシティも含めてなのだと思う。


随分楽しい人生を過ごしてきたせいで、既に人生やりきったぜ感がある。いつ死んだって後悔しないのは良いことだけれど、お金のために苦しみながら過ごした日々が馬鹿げたもののように思えて、苦しくないのにお金を貰うことについて申し訳なく思うことすらある。

上司に「出世したい?」と聞かれたときに、そういうことはあまり強く望んでいないと思った。出世してもっとお金が欲しいとか、人の上に立ちたいとか、思わない。使い方がわからないお金が既に溜まり続けている。社内で過ごすよりもお客さん先に出向いて仕事をする方が好きだ。

「私は結婚してないし子どももいないし、今貰いすぎているお金で生活できるから、生活が苦しいひとが出世してお金貰った方がしあわせな従業員は増えるんじゃないですかね」と答えた。意図しない視点の回答だと思うけど、本当にそう思うのだから仕方ない。

仕事は充実しているし、それ以外の時間はとりあえず寝て暮らしたい。好きなように酒と煙草を摂取して、年に一回くらい好きな音楽を聞くためにライブに行けて、それ以外に何がしたいかと言われてもよくわからない。


これから三分後に通り魔に襲われて刺されたって、やり残したことなんて何も無い。でも自殺したいほど人生に絶望しているわけでもない。家賃が払えないかもしれないからと何も食べずに過ごし、身体を売ったり夜勤を続けたりしていた数年前の自分に伝えたい。

あんまり絶望しなくていい。今のうちに苦しむことに慣れてしまえ。食欲も睡眠欲も物欲も、今ある欲望を全て捨ててしまえ。今のあなたの苦しい生活のせいで、多少は身体が弱くなって医療費は嵩むし感染症にかかるし自律神経が死んで脈拍にまで影響するようになるし会社で失神するけれど、たったそれだけのことで済む。生きることは容易いと思えるようになる。


 


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